harujion

墨と彩

17

「掉了!」

耳に入って来たのは日本語ではなくて、雑踏の中で聞いたから聞き逃してしまいそうな言葉だった。
けれどすぐにそれが中国語で、落ちたよと何かを知らせてくれていたのを理解して振り向いた。
「落としましたよ」
知らせてくれたのは子供っぽい少し高い声だったけど、言い直されたのは日本語で大人の声だった。やっぱり俺は何かを落としたみたいだ。声をかけなおしてくれた男性が手を差し出してこっちを見てる。
「あ、謝謝」
拾ってくれた人と、その周りにいて足を止めていた人を見ながら受け取って、落としたものを見る。以前ペットボトルのお茶を買った時についてきたストラップ型の画面拭きで、女優の顔がプリントされているから正直要らないものだった。だからといって道端に捨てていくのはいけないことだから、拾ってもらって良かったんだけど。
「マサミ!」
俺の手の中をちらりと見て来た、背の低い子供はあっと目を丸めてと言った。彼はこの女優を知っているのか、もしかしたら好きなのかもしれない。
メンバーをみる限り、多分俺に知らせてくれたのはこの子だ。
『しらせてくれたのは君?この人好きなの?』
『!うん』
なんとか記憶を振り絞って中国語をひねり出すと、男の子は少し驚いてからにこっと笑った。
『よかったらもらって』
地面に一度落としたものだけど、袋に入っているし、いま落としたばかりで踏あれてないから失礼ではない筈。
彼に差し出すと嬉しそうに受け取ってくれて、隣にいた背の高い男性を見る。
『お前すでに一つストラップ持ってただろ!どっちかくれよ』
『深キョンとマサミは違うもん』
日本語で言い直してくれた男性と子供が軽く言い合っている。
『じゃ、これで』
『ああ、ありがとう』
「アリガト!」
北斗杯の会場ホテルに行く用事があったのですぐに別れたけど、どうやら同じ方向だったみたいで、ホテルにつくまで彼らは近くを歩いていた。もしかして、中国側の選手だったのだろうか。だとしたらチェックインを済ませたり色々あるだろうから、俺は早く来過ぎたのかもしれない。
———ヒカル、緊張してないといいけど。と、心の中でぼやく。
これは佐為に聞こえるように。
「そうですね、随分怒ってたみたいですし」
「佐為が馬鹿にされたーってね」
「それはあなたのこともでしょう」
「ヒカルは俺が虎次郎だって知らないもん」
「あれ?そうなんですか?」
「うん」
さすがに前世の記憶を持っているとは言ってないので、ヒカルはただ佐為が俺に鞍替えしたようにしか見えてない。本当は元鞘である。
高永夏に秀策のことを馬鹿にされたと憤慨しているヒカルだけど、当の本人である俺達二人は大して気にしていない。
馬鹿にされて平気なの?と問いかけあったものだが、互いのきょとんとした顔をみて、ああ別に気にしてないなと確認した。
俺達は二人で一つの本因坊秀作でありながら、佐為と虎次郎という別人であり、二人のどちらも本因坊秀作ではない。俺は、秀策は佐為の腕ありきと思っているし、佐為は俺の身体ありきと思っているので、あまり自分自身が馬鹿にされたという認識は無い。
もちろん、碁打ちとして馬鹿にされたなら佐為は怒るだろうけれど、ヒカルが滅茶苦茶怒ってたことと、実際に本人が口にしているのを見たことがないのでまだ怒るには至らなかった。
「ヒカル、勢いつけ過ぎてこけたりして」
「そうですねえ」
扇で口元を隠した佐為をちらりと見てから、会場の中にヒカルの姿が無いか探した。
俺達は一般客のようなものなので、選手とすれ違うことはあまり無さそうだったけれど、見知った顔を見つけて近づいた。
「和谷さん」
「あれ?お前進藤んトコの」
「和谷の知り合い?いや、進藤の知り合い?」
「イトコの進藤です」
椅子に座っていた二人組のうち片方がヒカルと同期でプロになった和谷という人物で、何度か顔を合わせたこともあった。
その隣にいた人は名前だけは知っている伊角という人物らしい。彼自身もどうやら俺の話をちらっと聞いた事があるみたいであっと声を上げてから頷いていた。
「ヒカルのこと見なかった?」
「いや、見てないけど。連絡とってないのか?」
「携帯忘れてったから届けに来たの」
「うっわ〜」
呆れた顔の和谷の横で、伊角はそっと苦笑して、さっきの俺と同じように周りを見る。
「選手はまだ誰もレセプション会場に来てないみたいだな」
「ここにいれば会えるだろ。お前もここにいたら?そのうち会えると思うぜ」
「うん」
「ふっふっ、楊海さん達がおまえを見てどんなに驚くか楽しみだ」
傍に立って待っていようとした俺の横で、伊角は思い出し笑いをする。何のことだか分からないけど、すぐに伊角はあっと声を上げて入って来た人物に声を掛けにいった。
その人物は丁度俺がさっき会った四人のうちに会話をした二人組で、楊海と趙石という中国の選手のようだ。楊海は引率というか団長のようなものらしいので選手ではないけど。
「楽平!!」
和谷の顔を見た趙石と楊海は驚いてからまじまじと和谷の顔を見る。
伊角はその様子を嬉しそうにして喜んでいて、後の楊海達の会話からして楽平という子と和谷の顔がそっくりだということを察した。
「っと、あれ?君はさっきの」
「こんにちは」
楊海はすぐに俺に気がついて、趙石も和谷から視線を外して俺を見た。
「棋士だったのか?」
「いえ、俺は選手の身内で。忘れ物をしたから届けに」
「そうだったのか。———それにしても、一度君と楽平を並べてみたいな、和谷くん中国棋院に勉強に来いよ!」
和谷に視線を戻した楊海と和谷の会話が続き、俺はその間にやっぱりヒカルはまだ来ないのだろうかと視線をさまよわせた。
何の話をしてるのか分からないらしい趙石が俺の服の袖を少し引いたのですぐに視線と耳をもとの所に戻す。
『……今度中国棋院に行くって話をしてるみたい』
『じゃあ楽平と並べて見られるんだね』
『うん』
「へえ、中国語喋れるのか」
「少し」
趙石と会話をしていた俺を見ていたみたいで、伊角は目を丸めて感心していた。

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趙石が可愛くてしょうがないんです。……伊角さんとも本当はもっと絡みたかったんですけどね。
趙石とお話するためにリボーンの世界を挟んだといっても過言ではない。
秀英とか永夏とお話しも出来る筈なんですけど絡むタイミングが無いので、……番外編かな。遠い目。
Dec.2015