harujion

墨と彩

卯の花とみかづき 03

「悩んでいるね、零」
つぶらな瞳がこちらを見透かすようにして細められた。
それが笑っている顔なのだと理解するのに少しだけ時間がかかり、零は食べかけのパンを掴んでいる手をおろそかにした。幸い落とすことはなかったけれど、ぎこちなく手が動き、あきらかに動揺したのはの目にも見て取れただろう。
「なんで」
が昼食にやってくるのは毎日ではなかった。けれど席は前後だったし、気まぐれにやってきては前にしたやりとりとあっさり繋げて話す彼と距離が近づくのは遅くなかった。元来下の名前で呼ぶタイプのようで、いつからか零と呼ばれるようになっていたし、零自身もいつのまにかのことを進藤と呼び捨てにするようになっていた。さすがに、下の名前では呼ばないが。
手の動きだけではなく、見開いた目やわななく唇、それから発した言葉によっては言い当てたことを理解したように、笑みを深める。
「正直、零はいつも何かに悩んでいるように見えるんだけどね」
「え、そうかな……」
「将棋のことで、頭を使ってるからかな」
平静を取り戻した零は、再びパンにかじりつく。
「でも今は、時々ひとりごと言ってるから」
の笑いまじりの言葉に、危うく咀嚼していたパンをふき出してしまう所だった。
零は知らない内に、自分の悩み事を頭の中で整理するついでににもらしていたらしい。いつも世話になっている少女が、学校でいじめられている件についてここ数日ぐるぐる悩んでいた自覚があった零は、己の未熟さを恥じて頭を抱えた。
「多分俺に全く関係ないだろうし、相談ごとも苦手だから、話さなくたって良いけど」
は零との距離を知っていて、だからこそ深く聞いては来なかった。
零はそれで良いと思った。それにこれは、クラスメイトに話す話でもないと思っていた。
「悩みに零が押しつぶされてしまわないか、心配してるよ、俺も、俺の友達も」
時折の言葉の端に出て来るの友達は、よりも零のことを心配しているような印象を受けた。
そもそもはが零の話題を出したことからだろうから、やっぱりも零を気にしているのかもしれないが、一緒に昼を食べたら良いと言ってくれたのはまだ見ぬその人だった。
「ありがとう、進藤」
「うん」
教師と言う視点で林田に相談に乗ってもらい、少女の姉や祖父と励まし合い、少女自身が前を向いている。それで充分だ。
クラスメイトであり、時折零を励まし孤独を和らげてくれるは、自分を心配してくれるだけで良い。

「元気そうだね、零」
しばらくして、少女のいじめは終息し、自分には何も出来なかったと落胆したのを少女本人と林田に元気づけてもらってからは学校にやって来た零に笑った。
は零の様子だけを見て、状況の終息を知り、安堵している。
何も知らないだけれど、零はそれで満足だった。

「じゃあ、まず簡単なルールから」
「はい」
夏休みに入る前、板の碁盤と薄っぺらい碁石を持参したは、将科部を一時的に乗っ取った。
ずらりと並ぶ生徒達の前でも物怖じせず、淡々と碁のルールを説明していくはなんとなく板についている。
以前からチェスと将棋のルールを教えあっていた二人だったが、ついでに囲碁も普及させたかったはとうとうある日、零を捕まえて将科部の面々も加えた人数で囲碁教室を開いていた。
将棋とチェスはチャトランガというものを起源としている、と大分されているだけあって、勘を発揮させる機会があった零だったが、囲碁については全くの専門外だった。
「これ、どっちが勝ってるのかわからなくなってきましたぞ」
「ボクもワカリマセン!」
野口や他の部員も、将棋とは全く違う広い宇宙に頭を悩ませている。
「正直囲碁って、腕が無いと勝ち負けもわからない世界ですからね」
はわかっていたことだと笑った。
試しに打っては見せたものの、誰一人としてついて行けておらず、打ちかけの碁をやめた。
五目並べや簡単な囲み碁くらいなら出来るだろうと、零と野口を対面させて指示をする。将棋とはまた違うルールな為、零と野口は同等に打ち合っていた。普通の初心者に教えるよりも、彼らは頭が良いために飲み込みが早く読みが深いという点もあった。
「うーん、並ばない……!」
「逃げるのと追うのを両方するのって難しいですね!」
どちらも攻防を続けていたが、複雑になって半面に唸る。はくすくす笑って零の後ろから覗き見る。
「次は、ええと……零の番か。次の一手で勝てるんだけどなあ」
「え!?うそ、見当たらない」
「ホントですかな!?」
二人でかじりつくように見つめたが、広い宇宙に連なる星を見つけることはできない。
「じゃあ、引、き、分、け」
そう言いながらは零の背中から身を乗り出して、四連になっていた石を突いた。
その時ふと、零は宗谷のことを思い出す。新人王戦からの帰り道、宗谷もこうして零の後ろから指をさしたことがあった。そういえばどことなく、と宗谷の雰囲気は似ていると思い始めてしまう。
島田には零が宗谷と似ていると言われたがそれは将棋の時の言葉回しとか感じ方のことであって、は雰囲気や佇まいのことだ。
何故だかしっくりきた所為で、ぽかんとしてを見上げ、には不思議そうに首を傾げられてしまった。

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宗谷名人すきです。いつか出したい。
Jan.2016