harujion

墨と彩

19

日本対韓国戦、俺は通常通り大盤解説会場で見ていようと思った。けれど開始直前になって倉田が俺をみかけて控え室に連れ込んだ。
昨日は呆れていたくせに今日は連れ込むのは何故だろうと理由を聞いたけれど特に理由はないらしい。皆と一緒に見せてもらえるならまあ良いかな、と思って倉田と一緒になって入っていくと趙石はあっと声を上げてにこにこ笑いながら手を振った。
「倉田、くんを通訳代わりに連れ歩いてるのか?」
「は?そうなの?」
呆れた顔をした楊海に言われて、倉田はきょとんとして俺を見た。
『あれ?やっぱり関係者だったの?』
「いえ、あの」
趙石も俺がここに居るのが不思議なようで、倉田と趙石のどちらに答えようか迷った。
「なんだ?知らなかったのか。彼は北京語が話せるみたいだぞ」
「へえ、すごいじゃん君」
楊海が倉田に言ってくれたので、俺は趙石の隣に座りながら選手の身内なだけだと説明をする。そう言えば昨日会ったときは日本語でしか説明していなかったのだった。

最終戦ということもあってか人が多く、塔矢行洋までやってきたので俺や趙石は立ってプロたちの後ろから並べてある碁盤を見る。
佐為も俺もやっぱりヒカルと永夏の盤が気になるのだけど、佐為は並べてあるものよりもモニタのリアル中継を見ているので俺とは見ている所が違うだろう。
中国語と韓国語と日本語が入り交じっている中、ヒカルが反撃に出た。佐為がはっとしてからふふっと笑ったので俺もつられて笑うのを手で押さえる。皆は盤面に集中しているので俺がにこにこしてても何も言われないだろう。
「いつの間にこんな棋士が日本に育ってたんだ、全く」
「育ってたっていうか……今育ってんだよ。高永夏への敵愾心のおかげでさ」
それはわかるなあ、と同意しながら皆の会話を聞いていると塔矢行洋が敵愾心という言葉について聞き返した。韓国側の通訳と思しき人が必死に言い訳をしているのを、楊海が冷静にかつ手短に説明した。
ああ、どっちも小学生みたいな男の子なんだなあ。
「全くですね」
ひとりでした考え事に、佐為が頷いていた。
でもよかった。多くの人が色々なことを過去の俺達に言う。大抵が最強だとか凄いだとかそういう褒め言葉なので悪い気はしないし、ビッグマウスな若者がなんと言ったって傷つきやしない。だって俺達の方が強いと思うから。
けれどそれがただの子供じみた挑発だったことにほっとした。
永夏はちゃんと尊敬を抱いてくれていたのだ。

バタバタと皆が出て行ったのを壁に背中をつけて避け、残った二人を通り越してヒカルの碁盤がうつるモニタを眺めた。
「大健闘です、ヒカル」
耳元で嬉しそうに言った佐為に、そうだね、と返す。
そのまま、楊海と塔矢行洋はネットのsaiの話をしているのを堂々と聞いてる。
「あれから現れませんねェ、sai」
「私のことですね、
佐為の声に心の中で頷く。
何の為に現れたのか、と楊海が言うのに対して塔矢行洋と打つ為だと本人が答えているのを聞き流した。それもあるだろう。佐為は塔矢行洋と打つ必要があった。ヒカルの成長の為にも、佐為の胸を満たす為にも、俺に会う為にも。世の中の色々なことの理由が、特定の一つのものだけである筈が無い。
「そういえば、saiと同一人物なのかと噂されている人物をご存知ですか?」
「いや……そんな人物が、いるのかね」
「去年の秋頃から出て来たそうですよ。同じような棋風で、本当に名前だけが違うような」
「ほう」
「私たちのことですね!!」
saiのときよりも勢い良く佐為が俺の横で二人を指さしながら騒ぐ。そうだね、と頷きながらポーカーフェイスを貫き通した。
「名前は、tora。彼はsaiと違って検討のチャットには時折応じてくれるそうですがね」
「そうか」
それ以上のことを楊海は知らないのか、教えないのか、とにかくtoraこと俺と佐為の話題は終了し、ヒカルと永夏も終局した。
「塔矢先生我々も対局場へ行きましょう」
「いや私はこのまま家に戻る」
「息子さんによくやったの一言もかけずにですか?」
そんな会話をしている間、俺も対局場へ行こうと立ち上がる。楊海と一緒に行けば怒られないかもしれないし、ここに連れて来たのは倉田なのだから同じ場所へ行けるだろう。
「佐為はまた、塔矢行洋と打ちたいと思わないの?」
「打ちたい気持ちは……あります」
「あの人も打ちたいって言っていたそうだから、またネットに現れてくれるかもしれないね」
「そのときは、お願いしても良いですか」
「もちろん」
誰も使わなかった予備の何もおいていない碁盤を指先で撫でて、黒い石をとった。
「打つならどこ?」
小さく笑いながら手を伸ばすと佐為がそっと囁いた。良いね、と思いながら俺は軌道も変えずに思った通りの所にぱちっと石を置いた。
「————」
「楊海さん、対局場連れてってください」
「あ、ああ」
俺が打っている所を見ていたのは楊海だけだったけれど、打った音を聞いて塔矢行洋もこっちを見た。けれど座っているその場所からでは俺がどこにおいたかは分からないだろう。
塔矢行洋がゆっくりと立ち上がるのを見ながら、俺は楊海に声を掛けて部屋を出ようとする。
「失礼します」
楊海がぺこりと塔矢行洋に頭を下げたので俺も会釈して廊下にでる。
彼は、何かを感じただろうか。佐為と俺の誘いの音が聞こえただろうか。
「君も、碁を打つんだ?」
「時々」
「でもプロじゃないんだよな?」
「なる気はあんまりないですねえ」
「ふうん。さっきの一手はなんだったんだい」
「———別に。ただの試し打ちですよ」

next



すごく意味深な男である……。
Dec.2015