オリーブの遺言 04
ヒロキと新一が仲を深めていたころ、優作に一通のメールが届いた。差出人は不明だが、なんとなく相手の察しはついている。
───『食事でもどうかな。日本にいるんだってね。』
まるで旧知の仲に対する態度だが、話をしたのは一度だけの相手。ましてや、連絡先の交換さえしていなかった。
メールを受け取った優作は、この短すぎる馴れ馴れしいメールに律義に返事をした。
「君も日本にいたのか、それともわざわざ?───」
待ち合わせの店へやってきた優作は、先に待っていたに驚くことなく、席へ座った。
「さあどうかな、元気にしてる?」
「ああ。向こうにいるよりは安心して外に出せるよ」
「ずっとこちらにはいないんだね」
「君がいるなら、いさせようかな」
「俺もずっとこっちにいるわけではないけど」
居場所を悟らせたくないのか、の返答はそっけない。それに、以前会った時よりも砕けた態度のようだった。
そして彼は肩をすくめ、少し口を尖らせる。
「───あの男だけど」
「うん?」
「まだ気付いていないんだ。お酒もどうぞ」
店員が持ってきた酒のメニューは優作にのみ渡された。頼む前にの分を聞くと不要だと断られてしまう。そして店員は一人分の注文を聞いて個室を出て行った。
「まさか未成年とか」
「……好きじゃないだけ」
すぐ眠くなるんだ、と付け加えたことに優作は苦笑した。
ずいぶん可愛らしい理由だったと共に、彼の口から初めて『自分の話』を得た。真偽は定かではないが、ここでわざわざ嘘をついているのだとしたら、徹底しすぎということになる。
「先ほどの話だが、気づいてないということは……」
「ヒロキが逃げだすことを恐れなくて良くなった───と安堵してる」
は運ばれてきた優作のグラスに、自分の持つ透明な水の入ったグラスをぶつけて乾杯した。
「監視カメラの映像は差し替えてしまったし、すぐに周囲を封鎖して片付けるふりをした。遺体がひどく損傷しているため目で見て確認しない方がいいと言って、生体データの一致をでっちあげたら泣いて喜んでいたよ」
つらつらと喋りとおした後、前菜を口に放り込む。
そして少し乱暴に咀嚼してから飲み込み、フォークを持つ手を下ろした。
そのままシンドラーについてはすっかり興味をなくしたらしく、は次に運ばれてきた料理に目を向ける。
穏やかに丁寧に、美味しいと賛えながら食事をとる彼はとても善良で、かわいげのある人間に見えた。
「ヒロキくんと樫村を会わせていいものか少し悩むよ」
「?」
口に食べ物を含んでいるので、瞬きを返事の代わりにしてきた。
頬が膨らみリスのようにむくむくと動いている。優作は少し笑うが、に再度目線で続きを促されたことにより、笑いをこらえた。
「ヒロキくんの口から一切父親の話が出てこないんだ」
「俺と出会ってからも、父親の話が出てきたことはほとんどなかった」
グラスを揺らして透明な水が変形するのを見つめて、落ち着いたころ合いに口を寄せる。優作はつられるようにして自分のグラスを手に取った。
「思うに、樫村は幼いころに別れた肉親という印象しか今のところないと思うな。あの頃は父親の人柄だって理解してない。トマス・シンドラーとの付き合いだって親子という感じではなかったし、父という存在に対して期待するほどの例が周りになかった」
の話に優作はうなずく。
「でもいつか、……会おうと思う日は来る。焦ることはない」
「───そうか」
優作は近頃、トマス・シンドラーの動向はできる範囲で探っていたが、からも大丈夫そうだといわれて安堵を覚えた。そしてヒロキの父親であり、友人でもある男との再会も望み薄というわけではなかった。そのことから、食事をするのも少し気が楽になり、のことを知りたい一心で会話をしていれば、まるで普通に仲が良くなったみたいな気分になり足取りも軽く家路についた。
「おかえりなさい、思ってたよりも遅かったわね」
「ああ、意外と話がはずんでな」
帰宅した優作を迎えた有希子は笑った。
「それはよかった。彼、お元気そうだった?」
「うん。子供達は?」
「眠ってる」
意外なことに───二人とも早寝早起きをするタイプではないというのに───もう眠っていた。新一の方は部屋に戻っていただけで、本当に眠っているかは定かではないが。
「ヒロキくん今日、新一とサッカーしてきたの。だから夕飯作ってるのを待ってる間に寝ちゃって」
