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ヒカルは本当に碁が強くなった。
プロになる試験で大人と打つのに怯えてしまったと思えば、碁会所では年配の方々とあっさりうちとけてしまったり。
苦手だった目算もヨセも正確になって来て、攻守の均衡がとれた碁が打てている。
私の教えのおかげ?と笑っってから、ヒカルの打った手をじっとみる。
「どうした?佐為」
「このあたり、ヒカルの打ち方が私みたいで」
「あ、わかった?おまえだたらどう打つかなって考えてそこ打ったんだ」
そういえば、虎次郎のほんとうの碁も、私に影響されてよく似ていたように思う。元々基本に忠実で型ばった碁ではあったけれど、三十年近くともに過ごし、私とだけ打っていた虎次郎の晩年の碁はとくに、私に似ていた。けれど、私とは違う穏やかで優しい意図が見える碁だった。
「自分でちょっと手が思いつかない時なんかやるんだぜ。そうすると上手い手が浮かんだりな」
ははっと笑うヒカル。
いつも一緒に居るからと言われて、いつまで一緒に居られるかと、少し不安に思ってしまった。
以前は虎次郎が小さな子供だったころから、大人になって病で亡くなるまで傍にいたけれど、今の私がヒカルと共に居られる保証はどこにもない。消えないと確約できないのが、もどかしい。
けれどそれはとるに足らない事で、私はヒカルを見守り、碁の未来を見ることに、今は身を委ねようと思う。
———どうしても不安が拭えない。
ヒカルは過去にヒカルを通して現れた私と自分の差に困っていたけれど、今や誤摩化せる程には上達している。過去の私が、だんだんヒカルのものになってしまって、私のことなど誰も分からなくなってしまう。
虎次郎はこんなことなかった。それもそのはずで、あの子は私の為に碁をしてくれた。ならば、あの子は私のような思いを抱いていたのだろうか。
ヒカルが碁のプロになって、自分の事のように嬉しかった。
けれど、抑えていた不安が、じりじりと私の身を焦がす。
これからヒカルは沢山の対局がある。私が彼の者たちと相対することはかなわない。せっかく塔矢行洋との対局が決まっても、ヒカルは私に打たせるとは言ってくれなかった。それどころか、三人目に憑いた時にでもと言われてしまう。それは、ヒカルはもう私に打たせてくれる気がないということ。
茫然と、彼の後ろ姿を見つめた。
分かっていた。そもそも、虎次郎のようにその人生を私に捧げてくれというのが、おかしな話だったのだ。
あの子はもはや私の伴侶と言うべき存在。ヒカルは、違う。
ヒカルに出会えた事は嬉しく、碁を知ることは楽しくあった。けれど、虎次郎の居ない私は、この世の何にも触れることがかなわない。
来客を告げる鐘が鳴り、ヒカルは慌てて階段を下りて来た。
「はいはーい」
「ヒカル?」
扉を隔てた向こうから、私も知っている声がする。
顔を思い出すだけで、胸がほっとする。虎次郎と似た優しい碁を打つ子供。欲の無い言動や、負けるのも楽しいと言うところは、あの子に似ている。
「じゃん、どうしたんだよ」
「プロ受かってから、ちゃんとお祝いしてなかったから」
「そーだったな!なに?なんかくれんの?」
「シュークリーム買って来たけど」
わーい、なんて喜びながら、ヒカルはを家に招き入れた。
は部屋に、ヒカルは台所にお茶を淹れに行って別れ、私はしずしずとのあとをついて行く。
ヒカルの部屋にはまだ新聞が広げたままだったから、はうわっと声を漏らした。
「ああ、すみません!私が広げっぱなしなんです!」
聞こえないと分かっていても弁解をしたくて、後ろから声をかける。
「……塔矢名人。気になってんだね」
ぽつりと呟いた声に、そうなんですと私は頷いた。
それから打ちかけの、ヒカルと私の碁を見て、は小さく笑う。
「ふたりでうってたの」
笑い声の中から聞こえた、その言葉の意味を問いかける前にヒカルが戻って来た。
「あ、わりー。今ちらかってんだった」
「お茶ありがと」
はお茶を乗せたお盆を受け取って机の上に置き、ヒカルが慌てて新聞を片付けるのを手伝っている。
「塔矢名人が気になってるんだ?」
「!あ、これ?そーなんだよ!新初段シリーズが今度あるんだけどさ、オレの対局相手なんだよな!すげーだろ」
「すごいね、頑張っておいで」
とヒカルは、まるで兄弟のような、親子……いえ、孫と祖父のようなやりとりをしていた。
あの子は私に気づいているのでしょうか。
ヒカルのおじいさんが碁盤に憑く幽霊の話をしていた時から、妙に冴えた事を言っていた。
私は時々思う。私が碁の神様にこの世に留めてもらえたのと同様に、虎次郎が再び現世に生まれてきたのではないか、と。
佐為視点です。さりげなく伴侶扱い。伴侶:つれ。なかま。一緒に連れ立って行く者。ですからいいですよね!!
July.2015