バニラ・ビーンズ 03
飛んで来た破片にぶつかった衝撃で倒れそうになったのを、とっさに抱きとめてくれたのは全く知らない人物だった。っと、と小さく囁いた声が頭上から聞こえて、お世辞にも鍛えてるとは言いがたい痩せた上半身の感触を背中に感じた。胸にまわった手は細っこくて、貧相と呼ばれる僕と同じくらい。でも身長はやっぱり僕より高いだろう。
血を流す右目にはそっとハンカチをあてられてしまい、謝ったりお礼を言ったりと忙しくなった。そっと残った片目で確認してみたら、東洋人の青年が心配そうに僕をじっと見つめていた。
「……あ、すんませんエイブラムスさん、……ちょっと離れててもらえますか」
ザップさんが、エイブラムスさんと呼んでいるので、近寄って来た彼が豪運のエイブラムスさんなのだろう。青年に抱えられたまま、ずきずきと痛み熱を持つ目をおさえた。
「む、彼らは?」
「レオはうちの新人っすけど、オッサンは無関係っすよ……って無傷かよ」
一般人である青年に当たらなかったことにほっとしつつ、ザップさんの言葉に内心で首を傾げた。
エイブラムスさんは大丈夫か!?なんて心配して僕を担ぎ上げてくれていて、ザップさんの言葉に違和感を感じていない。
「オッサン?」
片方の目で、もう一回彼を確認した。どう見ても彼は僕と同い年くらいの青年だ。
真っ黒な目がこっちを見ていたので、うっすらと開いた瞼を隠すために顔を伏せる。エイブラムスさんに担がれているので、視界は彼のコートでいっぱいになった。
「どうしたレオ」
「いえ、な、なんでもないです」
ザップさんが訝しんで僕に声を掛けて来たけど、彼の目の前で指摘することは出来ず、答えられなかった。
「そのハンカチはあげるから。お大事にどうぞ」
「ど、どうも」
多分あの人は僕の様子がおかしい事に気づいたけど、やさしい声色で送り出してくれた。多分悪い人ではない気がする。吸血鬼みたいに赤く大きな光があったわけじゃないから、それでもない。ただ、普通よりも仄かに明るくて鮮やかな青とか紫が見えたから、普通でもないのは分かった。
「ザップさん、青紫の光とかって、なんか関係あるんすかね」
オフィスで目を抑えながら、傍に居たザップさんに聞いてみる。赤い光の話のときはものすごい雰囲気になったけど、今回はそうでもなくて、青紫ぃ〜?なんて聞き返してくるくらいだ。
「やっぱ、なんでもないっすよね?さっきの人、ちょっと鮮やかなのが見えたんで」
「さっきのオッサン?」
「……やっぱり、オッサンにみえたんだ」
「オイ、どういうことだよ」
あの人はどうみてもザップさんよりも小さくて若い人だった筈だし、東洋人は総じて若く見えるから、ザップさんならきっとガキとか言う筈。
「あの人、姿偽ってたんすよ……なんでだか知らないけど」
「オイ、そういうのはすぐ言えよウンコ」
ザップさんは嫌そうな顔はしたけれど、結局その人のことを調べるとか報告する暇も無く、僕は義眼のことや吸血鬼の事で連れ出されてしまった。
———けれど、青年にはまた会う事になった。
『永遠の虚』をのぞき見た後、長老級の血界の眷属が現れたとギルベルトさんから連絡が入り、急いでそっちに向かった。スティーブンさんとK・Kさんた戦ってくれていて、チェインさんが映像を送ってくれている。血界の眷属は映像には写らないけれど、どんな風に戦っているのかは見える。でも僕は戦うのを見るのではなく、実物を見てあの異形の名前を読み取るのが先決だった。
姿が見えたらすぐに目を凝らし、読み取った名前をクラウスさんに告げた。
スティーブンさんとK・Kさんは満身創痍だったけれど、長老級の血界の眷属はクラウスさんの手によって”密封”された。
ただでさえ目が暴走気味なので、皆が光る様子がよく見えた。吸血鬼のような眩い羽のような光ではないけれど、決意とか、熱意とか、そういうのが光っていた。実に人間らしいものだ。その片隅で、僕はぼんやりとした光を見つけてしまった。
