harujion

墨と彩

07

学校の先生と塾の先生と両親に猛プッシュされて、私立の中学校を受験した。
入学後、囲碁部があるとクラスメイトに聞いて入部してみたはいいが、切磋琢磨していく雰囲気が俺には合わなかった。一週間で辞めて、ただの帰宅部となった。

五月の頭、俺は中学でアキラに再会した。
偶然入った碁会所でアキラと打ったのは本当に一度きりで、まさか覚えられているとは思わず、当時きまぐれに偽名を残して行ったことを少しだけ申し訳なく思った。運が良いのか悪いのか、尹先生が傍に居たことで俺の名前はすぐに知れたけれど。
「これから一局打てないかな、時間ある?」
「良いですよ」
当たり障り無くその場を切り抜けて来たが、アキラは俺を追いかけて来た。
本屋さんに行こうと思っていたけれど、アキラの誘いを断る理由にはならなかったし、プロ入りして更に強くなったアキラの碁を見られるのは良い機会なので、誘いを受けた。

駅まで歩き、電車に乗り、それからまた少しだけ歩いているとき、アキラは他愛ない会話をおりまぜた。その中で、俺と打筋が似ている人が居るという話を聞いて疑問に思った。俺は打つ人打つ人に、定石が古いと言われる。それから、秀策に似ている、とも言われる。もちろん二十年あまり秀策としか打たなかった所為だし、現代の定石を使わないのは俺のこだわりのようなものだ。俺は、彼と打つ碁が好きだったし、彼に作られた今の俺の手筋を誇らしく思う。もちろん、他人の良い手を取り入れることはあるが、奥底には佐為が居ないと嫌なのだ。
深く聞かなかった俺に、アキラも今直ぐ事情を話して来ることはなく、囲碁サロンのあるビルに入って行った。
「いらっ……あ、アキラくん!」
自動ドアがあき、いつぞやの受付嬢がアキラの来店に喜びの声をあげているのを、彼の後ろで聞いていた。
「若先生」
「新聞みてますよ、デビューから三連勝。絶好調ですね!」
「ありがとうございます」
他の常連客とおぼしきおじさんたちも、アキラに声を掛けている。
受付嬢の市河と呼ばれる女性は、アキラににこにこでれでれしつつも、俺の存在に気づいて少し驚いた顔をした。アキラが中学生を連れて来たのが珍しいようだ。勿論俺のことなんて記憶にはないだろうけど、アキラが以前も此処に来たと教えたら思い出したように反応をしめした。
「あのときの子!アキラくんが名前を確かめるなんて珍しくて……その少し後に進藤くんが来たから忘れてたけど」
「進藤くん?」
俺はその苗字に首を傾げた。アキラが俺を偽名で呼び止めたのだから、市河の言う進藤くんは俺じゃない。
「市河さん、彼も、進藤くんなんだ」
「え?そうだったかしら」
「……進藤です。名前書くんでしたっけ」
「いいよ。奥行こう」
「はい、あ、これもお願いします」
市河に鞄を預けて、奥に行ってしまったアキラを追った。

「互先でいいかな」
「え?」
まさかプロの口からそんな提案が出るとは思わず、アキラの顔をまじまじと覗き込む。
「君の本気が、見たいんだ。ボクを叩き潰すつもりで打ってくれないか」
「えと……がんばります」
本気も何も、手加減しているつもりは無いのだ。そういう手筋であるのだから仕方が無い。
とりあえず、アキラに勝てるように頑張るしか無いと、腹をくくって石を握った。

当然俺の投了に終ったけど、アキラは碁盤を見つめたまま動かない。
「先輩?」
指導でもしてくれるのだろうかと声をかけると、はっとして俺を見る。
「よく似ているけれど違う……saiでは……ないか」
「さい?」
聞き返すと、アキラは頷いた。
「インターネットで碁を打ったりは?」
「いいえ。家にパソコンはありませんし、店に行く程でも」
ああでも、ネット碁なら碁会所よりも安いかもしれない。次からはネットカフェにも行ってみよう。
そんなことを考えながら、俺は碁石を片付ける。
「ネット碁のハンドルネームなんだ。進藤くんと、少し似ている」
「どんな碁だったんですか?」
アキラは小さく頷いて、碁を並べ始めた。その手は佐為のものだけど、定石が現代のものになっていて、俺の知っている佐為よりも強くなっている。美しく洗練された手筋に、俺はつい顔が綻んだ。
「良い一局ですね。———この人俺じゃなくて、本因坊秀策に似てます」
「君も、秀策に似ている」
言い換えればそういうことなのは確かで、アキラの探るような目線を身体に受ける。
「俺は秀策が好きなので。……saiもそうなんじゃないですか?」
「ただ好きなだけなら、ここまで似ないと思ったんだ」
「そうですかね……」
なんと言ったらいいものやら、と口ごもりながら頬を掻いた。ふいに、誰かがこちらに歩いて来るのが見えたので、アキラから視線を外した。アキラがそれに気がついた時には、白いスーツを着た男性がアキラの後ろから碁盤を見下ろしていた。
「緒方さん」
「珍しく連れが居ると思ったら、インターネットの君とsaiの一局を並べてみせていたのか」
「こんにちは」
顔にまで詳しくはないけど名前と此処に居ることをふまえれば、緒方もプロだと思い出した。
俺が会釈をすると、黙礼を返してアキラの隣の椅子にかける。そして懐から煙草を出して吸い始め、アキラとsaiの話をしていた。
連れを放置するとは二人とも良い度胸である。まあ、話に入りたいとは思っていないけど。
ただ、途中で進藤という名前が出て来たので、俺は碁盤から視線を外して緒方を見た。
「あ、進藤くんのことじゃなくて……」
「ですよね」
俺が顔を上げた気配に気づいたアキラがそっと訂正する。
「君も進藤と言うのか」
「はい」
珍しい苗字ではない為、二言三言だけ会話がそれただけだった。
若獅子戦に進藤とやらが出て来て、アキラとも戦うとか。どうもプロ入りはしていない人物のようだ。若獅子戦は多分院生が出るもので、つまるところ、いつのまにか院生にまでなっていたヒカルにも合致する。
緒方が指導碁を頼まれて立ち上がって、アキラが胸ポケットから紙を出して見つめている間、俺は沈黙を守って座っていた。

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紛らわしい進藤二人です。
主人公は心の中で敬称をつけないので、日本人相手だと書きにくい。
July.2015