harujion

墨と彩

解夏 01

同じクラスの藤原と、下駄箱で一緒になった。
まだ入学して二ヶ月しか経ってないけど、藤原とはあまり話したことがかった。
藤原は藤原で友達が出来ていたし、オレにはオレで友達が出来て、声をかけやすい人はそれぞれ違った。だから話しかけられたときは少し驚いたし、ドキドキしてしまった。
「そういえばこないだ棋院で見かけたけど、院生だったの?」
「あ、ああ」
オレは少し吃りながら藤原に答える。
院生という言葉を知っているのなら囲碁に興味があるということだ。それにしたって棋院で見かけたというのは珍しい。
「棋院にきてたのか?なんで」
「俺は兄がプロ棋士なんだよ」
「へえ!そうなんだ」
廊下を歩きながら、思わず色々聞いてしまう。
どうやら藤原のお兄さんはオレが院生になる前まで院生をやっていて合格をした人だったらしい。そして藤原自身はよくお兄さんに会いに行ったりしていたのだとか。プロになった今でも棋院に顔を出すと言うのは些か不思議ではあったけど、囲碁に興味があるなら顔を出してもおかしくないのかもしれない。
「オレは森下九段に弟子入りしててさ、お兄さんは誰かに師事してるのか?」
「ううん、決まったところには。……普段は色々な研究会に顔出してる」
何人かプロの名前を言われて、ああと思い当たる。
藤原のお兄さんはほぼ独学で学び院生になって揉まれたタイプなのだろう。
なんだかこういう話をできる人が学校に居たのが意外で、胸がわくわくした。院生にも同年代は沢山いるが、クラスメイトというのは特別感がある。
囲碁の事が話せるとわかると、オレはついつい藤原に話をふってしまうし、藤原もなんだかんだ囲碁の話をふってくることもあって、その日からオレたちは自然に話すような仲になった。

「なあ、今日提出の課題やってきたか?」
「やってきたよ」
タイミング良く朝の下駄箱で一緒になる事が多い藤原に、何気なく問う。別に、いつも囲碁の話をするわけじゃない。
「オレ駄目。昨日詰め碁やっててさ……」
「そう」
「そっけないなあ。頼む!見せてくんない?オレ多分当たるんだよ〜」
「何奢ってくれるの?」
悪戯っぽく笑う藤原に、うっと言葉に詰まった。
「うそ、しょうがないから当たる所だけ」
「ほんと!?サンキュー」
今月ピンチなんだよなあ、という顔をしてたみたいで藤原は譲歩してくれた。
あとの問題は授業中にでも頑張って解いて提出してね、というので地味に厳しくドライな奴だと思った。
幼げで優しそうな顔立ちと、透き通るような声に、たおやかな喋り方をしている所為で、甘い印象を受けるのだが藤原はあまり人を甘やかさない。いや、根が優しいので助けてはくれるんだけど。
「次写したいときは、貢ぎ物のひとつでも用意してきてね」
ありがとうと礼をいいながらノートを返すと、藤原は無表情ながらに冗談を言った。いや、冗談じゃなかった。
———次の週、駄目元で150円程度のおやつと一緒に頭を下げたらノートをかしてくれた。
案外安上がりなので、オレはちょくちょく彼に甘えるようになった。
しかし、基本的に真面目な奴だったのでもっと渋られたり説教されるかと思っていたから、内心では少し不安だ。
いつか雷落とされるのか、もしくはすっかりオレに呆れて、諦められているのか。
「な、怒ってない?」
「え?」
今日は課題ではなく、授業中居眠りしていて写しそびれた板書をするためにノートを借りていた。
「毎回、ノート写させてもらったり、宿題とか……」
「しかたないんじゃない?冴木がやってこないんだから」
「そうなんだけど、そうじゃなくてさ!」
ストローから口を離した藤原は、オレの机に頬杖をついて小首を傾げた。
「だって、迷惑だろ」
「そう思ったことは、ないけど。おやつ貰ってるし」
「呆れたりとかは?」
言葉を変えて尋ねてみると、藤原は更にわからないという顔をした。
院生をやってる大抵の連中は学校にも通っていて、課題や試験に手を焼いていて、早くプロになって学業とおさらばしたいと思っている。オレもあんまり勉強は好きじゃないというか、それなら囲碁の勉強をしたいから、学校に通うのが面倒だと思うときもある。でも心に恐れがあるから、違う事でも頑張ってないと不安になる。
「囲碁、頑張ってるんじゃないの?呆れないよ」
ノートを写す為に動かしていた手は止まっていて、藤原はその手を取った。
オレの手にペンだこはないが、右手人差し指の爪はすり減っている。
じわりと胸が温かくなったと思えば、きゅっと絞まって苦しくなった。息を詰めて藤原の方を見ると、優しい眼差しが向けられていて、恥ずかしくなったオレはゆっくり指先をはなしてシャープペンを持ち直してノートに目をやる。サンキュ、と言えてたか言えてないか、よく覚えていない。

