harujion

ペトルーシュカの心臓

02

エイジが二歳の時には生まれた。母は病院から帰って来たが、は一緒ではなくて、幼かったエイジはそれがどういう事なのかよくわからなかった。

友達の弟を外で見かけるようになってからようやく、が何故家に居ないのか疑問に思った。は病気でずっと病院に居ないといけないと、両親は言う。それを聞いて、少しだけ寂しい気持ちになった。
お兄ちゃんになるのよと言い聞かせられて来たエイジは、結局兄になった実感がなかった。
数ヶ月に一度、のお見舞いにエイジも連れて行ってもらえたが、は大抵具合が悪そうにしていた為、長居することも、会話をすることもほとんどない。


一人遊びは大抵絵を描くことで、エイジはそれが何よりも楽しかった。両親が働きに出ていても、友達の家が遠くて遊びに行きづらくても、スケッチブックと鉛筆があれば良いのだ。
こんなとき、自分の弟はどうしているのかと考えた。
針を刺された腕で、絵は描けるのだろうか。
青白い顔は、笑うのだろうか。
枕から頭を離している所は、ほとんど見たことが無い。
病院は車で二時間もかかる大きな街にある大きな建物。その一室でぐったりしているはまるで、悪の大魔王に攫われてしまったみたいだ。腕に刺された針と繋がる管は鎖で、薬はの意識を奪い人形にしてしまう毒。医者も看護婦も大魔王の手下。ヒーローが助けに行く為には長い道のりと年月がかかる。
鉛筆をひたすら動かして、を病院という『悪の城』から救い出す漫画を描いた。が元気になったら読ませてあげようと思ったのだ。


小学校六年生になった頃、久しぶりに会いに行くとは少し調子が良さそうに見えた。
点滴はしていないから、鎖が外れたのだと、内心でエイジは喜ぶ。
両親は医師と話をするために病室を出て行ったので、今は病室に二人きりだ。
「俺、家に帰れるかも」
ぽそりと呟いたに、エイジは瞬きをした。
「調子よくなってきたんだ」
また、は小さな声で呟く。窓の外に目をやっているの横顔は、ちっとも嬉しそうではなくて、エイジは不思議に思う。鎖も外れて、家に帰れるというのに、何故だろう、と。


エイジは、病院から帰って来たも同じ小学校に通うのだと思っていた。との登下校を楽しみにしていたのだ。しかしは学校へは行かなかった。


彼はいつまでたっても人形のままなのだ。
ゆっくりと、着実に、エイジはの病気が治っていないことを理解した。
両親が泣きながら、は長生きが出来ないと言っていたのを聞いてエイジは茫然とした。
いつだって事実はあとからついて来る。の退院は、大魔王からの解放ではなくて、世界からの追放だったのかもしれない。
でも、はすやすやと寝息をたてているのに、どうして死んでしまうのだか分からなかった。心臓が悪いと言っていたが、胸に耳をぺたりと当てたら、鼓動が聞こえる。この心臓は仮ものなのだろうか、とエイジは心音を聞きながら、まどろみの中に落ちた。


夢の中で会ったには心臓がなかった。だから、エイジは流れ星を必死で追いかけて捕まえて、キラキラ光るそれをの胸に入れてあげた。そうしたらその星は心臓になって、は嬉しそうに笑った。
「綺麗な心臓をありがとう」
エイジはその言葉に胸がいっぱいになって、ふにゃふにゃ笑いながら目を覚ました。ところがの姿はそこになくて、自分の頬に畳みの跡がついているだけだった。そして、の笑顔は思い出せなくなっていた。実際に見たことがないのだから当たり前かもしれない。
しかし次の日、はエイジのスケッチをみて笑った。
エイジはすぐに、その顔を記憶して紙に起こした。
「上手だね」
褒められたことよりも、がエイジをみて、興味をしめして動いたことが、エイジにとって嬉しかった。
夢を介して、は流れ星の心臓を受け取ってくれたのかもしれない。そうだ、も自分で心臓を調達できるように、羽をあげたら良い。そう思いながら、新しいを生み出した。
動かない可哀相な人形のではない、笑って空を飛ぶだ。




十五歳になって、エイジは漫画家としてデビューした。
初めての賞金も、その後にいくつかとった賞金も、ほとんどを家庭に入れた。と家族が楽になれるように、と思っていた。
が家に戻って来てからの三年間で、が笑うのも、寂しそうに遠い目をしているのも、発作を起こして病院へ運ばれるのも、エイジは間近で目にして来た。
の身体はやはりまだ脆い。




、僕ヒーローになります」


流れ星の心臓ではなくて、本物の心臓をあげなくては駄目だと分かった。




上京して二年目の夏、真城がアシスタントとしてエイジの元へやって来て、福田とともにCROWの五話についてエイジにアドバイスをした。おかげで、これからのことを考えるようにもなった。折角なのでエイジは次の話について意見をあおいでみるが、五話のみの手助けだと福田に言われてしまい、一考する。
「じゃ、味方だします。ノートノート、ノートどこですー」
ばさばさ、と書類やノートの束を漁るが、エイジの目的のノートは出て来ない。
ノートとは何のことだろうと首を傾げる真城をよそに、あっと思い出して引き出しを開けるとスケッチブックがぎっちりと詰まっていた。
「大切なノートだから引き出しに入れてたです。どれがいいか……とにかく飛べる……あーっ確か四年生の時スズメのマンガ描いたからあれです!」
ぱらぱら、と記憶を頼りにページを捲る。
「新妻くんそれキャラ表?」
「小学校入った時からマンガ描いてるから色々使えるのあるです」
福田の問いに頷きながら、懐かしい絵を見て笑う。あの頃の思い出や高揚感が、再びエイジの胸を躍らせるのだ。
「CROWも小学生の時描いてたキャラですし————あ……」
言いかけて、エイジは床に落ちていたスケッチブックをきょろきょろと見て、手早く何かを探し始めた。


その様子に、考え事をしながらエイジの声を遠くに聞いていた真城も、エイジに親近感を抱いて笑っていた福田も、訝しげに首を傾げた。
「あった!」
何かを見つけて、嬉しそうな顔をしたエイジの手元を、二人は覗き込みに行く。
「子供?」
「僕の弟です」
CROWの元になったデフォルメされたカラスや、スズメのマンガのキャラクターとは一線を画し、人の形をしていたそれは、やけに精巧に見えた。
「へえ、弟いんだ。いいじゃん、モデルが居ると捗ったりするよな」
「はい、味方だし、丁度いいです」
モデルがいたから人型だったのかと、真城は納得する。
同じページには、子供が笑う顔、寝そべっている姿、せんべいをほおばる姿なんかも描いてあった。
「しゅぴーん!流れ星をつかまえられる、ハイスピードなLITTLE CROW!」
エイジはそう口走りながら、十歳の頃のをキャラクター化した。

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主人公に羽が生えているくだりは、天使ではなくてクロウの伏線でした。めずらしく天使じゃないですよ。めずらしく。
Dec.2013