ロストマインド

朝目を覚まし、何も入っていない空っぽの胃にコーヒーを入れてシャワーを浴びる。びしょ濡れの髪の毛を拭きながら窓を開けて空と風と海の様子を確認して、 冷蔵庫の中を確認すると主に野菜や果物が所狭しと並んでいる。
先月倒れて以来は小まめに買い物に行くようにしていた。

仲間の死や戦争の悲惨さを思い知り、食事が咽を通らなくなる時があるがその時はチョコレートを口に入れるようにしている。そのチョコレートはフェラーリン が見舞い品としてくれたチョコレートと同じもので、雑貨屋に売っていたのを発見して思わず購入したものだ。
チョコレートは口に入れたらすぐに溶けて、後は飲み下せば良い。甘くて温かいものが咽を通り、胃袋には溜まらないけれど身体を廻って気持ちを楽にさせる。 同時に、フェラーリンが頭を撫でてくれたときのことを思い出し、心がいくらか落ち着くのだ。

あまり撫でてもらえなくなったこの頃では、フェラーリンが優しく撫でてくれる以外にあてはない。マルコが時々乱暴に頭をかき混ぜるがそれは安心には繋がら ない。確かに心が弾みはするが、落ち着きたいときはフェラーリンが一番だ。
「あま……」
チョコレートを口に入れて、手についた少し溶けたチョコレートをぺろりと舐めた。
最近では食欲が無いとき以外もチョコレートを食べるのが日課になってきていて、は毎日のようにこの甘さを感じている。


「あ、……おはようございます」
「おはよう
職場に着き、ロッカーに荷物を入れて身支度をしてから出た瞬間、フェラーリンに出会い反射的に挨拶をこぼした。朝から爽やかだなと思っているとフェラーリンは顔を覗き込んできた。ぎょっとして身を引きながら何ですかと首を傾げると、悪いと小さく謝られる。
「顔色が悪かったからまた食事を抜いているのかと思ってな」
「朝から胃に何か入れるのは少し苦手なので、食べていません」
でもチョコレートは食べましたと目元を和らげるとフェラーリンは少し考え込む動作を見せた。
朝は食べたくないというのは一般的にもありがちなため一概にだめだとは言えないが、ただでさえ血色が悪くひ弱なのだから朝からしっかりと食事を採れと言い たいのだろう。
「昼食はきちんと食べるんだろうな?」
「はい、そのつもりです……同僚とカフェに行く約束もしてるので多分忘れることはないです」
「よろしい」
口をきゅっと結んでこくんとうなづいてから少しくだけたように笑ったフェラーリンにも少し笑う。
「じゃあな」
くしゃりとの頭のてっぺんを撫で付け、フェラーリンは去っていった。は向かってきた手に思わず目をつむったが暖かい掌が頭に触れたときにぱっと目を開き、去っていったフェラーリンの方を振り向く。
「あ、じゃあ……はい」
ろくな言葉を出せず小さな声で答えると、フェラーリンは振り向かずに手を挙げて廊下を歩いていった。

暖かい。その一言につきるとは思った。
マルコやジーナの優しい暖かさとは違って、フェラーリンのぬくもりは少し熱いくらいで触れられる度に胸まで届く。じわりと広がった心地よい熱はをチョコレートのように溶かしてしまいそうだった。




の幼馴染みと呼ばれる人々は、もうあとはマルコとベルリーニとエドモンドしか残っていなかった。軍にはほかにも仲間がいたけれど三人はにとって家族そのものであり、何よりもかけがえのない存在だった。
ほかの仲間たちが次々と死んでいく中では何度も悲しみに暮れて心をすり減らして、体もそれに乗じて窶れてきたけれど三人の存在がまだの心臓の熱を守ってきた。

今回の戦争で、ベルリーニが死んだ。

一緒に行っていたマルコが証言したのだから確かなのだろう。マルコでさえ命からがら、憔悴しきった様子で帰ってきたのだからうなづけた。ベルリーニやほか の仲間たちの残骸はきっと海に沈んで探し出せない。の大好きな人も、飛行艇も、もう帰ってこない。
それからというもの、連日食事をとっても後で吐いてしまってばかりで、体は弱り切っていた。防衛本能なのか、現実逃避なのか、は涙さえも出ない。一番身近にいたのに助けられなかったマルコにも、結婚したばかりだった夫を失くしたジーナにも、ベルリーニと一番仲 の良かったエドモンドにも、弱音を吐けなかった。は一人で夜空を見上げて、星の数を数えて夜明けを待った。

体が休息を必要としているのに、眠りにつけなかった。


「軍を……やめる?」
「ああ……軍もやめて、戦争もやめて、人間もやめる」
突然のマルコの告白に驚いた。は思わず持っていたペンチを落とさないように飛行艇の上においた。
「辞表は出してきた……、お前はどうする」
ついてくるか、と問われているようだった。今までのだったなら、そして、今の心身状態から言うと反対されてでもマルコと一緒に行くべきなのだろうと心の隅で理解はしていた。一番大好きな のはマルコだし、一番最良なのはこの道だ。
けれど、は首を振っていた。
「いか、ない……僕は残る」
「そうか」
「マルコ、とは、もう……会えないの?」
「なあに、ジーナの店に来れば会えるさ」
俺たちは家族だろう、と笑ったマルコの胸に顔を埋めた。マルコもの後頭部をわしわしと撫でて、別れを惜しんだ。
「一番好きなやつのそばに居るのが、一番幸せだ……元気でやれよ
「一番好きなのはマルコだよ?」
「ちげえな、俺たちは家族だ……順位なんかねえさ」
「じゃあ、だれ……?」
そいつぁ自分の胸に聞くしかねえよ。とマルコは去っていった。

それからは大変だった。軍の反対を押し切り出て行ったマルコは風の噂では豚になったらしい。
本当に人間をやめてしまったのだとは新聞記事を見て思った。すっかり豚の賞金稼ぎとして有名になった幼馴染みをそっと指で撫でては今日も眠れない夜を過ごした。

ほんの少しの野菜と、チョコレートだけがの身体をこちらの世界のぎりぎりの所でつなぎ止めていた。


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幼馴染み一人名前つけました……
あった方が便利だし。ようやく原作近くなってきて、それでも大して原作に沿う気がしないのですが……まあいいかなと。フェラーリン夢ですし
2012/07/17


Title by yaku 30 no uso