04
佐為と出会ったヒカルは碁を始め、己の力で打つようになった。それがとても楽しいことだと実感してから、に一歩近づいた気がした。
ヒカルにとっては一つ年下の従兄弟である前に、頼りになる家族という認識でいた。親に怒られるときに付き添ってくれるのも、友達と喧嘩した時に愚痴を聞いてくれるのも、宿題が間に合わなくて泣きつくのも、全部だ。
そんなは小さな頃から、祖父の家でよく囲碁をして遊んでいた。最初はヒカルも、簡単な五目並べをやってみたことがあったがすぐにゲームや運動をしていたほうが楽しいとやめて、だけは祖父と縁側でお茶を飲みながらのんびり過ごしていた。ヒカルにとってそれは、大層つまらない状況だったが、は運動が好きではないらしく、ヒカルと一緒に駆け回ることはなかった。
しかし今は、がやっている、ヒカルの知らなかった囲碁を知った。
それが、少しだけ誇らしかった。
春の電話で打ち合おうと約束をしたのに、ヒカルもも互いに会う約束を取り付けていなかった。
夏になればヒカルはインターネットで佐為に碁を打たせることに精を出し、は親に言われて夏期集中講座に通っていたから、仕方が無いともいえた。
「ヒカル、私はあの子……とも打ってみたいです」
「はあ?」
夏休みの宿題を片付けているヒカルに、佐為は零した。
と佐為は、ヒカルの祖父の家で相対していた。もちろん、に佐為の姿は見えていないため、佐為の一方的なものではあった。佐為はあのとき、に何かを感じた。それは、ヒカルではなくてに憑けば良かったというその場だけの感情ではなかった。
「駄目だよ、はオレと打つんだもん」
「そんなあ!」
佐為がと打ったら、ヒカルがと打てなくなるということは、これまでの経験上わかっていた。まだヒカルが碁を打てなかったころに出逢った人達のような勘違いを、身内にまでされるのは御免なのである。
「では、あのハコにを入れてください!」
「無理にきまってんだろぉ!」
残念そうな佐為は、触れないがヒカルに縋り付いた。
「それにもう夏休みも終わるし、ネット碁もできないんだってば」
「う、うう、うう……」
しくしく、と背後で霊に泣かれるのも、ヒカルはすっかり慣れた。あまりにも佐為の感情が昂るとヒカルにも影響を及ぼすが、もう一年も一緒に居る為、感情豊かな佐為にいちいち引っぱられることはない。
「つーか、どうしてなんだよ。塔矢よりは全然弱いと思うぜ?」
「わたし、気づいたんです」
「ん?」
がアキラより下だというのは、真実でありながらもヒカルの勝手な決めつけでもあった。
ヒカルはシャープペンシルを慣れた手つきで回して笑っていたが、佐為が急に落ち着きを取り戻して真面目な声を出したので佐為の方を向いた。
「はなんだか、虎次郎に似ています」
「また秀策ぅ?」
哀愁漂う佐為の表情とは反対に、ヒカルは思い切り顔を顰めた。
佐為は、二言目には虎次郎なのだ。虎次郎は心優しい子だった、虎次郎の手筋はどうだった、虎次郎はこんなことをいっていた、と歴史よりも虎次郎の生涯を多く語られた覚えがある。秀策の碁については今は興味があるが、虎次郎の人生なんてヒカルにとってはどうでも良い。
「虎次郎は私と出会ってから、私としか打ちませんでした」
ヒカルの興味無さそうな顔をよそに、佐為は思い出語りを始めた。
また始まったよ、と思ったが佐為は虎次郎の話を最後までやめないので、ヒカルはいつも聞き流すことにしている。
「私の打ち方がとても好きだと、綺麗な碁だと、褒めてくださいます。それでね、ヒカル、私も虎次郎の打ち方がとても好きなんです。打っている間は意思の読み難いものばかりなのに、全て慮った上での手です。時折虎次郎には驚かされていました。もっと驚いたのが、……聞いてます?ヒカルぅ!」
「はいはい聞いてるよぉ」
数学の計算をしていたため、ヒカルは全く聞いていなかった。
夏休みの夜は、大抵こんな風に更けて行く。
二学期が始まってすぐ、ヒカルは佐為の相手を出来るのがとうとう自分しか居なくなったと腹を括った。秀策なんてネット碁もない時代に佐為とだけ打ち続けていたのかと思うと、ヒカルはげんなりする。
とりあえず碁盤を手に入れるためにアテにしたのが祖父だ。今ならそこそこ相手になれるはずだとヒカルは踏んでいる。
「あれ、ヒカル?」
祖父の家を訪ねるためにいつも帰る道を違えて歩くと、脇からがやってきた。の家は電車で一駅離れたところだった為、この近くで会うのはつまり、ヒカルの家か祖父の家に行く途中ということだ。
「もじいちゃんち?」
「うん。夏休みは勉強尽くしだったから気晴らしに打とうと思って」
「オレもじいちゃんと打つんだ!そしたらオレと打とうぜ」
「ヒカル二局もできるの?」
「できるにきまってるだろ!?お前オレを何だと思ってんだよ」
「黙って座っていられない子」
ぴっと指をさされて、ヒカルはカチンと固まる。背後で佐為はぷっと笑った。
「今日!けちょんけちょんにしてやるからな!」
「それは楽しみ」
はヒカルの宣言に、嬉しそうに笑った。
「俺、強い人にばっさり斬られるの好きだから、強くなってねヒカル」
「なんだよそれ、お前、あれなの、M?」
「違う。……強い人の碁っていうのはさあ、綺麗なんだ」
夏の講習の行帰りの所為かほんの少し焼けた腕をすっと伸ばして、碁を打つような手つきをしたは、遠い所を見て微笑んでいる。
その先には、誰もいないのに。
手折られるのを待つ花のようなからヒカルは視線をそらせず、足を止めた。
「」
「ん」
ヒカルが足をとめて名前を呼んだことに気づくまで、は三歩先を歩いていた。振り向いたはまたいつもどおりの、表情の乏しい子供にもどっていた。
「なんでもない」
未亡人臭がしてきましたね。
Apr.2015