優作はふっと目元を和らげた。
廊下を歩きながら談笑する二人は、ヒロキの眠る部屋の前に来て足を止める。そしてドアをそっとあけて中を覗き込むと、ヒロキが眠っているであろうベットは膨らんでいるのが見えた。
「すると、夕飯は食べてないということか」
「そうなのよ。朝までぐっすりならそれでもいいんだけどね」
音を立てないようにしてドアを閉めると、有希子は意味ありげにおずおずとドアノブに触れた。
「どうした?」
「ううん、……今日は新一があの子を運んでくれたのよね」
有希子は怪訝そうな顔をする優作に首を振り否定しかけて、やはり何か思いつめた様子で話し始めた。
こうやって、と言いながら有希子は腕を掲げてみせる。
ヒロキの頭が新一の首筋にもたれかかる体勢だ。腰に重みが行くようにして、ヒロキの太ももに腕を回して固定する。そして反対の手で念のために背中をおさえる、ごく普通の抱き上げ方となった。
「見たことあるなあって思ったのよ」
「ああ、か」
「ええ。ベッドに降ろす時に新一も、彼みたいに背中を曲げて、重みと格闘しながらそうっと寝かせてた」
光景を鮮明に思い描ける優作は繰り返し頷いた。
「それで、どうしたんだ?」
「───行かないでって言ったの、ヒロキくんが」
「寝言?」
「顔を見たら寝てたわ。でも、あの時のこと、なんとなく思い出してたのかしらね」
二人はドアの前に立ち尽くしたままだった。
けれどふいに、物音がして身構える。やがてドアノブがゆっくりと動きヒロキが顔をだした。
「わ、びっくりした」
「あら!ごめんなさい、起こしちゃった?」
有希子は先ほどしていた寂しげな顔を一変し、溌剌とした笑顔を浮かべる。
「ううん、たまたま起きたんだけど。僕の様子を見に?」
「ああ、私がちょうど帰って来たところでね。夕飯食べてないんだって?」
「僕疲れて寝ちゃって……、ごめんなさい」
ヒロキの様子に二人は慌てて、謝ることではないと否定する。
「ご飯は?お腹減ってない?」
「平気、でも喉乾いちゃって」
「そう。じゃあココアでも飲みましょうか」
有希子はヒロキの背中に手を当ててリビングへ連れて行った。
その後、シャワーを浴びて眠る支度を整えた優作がリビングへ顔を出すと、ヒロキは一人でソファに座ってテレビを見ていた。
「眠れなくなってしまったかな」
「少しだけ。でもすぐ部屋に戻るよ、歯磨きもちゃんとする」
ヒロキは優作がソファに座った途端、テレビを消した。
そして、空のマグカップを持ってソファから降りようとする。
「今日、と会ったよ」
「え」
だが、突如出された名前に、ヒロキは動きを止めた。
「シンドラー氏の目はどうやら欺けたらしい。君の死を信じているそうだよ」
「……そう」
「もちろんこの先、ずっと隠れて過ごすのは辛いだろうから、落とし前はつけてもらうが───ひとまず安心してほしい」
「僕は別にいいけど」
「退屈だろう」
ヒロキは少しだけ俯いた。
これまで彼は何かしたいとも、したくないとも訴えたことはない。全く新しい環境に来たばかりで戸惑いもあり、様子を見ている段階でもあったが、不自由であることは否めない。
「確かにそうなのかもしれない。でも僕は前よりも退屈を甘受できるようになったよ」
顔を上げたヒロキは優作と少しだけ見つめ合う。そしてすぐに、何も映らないテレビの方を向いた。
「には何かいわれた?」
「普通になら過ごして構わないと」
普通にというのは自由とは違い、メディアに出る様な目立つ真似はしないように、というのが優作との掲げる言外の条件だ。そして聡いヒロキはそのことを理解している。
「だれのところで?」
「……だれがいい?」
優作はあえて問いかけを被せた。父親に会わせてはならないとは言われていない。
じっと見つめる視線の先、ぽつりと小さな口が呟いた。
「のところがいい」
優作は一瞬言葉に詰まり、けれど動揺は見せずに問いかけた。
「それは、なぜ?」
「彼が一番僕をいかしてくれるから」
ヒロキは今度こそソファを降りて、マグカップを片付けた。それからおやすみなさいと優作に声をかけてから部屋を出て行った。
しれっと一緒にご飯食べてる主人公と優作。もう、トモダチなのでは?(友達ではない)
酒が好きじゃないのは別に意味深なあれではないです。
Dec.2023