卯の花とみかづき 01
高校二年生に進級して新しいクラスになったの前は、しょっちゅう空席だった。身体の弱い生徒かという憶測はすぐに消え、休むことよりも留年している事が話題になってその人物に対する同情や憐憫は殆ど消え失せた。
理由も定かではないが、将棋のゲームをやり過ぎてサボって留年したという噂で、信憑性はなくともあり得ないことでもない。
「、どうしましょう。私たちも囲碁をやり過ぎてが進級できないということになったら……」
現代に舞い降りて五年以上が経って色々教え込まれた平安時代の碁打ちの幽霊であり、の相棒とも言える男はすっかりカタカナ語や現代のしくみを覚え、噂を耳にしてを心配していた。
誰にも見えない、聞こえない、そんな存在をはあの日から連れている。
———大丈夫だよ、佐為。俺は毎日こうして学校に通っているんだから。
しくみは理解していても経験値がない佐為を、は声に出さないままに宥めた。
まだ一学期が始まってから二週間と経っていなかったが、が隣の席の彼を見たのは一度だけ。少し暗い印象を与える程度に伸びた、癖のある髪の毛と野暮ったい眼鏡に痩せた体躯。その程度にしか覚えていない。
授業中、窓ぎわの空席には窓枠の影が落ち、木目の模様をのっぺりと光らせている。黒板を見るついでに勝手に入ってくるそれはよく日を反射させて、時折眩しいなと思うこともあった。と机の間に再び壁が出来たのは四月も終わる頃だった。けれどとくに話しかける用もなく、彼自身も話しかけてくることは無い。
「あの子、ノートとか見せてあげなくて大丈夫なのでしょうか」
———どうだろうね。
「授業中見ていたのですが、顔色があまり良くないようでしたよ。よりも不健康です」
———なにそれ。
苦笑まじりに、佐為に返答する。
昼休みは佐為がよく話しかけて来て、それに答える為にもは一人で食事をとる。中庭だったり、廊下の端だったりと様々だ。今日は屋上にでも行ってみようかと階段をのぼっていると、何気なく階段ですれ違ったのは教師と生徒の組み合わせで、一人は空席を作る当人である桐山零だった。すれ違ってから佐為に言われて振り向いたが、くしゃくしゃ頭の後ろ姿しか見えなかったし、教師といる所に声をかける程の用はなかったのでは前を向いて屋上に出て行った。
五月に入ってからも零はよく学校で見かけるようになったので、一応殆ど学校に来ない訳でも無さそうだ。と、思った矢先に休んだりするものだから、後ろの席のとしては空席がよく目に付いた。それに、よりも心優しい幽霊がひとりぼっちでいる彼を気にかけている。
今度来た時にはせっかくだからお昼ご飯を食べたみたら良いと勧められ、は適当にはいはいと頷いた。
実際に何度か昼に誘おうかとも思ったが、昼休みになると零は喧噪から逃げるように教室から消えて行く。そうするとは大抵彼を追うでもなく、見えない友と二人で会話が出来る静謐な場所を求めて足を進める。
けれど今日はいつもとちがった。
久しぶりにまた屋上で食べようと階段をあがって行くと、零が階段に腰掛けて一人で座っていた。
俯き気味に、黙々と食事をとっているのに階下にいるこちらを目にとめず、がゆっくりと近づいて行っても顔を上げなかった。全く関係ない、興味のないものと思っているのだろう。
「となり、座っても良い?」
「———え?」
三段手前で足を止めて首を傾げると、ぽかんとした表情で零はを見上げた。初めて前髪の隙間の、眼鏡の奥の瞳を見た気がするが、特に変わった所の無い普通の青少年の顔立ちをしている。
後ろ姿とか、遠くから眺める姿とか、そういった曖昧なものばかり見ていた為に印象があやふやだったが、こうしてきちんと見てみると、別に普通である。関わりにくいとか、怖いとか、おかしいとか、そういった感想は浮かんで来ない。
「どうして……あ、いや、いいけど、君は……」
ものすごく吃って、眼鏡をかちゃかちゃと上げて、それから特に散らかしていない辺りをわざわざ綺麗にして席を作る零。
「後ろの席の進藤」
「えっ———あ、そうだったんだ」
ほんの少し顔を赤らめた零は、同じクラスで後ろの席の人物さえも知らない自分を恥じていた。
見るからに周りを見ていなさそうな態度を知っていたは、それくらいで怒る気もなければ、正直どうでも良いとばかりに隣に座る。
「今から昼ご飯を食べようと思って、その途中でクラスメイトが一人で食べていたから、目標の場所を縮めた」
「へ」
「どうしてって聞いたから。特に深い理由は無くて……ただ桐山がいたから、隣に座っても良いかと聞いたんだけど」
急に話し始めたに零はついて行けずにぽかんとしていたが、言い直すと次第に理解をしたように口を結んだ。
「進藤くんはいつも誰かと食べてるわけじゃないんだね」
「俺、昼はいつも違う学校にいる友達とメールしながら食べてるんだ。そうしたら一緒に食べてる人に悪いから基本的には一人」
封を開けてパンにかじりついたを、零は見返す。
「たまたま学校を休みがちな桐山の話をしたら、———今度一緒に食べたら良いって言われて」
「え!」
たじろいだ零は、一人で食事をとっていることに気づかれていたことや、自分が知らない間に話題にあがったこと、見知らぬ誰かが、見知らぬ自分の為に気をきかせてくれたこと、色々なことを感じてまた照れくさくなった。
はマイペースにパンを食べては話題を振り、零もグループに入って行くのは苦手だが隣に座った人物と会話が出来ないと言う質ではなかった為にそれなりに会話をしながら普通に食事をとり、気づけば将棋が好きなことや放課後将棋科クラブなるものを設立したことなどを話していた。
ずっとクロスオーバーしたかったんです。
タイトルは3月から4月の卯月とか、三日月堂とか、その辺からとってます。卯の花の花言葉は風情とか古風なので、囲碁将棋にはぴったりな気もしますね。
Jan.2016