harujion

墨と彩

16

年が明ける前に、ヒカルは小学生みたいに怒りながら当分アキラの居る碁会所には顔を出さないと宣言した。また喧嘩かと思ったけどそんなのはいつもの事だ。よくよく聞いてみれば、日中韓Jr団体戦、北斗杯のメンバーにアキラは最初から入っていたことで焦りと違いを感じたからのようだった。『神の一手はオレが極めるんだ』ときりっとしながら言ったヒカルに俺は頷くだけだった。
佐為はヒカルがどんどん強くなって行こうとする姿が嬉しいらしく、その気持ちが俺にまで流れて来て胸がぽかぽかした。でもこれは佐為だけの気持ちではないかもしれない。俺も、ヒカルが囲碁にここまで傾倒してくれて嬉しいのだと思う。

冬休み中はネット碁をするかヒカルと打つかだったけど、久々に俺も打ちたくなったので年が明けてからアキラの居る碁会所に顔を出す事にした。佐為はこういう時自分の事のようにはしゃぐ。
囲碁サロンに顔を出すと、コーヒーと煙草が混じった特有の香りがぶわりと押し寄せて来て、寒さで痛かった頬があたたかさで緩む。
「あら、くん、久しぶりね」
「あけましておめでとうございます、市河さん」
「おめでとう」
出迎えてくれた市河はにっこりと笑って俺のコートを受け取る為に手を伸ばした。
「寒かったでしょう、ほっぺも鼻も真っ赤!あとでココア持って行ってあげるわ」
「ありがとうございます」
常連になるつもりはなかったが、ヒカルがついて来いと言うし佐為が嬉しそうに行くと言ってはしゃぐから、すっかり顔見知りになってしまった。
幼い見た目なせいか彼女はいつも俺にだけココアを出す。まあ、実際コーヒーよりもココアの方が好きなんだけど。
他の常連のおじさんたちも、ヒカルが来なくなったからてっきり俺も来ないんだと思っていたようで、次々と声を掛けて来た。
ココアを飲みながら、顔見知りのおじさんと打っているところアキラがやってきた。そっと耳を傾けていると、どうやらアキラは中国語と韓国語を勉強している話が聞こえる。ヒカルはそんな気配全然無いけど大丈夫だろうかとか、俺も昔喋れたけど今も喋れるっけとか、色々な事を考えていたらアキラが俺に気がついてこちらにやってきた。
「やあ、くん」
「アキラ先輩、あけましておめでとうございます」
「おめでとう。今年もよろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
新年の挨拶を丁寧にかわしながら、すぐに目の前の碁に戻りながら隣でアキラたちの話を聞く。どうやらアキラ贔屓のおじさんがヒカルについて色々言っているようだ。佐為が特に五月蝿い。
「あの者、ヒカルの悪口を言ってます!!!聞こえてますか!?」
はいはい、と心の中で流しながら、目の前の碁に集中した。佐為もすぐに俺が碁の最中だと気づいて黙ったけど、悔しいですと背後でじめじめ零していた。仕方が無いのだ。ヒカルはまだ大きな功績を残せていないし、名も売れてない。
身内として俺が、ライバルとしてアキラが、誰よりも傍に居た佐為が、ヒカルの力を知っているのだから今はそれで良しとしよう。
どこかの死神と違って佐為には声に出さなくても伝えようと思えば声を伝えることができるから、佐為を無事諌める事が出来た。

くん、次はボクと打とうか」
「え、良いんですか?」
対局が終わったところでアキラが丁度よく声をかけてくる。
佐為とかヒカルと打てる時点で得だけど、アキラと打つのも大分貴重で少し嬉しくなった。学校の後輩でもありすっかり顔なじみだけど、やっぱり簡単に打てる相手ではないのだ。
ったら、私と打つときより嬉しそう」
そんなことないない、と言い訳をしつつ、相手をしてくれていたおじさんが行っておいでと言うので片付けもそこそこにアキラの前の席に移動する。
「先輩、中国語と韓国語勉強してるんですね」
「あぁ、聞こえてた?そうなんだ。これからの為にね」
「やっぱり囲碁界にいると、覚えていた方がいいんですか?」
「うーん、知ってるに越した事はないんじゃないかな。繋がりがあるし、強い相手もいるから」
「じゃあ……ヒカルも」
「……無理じゃないかな?」
「……」
アキラもよくヒカルの性格が分かってるようだ。本人にこそずばっと無理だと言うだろうけど身内の俺に対しては苦笑を浮かべてみせる。俺もがくりと肩を落として項垂れた。
「いざとなったら俺が……いや、そこまで甘やかしたら駄目かな」
はヒカルに甘過ぎますよ!」
ヒカルの両親やあかりあたりにはよく言われていたが、とうとう佐為にまで言われた。
「さすがに、進藤の為に覚える必要は無いんじゃないかな……?」

対局が終わった後、家に帰ろうとする俺にアキラも一緒に行くとサロンを出た。
「進藤はどうだい」
「北斗杯に出るって息巻いてますよ」
佐為と打つのも勉強になるからと、よく家に呼び出されている俺はヒカルの気迫をよく見ていた。
アキラだって俺に様子を聞かなくても棋院で顔を合わせているはずだけど、双方口をきかないようにしているみたいで、なんだかじれったい。割り切ればいいのに、と思ったら佐為から、あなた程器用な性格じゃないのでしょうねと言われた。
「そういえば最近よく図書館にいるね」
「課題を片付けてるんです。……家だとパソコンさわっちゃうし」
正確には佐為に誘われるのだけど。
「パソコン?」
「あ、買ってもらったんですよ、少し前に」
「へえ」
私立の進学校なだけあって、やはり課題が多い。佐為の誘いを断るのも出来ない程に子供じゃないけれど、パソコンのない環境で片付けてから帰った方が気分が良いのは確かだ。
「———俺もなんかやろうかなあ……」
「え?」
ぽつりと呟いた言葉に、アキラは首を傾げた。
今の俺はわりと退屈な人生を送っている。もちろん、イヤな訳じゃない。囲碁は楽しいし、勉強は嫌いじゃない。苦手なことはいつまでも苦手なままで、一度やったことでも長い年月思い出さなければ忘れていて勉強し甲斐がある。
「目標がないんですよね」
ただの十三歳の言葉とすれば、何を言っているのやら、だ。アキラやヒカルのように未来を見据えて、進む道を決めている子の方がすくないというのに。
「まだこれからだよ」
「そうですね、なんかヒカルとアキラ先輩を見てると、俺暇人なんだなーって思って」
そういうと、アキラは苦笑した。

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このときの主人公は驚く程地味でほのぼのとした生活を送っていると思います。佐為が居るので潤いはありそうですけど。(勝手な見解)
Dec.2015