オリーブの遺言 05
ヒロキはの『秘密』を知っていた。
その時、大学で出会って友達になった彼は嘘で、会社に潜入するため、ひいてはトマス・シンドラー目当てだったのだと気づいた。
それでも初めてできた気さくに話せる人で、仕事も遊びも付き合ってくれるいい相手だった。
は秘密を知られたことにも気づいていたが、案外軽い調子で「内緒にして」とお願いしてきたくらい。そのやりとりが、ヒロキにとってはうれしかった。
ヒロキを脅威と思っていない───否、ヒロキを信じて秘密を話してくれたような気さえしていた。
のところで暮らしたいと願ったのは、ヒロキが最もを信用していたからだ。それは能力においても、人格においても同じことが言える。
彼は情報の取り扱うスペシャリストであり、ヒロキを隠すのだって利用するのだって上手にできるはずだ。の秘密を知ったことだって本人の許しがあったからに他ならない。それ以外は───の今いる場所だって知ることができないのだから。
でも、のところで暮らすことはできないことは分かっていたから、優作に一度こぼしてみたものの、返答を待つことなくおやすみと挨拶をした。
そして次の週、ヒロキは父親と対面した。
生きたヒロキを見た樫村は膝をつき、おずおずと近寄って来たヒロキを抱きしめて泣いた。
「よかった、本当によかった……生きていてくれて……っ」
「心配かけてごめんなさい……お父さん」
ヒロキは父の大きな背中に手を回して、苦笑していた。
「───僕、父さんと暮らすよ」
一度父親と別れて家に帰って来たヒロキは、有希子と優作の二人に今までありがとうと頭を下げる。
有希子は喜んだが、優作は浮かない顔だ。そして、ぱっと口を開いた。
「待ってくれ、まだその時ではない」
「え?」
「ちょっと、何言ってるのよ優作」
二人は困惑した様子で優作の顔を見た。
「君は社会的には死んだことになっている。正式には樫村の子供ではないことはわかるかい?」
「うん、わかるよ。でも、僕は父さんの子であることは変わりないし、養子という形でも気にしないよ」
「そうよ、戸籍や書類上のことなんて関係ないじゃない、本当のお父さんといた方が良いでしょ?」
優作は有希子の言葉に苦笑した。
「君はこの前誰と暮らしたいか聞いたら、と答えたね」
口ごもるヒロキに、有希子も視線がいく。
この一年、ヒロキと有希子と三人で暮らした。ヒロキの考え方も、表情や行動から読み取れる感情も薄々とだがわかる。
「優作、でもそれは……」
「ああ。言わせておいて、願い通りにはしてやれない───だが、それが、本当に心からの願いだったと私にはわかるよ」
ヒロキは非常に利口で、理性的だ。引き取られた当初よりは子供らしさが芽生えていたが、それはむしろ子供らしくあろうとあえて解放しているに過ぎない。新一とメールしている時や、近所の同年代の子供たちと遊ぶ時はそうする傾向にある。無理をしているというわけではなく、遊ぶ時をわきまえているのだ。
「だって、僕は……何も持ってないし、これ以上お世話になるのも」
故に、このような場面では非常に大人びた思考に陥る。
「私たちは迷惑なんて思ってないのよ」
「一年間、楽しくやれたと思っているよ。しかし、君にはあえて違う観点から言おう」
優作は、うつむいたヒロキのひたいに言葉を投げかけた。
「私は君の"兄"に依頼を受けて預かっていて、依頼料と養育費を受け取っている」
ヒロキはぱっと顔を上げる。彼の仮の身分には、架空の家族がいる。既に死亡したとされている両親と、存命の兄という存在。
その兄の経歴も名も偽造したものだが、兄の口座からヒロキの口座に毎月一定額振り込まれるのは養育費である。そして依頼料は優作の口座に振り込まれている。
「君の兄はまだ、我々の元に君をおくように指示しているんだよ」
「それは、が僕と父さんがあったことを知らないからじゃ」
言いかけたヒロキに優作はゆっくり首を振って否定する。
「君達親子が再会した時のこと、その後のことは、引き取る前に決めてあった」
「どういう風に?」
「ヒロキくんがある条件を満たしたとき、本当のお父さんと暮らせるようにと」
「条件は……教えてくれないんだよね」
「ああ、言えない。なんだと思う?」
「……多分すごく、意地悪なこと」
ヒロキは少し唇を尖らせて呟いた。
───「ヒロキが泣きながらパパと暮らしたいと頼むなら……」
死んだと思っていた息子が生きていた樫村とは立場が違うが、それにしてもヒロキの様子は少し予想からはずれたものだった。父の涙に多少驚いてはいたが、思われていたことに感動したり胸を締め付けられたり、つられて涙するではなく、心に負担をかけたことをわびた。
が父親への印象を語っていたのも、皮肉めいた条件をつけたのも、こうなることを読んでいたというわけだ。
「わかったよ。でも、父さんには今後全く会えないというわけじゃないんだよね」
「もちろん、二人が会うのに最大限、協力しよう」
あっさり頷いてしまったヒロキの様子を見て、優作は人知れず肩を落とした。
有希子もその様子を見て、それ以上何も言えなくなった。
その日の晩、樫村と二人で出かけた優作はヒロキの今後について話をした。もちろんがヒロキを助け、優作の元へ連れて来たことも、二人が暮らす場合の条件も。
「工藤、お前はウィーズリーという男をどう見る」
人のまばらな薄暗いバーの隅で、樫村はショットグラスを片手に問う。
「まだ二度しか会ったことがないからわからないな」
「闇の男爵と呼ばれる男が何を言ってる」
「はは。……ううん、まあ、可愛い人だなと思うよ」
「なんだそれは」
樫村は、優作の表現に肩をすくめて笑った。
ヒロキとともに暮らせないことは少なからずショックだったようだが、いまはまだ生きているだけで良いと思うことにしたようだ。
「人と話すのが下手なのかな、たまに噛み合わない時があるというか、勝手に1人で話していたり、いろいろなことを聞きたがったりしてくる。可愛いだろう」
樫村はわからないと言いたげに首をかしげた。
「───でも、そこが恐ろしい」
「なぜだ?普通の人のように聞こえるが」
優作は説明できずにまごついた。文章を紡ぐのを生業とし、人よりも多い語彙力と、鋭い洞察力、物事を伝えるための技術を有していたが、脳裏に描く彼の魅力と恐ろしさを伝えることがままならないのだ。
「会ってみないと彼のことはよくわからないさ」
「そうか───それなら、ぜひ会いたいな。お礼を言わせてもらいたい」
は情報操作能力とともに、人を騙す精神力、人心掌握の技能、どこか幼気な容姿と、穏やかな雰囲気を併せ持っていた。ただの若い青年の陰から見える妖しさ、または危険な人物に垣間見える優しさ。まっすぐに信じづらく、疑いづらい様相がバランスよく鎮座している。
「いや、出来れば会わないほうがいいと私は思っているよ」
優作はアルコールに喉を焼かれながら、の話を飲み込んだ。
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お父さんとヒロキ君が再会できてよかったねの気持ち。
だけどまだお父さんとの親子関係が出来てない。
Dec.2023