09
夏休みでも海王中は補習があって登校しなければならない。進学校はどこも一緒なんだなと思いつつ、昼過ぎに家に帰れば、リビングに母と叔母が居た。
「あら、お帰り」
「ただいまあ」
駅から家まで外を歩いて来た俺にとって、クーラーの効いた部屋が心地良く、はふうと息を吐いた。
「お帰りなさい、お邪魔してるわ」
「叔母さんいらっしゃい」
家同士は遠くはないけれど、うちは父親同士が兄弟だから母と叔母がこうして二人で会っているのが意外だった。決して仲が悪いわけではないし、外で会ったらお茶をしてきたりとかしているらしいけど。
「補習尽くしなんですって?大変ね」
「んー面倒だけど、内容は大した事ないよ、復習だし」
「ああ、ヒカルは大丈夫なのかしら……」
「ヒカル成績やばいの?」
冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎながら、ソファに座っている叔母と緩く会話する。
「ヒカル、プロになるんだって」
「んぇ?」
母が言った言葉を聞いて、思わず変な声が出た。
一拍遅れて麦茶を一気に飲み干し、唇についた水滴を拭う。
二人を見ると、神妙な顔つきをしているから決して冗談ではないだろう。そして、叔母はこのことを相談しにきたのだ。
叔父と祖父にもとっくに相談した後らしいから、母に対しては世間話かもしれないが。
「、ヒカルから何か聞いてない?よくうちで碁も打ってってるじゃない」
「いやヒカルからはなんも」
「やっぱり」
叔母は少しがっかりしたような顔をしている。
「心配しなくても、ヒカルなら受かるんじゃないかなあ」
「え、」
二杯目の麦茶をとぽとぽと注ぎながら言えば、叔母は少し驚いた声をあげた。なんだ、受からない可能性の方が高いと思っていたのか。いや、たしかに碁が強いか否かなんていうのはやっている人たちにしか分からない。祖父でさえ、ヒカルがプロになれると断言はしていないだろう。
「おじいちゃんもうちの人も、そう簡単にはなれないから大丈夫って」
「あーそうなの?まあどっちにしろどっちかだから」
「あんた適当なこと言わないの」
不安そうにしている叔母を見て、母が俺を窘めた。
もう余計な事は言わないでおこう。
「うんごめん、じゃあ俺課題やるから。ごゆっくり」
麦茶の入ったコップを持って、そそくさとリビングから逃げ出す事にした。
叔母曰く此処数日ずっとプロ試験を受けに棋院に行っているらしいので、次の日の補習帰りに訪ねてみた。実際に中に入るのは初めてで、あたりを見回してからまずは受付らしきところへ行く。
「あの、プロ試験に出てる人の身内なんですけど」
「ああ、ええ」
年配の女性がにっこりと笑う。
「覗いたりとかは、できないですか?」
「中にはちょっと」
実際に中に入る事は出来ないようだけど、エレベーターを降りたところが玄関だというので、そこでなら待っていていいと言われた。
昼になればさすがに一度出て来るだろうと楽観視して、壁に寄りかかっていたけれど静謐な入り口をじっと眺めているのは五分で飽きる。
ふいに、俺の側のエレベーターが開いて人が出て来た。ヒカルの事を聞いてみようと思って、出て来た人に顔を向けた。そこに居たのは若い青年で、俺とばっちり目が合うと素直に少し驚きを露にした。
「誰か待ってるの?」
「予選に出てる進藤ヒカルを」
俺が口を開くよりも先に、人の良さそうな笑顔で彼は口を開いた。話が早くて助かる。
「ああ、進藤くん」
「知ってるんですか?」
「うん、見て来てあげるよ……と、君の名前は?」
「進藤。ヒカルの従弟です」
自己紹介をすると、彼は改めて俺の顔を見た。似てる所を探してるんだろうけど、俺はヒカルとは似ていない。
「へえ、従弟。オレは冴木光二、進藤くんの兄弟子って感じかな?一応ね」
「あ、そうなんですか。いつもヒカルがお世話になってます」
「あははは、しっかりしてるな。ちょっと待っててね」
凄く爽やかな人だなと思いながら、冴木の後ろ姿に会釈をして壁に背中を預けた。
彼とのすれ違い様に同年代くらいの少女が出て来て自販機の影で電話を始めたのを見送っていると、ヒカルが同年代の少年と一緒にやってきた。
「!」
ヒカルが俺に声をかけるとすぐに、先ほどすれ違った少女が受かったと電話で言っているのが聞こえ、ヒカルと隣の子の視線が自販機の方へ移る。そこからじゃ少女の姿は見えないだろうけど、二人は顔を見合わせて喜んでいたので、知り合いだったのだろう。それからやって来た小柄な少年にも声を掛けて喜びを分かち合っている。どうやらヒカルと仲の良い子たちは皆通過したらしい。
「ていうか!なんでここにいんだよ!」
「だれ、知り合い?」
「イトコ!」
和谷というらしい子と一緒に慌ただしく靴を履いて出て来たと思えば、俺に噛み付く勢いで声をあげた。
「冴木さんって人に聞いた?呼んでくれるって言ってたけど」
「あ、うん」
「ちゃんとお礼言った?」
「言ったよ!」
ヒカルにぱしんと肩のあたりを叩かれる。
「その制服、海王か」
「あ、そういやそうだな。塔矢と一緒」
和谷は俺の服装を見て呟いて、ヒカルは今更気づく。
俺一応何度か制服でヒカルの家にも行ったんだけど。
「アキラ先輩ならこの間見たよ」
「アキラ先輩ィ!?お前そんな呼び方してんの?」
「ってことは、進藤より年下!?」
「あ、はあ」
二人とも詰め寄って来たのでそっと身体を引く。
「俺、年上に見えます?」
「いや進藤に対する感じがさ。あ、敬語じゃなくていーぜ」
和谷はきさくな感じで笑った。
「そう。……ヒカルに比べられるとなあ」
「アハハ」
「なんだよそれ、どういう意味だよ!笑ってんじゃねー!」
「ヒカル、しーっ」
もう試験は終ったみたいだけど、棋院内で騒いだら駄目だろうと宥めると、ヒカルは口に手をあてて黙った。
院生になったってことはプロになるってこと……っていうのは主人公もあんまり分かっていませんでした。プロ試験があるってことも知らなくて、でもプロになるならなれるんじゃないかな〜くらいには思ってます。
July.2015