harujion

墨と彩

18

北斗杯初日、中国対日本の戦いはアキラのみの勝利に終わった。二時間後には中国対韓国戦がはじまり、日本と韓国の戦いは明日だ。
佐為も俺もヒカルはよく戦ったと思うし、きっと明日の戦いは良い碁を見せてくれると思った。
昼ご飯は選手達ととるだろうから、一人でホテル内のカフェに入ってマグネットの簡易碁盤で佐為とこっそり検討をする。
サラダを食べながら、本当だったらヒカルが勝てたかもしれないなあと二人で話し合ってる最中にヒカルから電話がかかってきた。殆ど携帯を使わない奴とはいえ、やっぱり昨日届けておいてよかったと思う。
少し気落ちした声のヒカルは俺にどこにいるんだと聞いて、ホテルのカフェにいると答えるとすぐにそっちに行くと言い出した。この後中韓戦がはじまるというのに、何を用があるというのか。
会計を終えて出たと同時にヒカルが俺に駆け寄って来て、少し離れた所にはアキラやもう一人の選手の社、団長の倉田もいる。
「どうしたの?」
「中韓戦、一緒に観ようぜ」
「は?」
一緒に観るという言葉に喜んだのは幽霊だけで、俺は終始意味が分からない顔をしたままヒカルに連れられて選手の控え室に来てしまった。
「なんで?」
「すまない、進藤がどうしてもと聞かないから」
「いや、俺はラッキーなんですけど。良いんですかね」
「良いじゃん、関係者ってことで」
「ただのお前の身内だろう!」
アキラは俺の存在にというより、ヒカルの軽率な行動に少し怒っている。
新初段シリーズのときとはまた違うのだから、その気持ちは俺にも分かっていた。
は俺の師匠みたいなもんなんだよ。倉田さん!いいでしょ?」
「お前師匠いないだろ?いや、つまりこの子に碁を教わったってことか?」
いままでヒカルは師匠無し、碁を初めて数年としか答えられなかったようで、誰にどう教わったかと口にしたことなないはずだ。
それをここにきて急に実在する人間をひっぱってきたので、皆が目を丸めている。
「いや、たしかにくんに教わったなら分かるが———」
「俺が教えたんじゃなくて、俺がやってるのを見て興味持って、基本は囲碁教室と独学だったでしょ」
多少誤摩化し、本当のことを言えば皆の疑惑の視線が和らぐ。saiと同一視されかけたり、謎が多いヒカルだったけれど更に俺にまで目を向けられても困るのだ。
とりあえず引っ張りこんでしまったのだからもう良いだろうと諦めた倉田と、俺達が入って来て俺の存在に少し首を傾げる面々を知らんぷりして躱す。
といっても、楊海は昨日二度も顔を合わせたので少し会話をしたし、韓国側の団長である安太善にはお邪魔しますと挨拶をしたけれど。
「お前、なんで中国の団長と知り合いなの?」
「趙石が落とし物拾ってくれて、その時に」
「ふぅん」
こそこそとヒカルに教えると、アキラも少し顔を傾けてその話を聞いていた。
中韓戦のあいだ、俺はヒカル達が検討をしているのを聞きながら佐為と頭の中で検討して、ヒカルが俺に話を振る前に近寄ってひそひそ会話をする。
なるべく皆には聞こえないように、佐為から聞いたことや俺の気づいたことを耳打ちした。けれど手を出せばそれなりに目に付くようなのであまり内緒にしている効果はないかもしれない。だからといって、佐為の腕を見込まれる程の鋭い指摘はしていないので怪しまれることもないだろう。
中国は健闘虚しく敗戦してしまい、安太善は日本は侮れないが優勝は韓国だと言い切って席を立った。
ヒカルは明日の大将になることが決まっているらしく、韓国がおかしなオーダーをしなければ永夏と戦うことになる。望む所のようだけど、未だに肩に力が入っているヒカルは俺の腕を掴んでいくぞと勢い良く控え室を出て行った。
ホテルの部屋にひっぱりこまれ、今から一局と強請られたので額を叩いた。
べちっという音と、俺の諌める声にヒカルはベッドに座りながらきょとんとした。
「落ち着いて」
「な、……ああ、———」
さすがに反論は飲み込むことができたようで、口を噤む。
「どうしてそんなに自分を追いつめてるの?ヒカル」
ただ永夏の発言に怒っているだけではない気がして、俺はヒカルの隣に腰掛けて事情を聞くことにした。
「秀策———佐為を馬鹿にする人間なんて意外と一杯いるもんだよ?知らない人間だっている。わかるだろ?」
「そ、うだけど」
ヒカルが脱ぎ捨てたスーツのジャケットを拾って形を整える。
「佐為も、も、もう表で打たないんだろ?」
「え?表って言っても……toraで十分だと思ってるけど」
たしかにプロや秀策だったときのように一日中打ったりとかはしていないし、顔や名が正式に売れ、記録に残るわけでもない。けれど、俺達は自分の胸の中に存在と棋譜を残し、微かに人の記憶に残り、淡い日常を過ごすことに満足していた。
表舞台に出て輝くのはヒカルで良い。そんなヒカルを見守るのが佐為と俺の今一番したいことだ。
「わかってる、お前らに不満なんかねーんだろ。不満だったら佐為はもっとうるせーし、はどうにかしてる」
わかってるじゃないか、と思いながら黙って頷く。
「夢に一度佐為が出て来てさ、俺に扇を渡したんだよ。受け取った俺は、この道を歩いてくことを決めたし、佐為と……過去と未来を繋げたいって思った」
もっと頑張らなきゃいけない、勝たなきゃいけない、と思う気持ちが募ったのだろう。
佐為を馬鹿にされて憤慨してそれを払拭するためにも、佐為がどれ程素晴らしいのか伝えるためにも、ヒカル自身が強くならなければならないと。
俺はベッドから立ってハンガーにジャケットを通してクローゼットにかけ、小さく笑う。佐為も言いたいことがわかるようで、微笑み、それからかける言葉を探していた。
「あなたの気持ちは嬉しく思います。勝つのも強くなるのも良いことです。けれど焦り過ぎてはいけません」
佐為の言葉をなるべく忠実に教えると、わかってるよとか細い声でヒカルは答えた。
「逸る気持ちで打つ碁もまた勉強だから、俺たちと打って心を落ち着かせなくても良いんじゃないかな」
「へ?」
「ただし、言動は落ち着けてよ?俺はここに泊まるわけでも関係者なわけでもないんだからさ」
「う、それは、ゴメン」
ただ焦っているわけではなく、勝ちたいという気持ちがとても強いヒカルの気持ちを落ち着けてしまうのは勿体ない気がして、俺は佐為とヒカルを打たせるのを止めておいた。もちろん、佐為が心配して打ってやりたいというなら拒まないけれど、俺の言葉に賛成しているようで佐為から持ちかけられることは無かった。

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安太善も……芦原さんとかも……もっとかきたかった。
Dec.2015