茫然として言葉を発することを忘れていた筈なのに、たやすく、あっと声が漏れる。
その光を纏った人物は暗闇の中に立っていた。血に濡れた、なにか肉片の落ちている場所を見下ろしている。その背中は華奢なスーツ姿。暗いからよく見えないけれど、光には覚えがある。虹のように鮮やかな藍色と紫は、暗闇の中だからこそ、よく見えた。
「やっぱり、見えてるんだ」
涼やかな声が、空間に響く。
地下鉄のホームだから、余計に。
皆にも声は聞こえたようで、警戒する体勢になる。でも僕は、その声の主を警戒する必要はないと思った。
「レオナルドくん、誰か居るのか?」
「はい。今日の昼間も、会った人です」
青年は何かを囁いた。響きはラテン語と似ていて、その瞬間全員が青年の姿を捉えるように視線を向けた。
「血界の眷属じゃ、ない」
チェインさんがさっきまで録画していたビデオを彼に向けたけど、その姿は写ったらしい。
「え、あー、人間です」
「ナニモンだ?おまえ」
場違いな程平淡な声で弁解して、両手をちょこっとあげて見せた青年に、ザップさんが警戒を解かないまま睨みつける。
「……ライブラの方々と、お見受けします。このような場所での挨拶となったことをお許し下さい。イタリアを拠点とするマフィア、ボンゴレファミリーの諜報部仮所属の雲雀と申します」
「ボンゴレ!?なんと……」
「一応大きなマフィアですので、お耳には届いているようですね」
とても丁寧な口調で、青年……さんは自己紹介をした。僕はマフィアの名前には疎いけれど、他のメンバーたちはボンゴレと聞いて大なり小なりの反応を示している。
どうやら、ボンゴレファミリーはイタリアで一番、というか、マフィア界では一番大きな、それでいて善良なファミリーらしい。ライブラとはほぼ無関係だが、互いに裏に精通しているもの同士、名を知っているようだった。
スティーブンさんとK・Kさんを病院に運ぶ手配をした後、僕らは彼をオフィスに招いた。
姿を消されてはたまらないからと、目を軽く手当した僕も見張りとしてついて来たけど、その心配も無いくらいさんは丁寧だったし、大人しくソファに腰掛けていた。しかも、ギルベルトさんのいれたお茶に美味しいですと返すくらい、穏やかな態度をしている。やっぱり、裏で生きてる人だから、多少のことでは動じないんだろうか。
「それで、あの場所に居た理由を伺っても良いかね」
「はい、実は———」
クラウスさんが尋ねると、ティーカップを丁寧に置いて、さんは話し出した。
曰く、とあるイタリアンマフィアが最近きな臭い動きをしていて、調べていたら極秘にHLに向かうと言う。それだけでも不吉だからと調べに来た所、ボスを含めたファミリーの構成員たちは行方不明になっている。更に調べてみたら、血界の眷属に接触をはかろうとしていることが判明し、帰って来ないということは十中八九殺されたか、最悪の場合力を手に入れたということ。それについて調べようと思っていた矢先に血界の眷属の仕業と思しき被害が出たので、出歯亀に来た所、見事ファミリーの一人を発見したと。
「なるほど……では転化したと思しきあの男が」
「はい。トーニオというんですけど、これ」
胸ポケットから出した写真には、快活に笑った若い男の姿が写っている。親しい人にカメラを向けられて、ピースをしている、楽しそうな姿だった。
「ああ、彼か」
「他のファミリーは殺されたでしょうね……トーニオがイタリアに帰って来て力を奮うことはないようだし、大元が密封されたので、助かりました」
さんはありがとうございます、と言いながら微笑した。
レオくん視点。オーラ?が藍色と紫なのは雲と霧の色です。出歯亀中は目くらまし術で。
ちょっと思ったんだけど、ミシェーラの目はともかく足ならボンゴレの医療技術でなんとかなるんでないか?レオくんをハッピーにしたい……
July.2015