その年のプロ試験には落ちた。
なんか気まずくて藤原に声をかけられなくて、おはようと挨拶をされたのに短く返してすぐに背を向けた。
「あ、さえ……」
最後の一文字も聞かずに逃げた。自分が情けない。
名前を呼ばれたら足を止めてしまう気がした。
藤原にあれだけ甘えておいて、その上で落ちるなんて恥ずかしかった。格好悪すぎて顔を見せられないし、顔を見られない。
課題は自分でやるようにして、ノートもなるべく自分で写した。どうしても駄目なときは色々な友達に迷惑がかからない程度に頼り、いっそ記入しないままにした。成績に響くと言えど、微々たるものだ。

二年になると、藤原とクラスが離れた。まともに目を合わせず、口もきかないまま別れたくせに寂しいと思った。
しかしくよくよしている暇はないので、今年こそと意気込んで受けたプロ試験で合格した。
「藤原、オレ、受かった……!」
「え、ああ……おはよう。———知ってるよ、おめでと」
今まで顔を合わせてなかったのに、急に自信がわいて、思わず昇降口で見かけた彼のシャツを掴んで引き止める。驚いた顔をした藤原は、少し間を置いてから苦笑した。
「なんで知ってんだ?」
「棋院に時々顔を出すし、結果も教えてもらった」
「え?藤原にまで教えてくれるのか」
「俺はよく棋院にも顔を出していたからね」
「なんだそれ、顔パス?」
「そんなかんじかな」
ふふっと柔らかく笑った顔をみて、心底ほっとした。
今まで戒めのために藤原を避けて来たから、すごく満たされる気分だ。
「……報告してくれてありがと」
「え?ああ、うん、なんか急に引き止めてごめん!」
靴を履き替えた藤原は、視線を落とした。
一緒に廊下を歩くのは久々で、違うクラスじゃなければいいのにとこっそり思う。
「怒ってない?」
「え?」
藤原の問いかけに驚いて、足を止める。それに気づいて藤原も足を止めて、遠慮がちにオレの様子を伺った。言い辛そうに口ごもり、さらさらの黒髪を耳にかけて誤摩化している。
「避けてたでしょ?……俺、なにかしちゃったのかなって」
「!!ち、ちが、……ごめん、オレが勝手に……!」
あまり目が合わないのはこの所為だったのか。
慌てて手をとって、こっちを見て貰えるように顔の傍に持って来た。案の定、藤原はオレをしっかりその瞳に写した。
「どーした冴木、ケンカかよ〜」
「目立ってんぞ藤原、おはよ」
廊下の真ん中で見つめ合ってる俺達を、何人かの友達が追い抜いて行った。
藤原は肩をすくめて友人に目配せをした後、オレにとられた手を掴み直して引っ張る。その場からオレを連れて離れようとしているのがわかり、オレは手を繋がれたままついて行く。

「どうして避けてたのか聞いても良いの?」
「オレが勝手に、避けてただけで藤原は何も悪くないんだ」
「だから、その理由が聞きたいんだって」
壁に背中を預けて、藤原は困ったような顔をした。
「藤原に散々甘えて、試験落ちて、格好わるいから……」
本当はこんなことを言うのは恥ずかしいのに、言わないと藤原が誤解をすると思って、小さな声で言いながらしゃがんで顔を伏せる。
「なにそれ、気まずくて顔あわせられなかっただけ?」
「……うん」
同じようにしゃがんだのだろう、声は近くなる。
オレの頭を軽く撫でるのでそっと顔を上げて見ると、少しばかり呆れた顔をしていた。
「もう……それなら、そう言ってくれたらいいのに」
「言えるわけないだろ」
「そうだけど……、寂しかった」
気が抜けたように腕に頭を預けた藤原を上から眺める。睫毛がぱさりと動いたので瞬きをしているのが分かった。
しぼりだすように、ごめんと謝罪する。
「まあいいや……もう、冴木がふっきれたなら」
「うん、ほんとごめん」
ため息まじりに立ち上がった藤原にならって、オレも立つ。
「また、話そうね」
柔らかな口調と笑顔にきゅっと胸が締め付けられる。オレはまたしても自分が恥ずかしくなった。
———すごい、自分勝手だった。
向き合った藤原の肩に額を預けて、ふーとため息をついて羞恥心を堪える。我慢できなくなってまた避けたり、暴走することはなしだ。あと抱きしめるのも、無しだ。今抱きしめたらおかしなことになりそうな気がする。
「なーに?」
「ん?いや……なんでもない」
項に手を這わして後頭部を撫でてくれる手は、結構心臓に悪いので顔を上げた。
そういえばなんか、顔の位置が遠くなったような気がする。
「藤原、背縮んだ?」
「……」
藤原はこっちをじっとりと睨みつけた。といっても、分かりやすく拗ねた顔は全然怖くないし、むしろ可愛いくらいで。無表情の時の方が断然怖い。
「冴木が伸びたんでしょ」
つんとそっぽ向いて歩き出す藤原を追いかけて隣に並ぶ。
そういえば、そうだった。春の身長測定では一年の入学時から7センチ伸びてた。

この距離感に慣れないくらい、藤原の隣に居なかった事を痛感した。

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コンセプトは、からまわる男、冴木さん。……です。
雪融けが続いたと思った?続いてま……いや、続いてる?
冴木さんの一人称です。一文字下げはめんどうk()本当もう、適当ですみませ……。
墨とは違って主人公はヒカルより年上です。
Sep.2016