毒にも薬にも花にもならない
―――エドモンドが帰って来ない。
それは、そういうことだろうと軍にいる者達は察しをつけた。ある程度の期間見つからなければ死亡と処理されるのだが、その期日が迫ってもエドモンドは帰還しなかった。
フェラーリンはとうとう『一人』になってしまったと、焦燥感に駆られる。
軍部では死亡と処理されたその日、の儚い背中を見かけた。フェラーリンはその背に向かって廊下を急ぐ。途中で足音や少し荒くなる息を聞き取ったのかは振り向いた。
涙もない、表情もない、顔色も悪いその容貌は全身で悲しみを表現していた。豚ではないが、彼もなにか人間ではない者になってしまうのではないかと思わせられるほどだった。
「」
名を呼べば、彼はぎこちなく笑おうとした。
いっそ、泣きついてほしかった。
どうか、取り繕わないでほしかった。
顔を包みこみ、おそらく数日間眠っていないために濃くなった隈をよく見る。の青い瞳に映る自分は必死の形相をしていた。
「どうし、ましたか」
「―――その、大丈夫なのか」
今まで、親しい者を喪った人を多く見て来たというのに、毎回ろくな言葉が出てこなかった。
せめてにはもっとマシな事を言ってやりたいと思うのに、やっぱりフェラーリンは尋ねることしかできない。
「大丈夫とはいえませんけど……仕方のないことです」
部下も、己も、そう答えるだろう。
もっと悲しんで、いっそマルコの様に出て行って自由奔放になってくれれば別の意味で心配し続けられるのにと、ひっそり思う。それもそれで困るのだが。
落ち込むを見たくないのと、それをどうにもできないだろう現状を迎えたくないからだ。
フェラーリンが手を放すと、は癖のある髪の毛を、そっと耳にかける。
その時に見える手首の細さが目に付いた。
「お前にここは向いてないな」
「え……」
ぴくりと華奢な手が震えた。
「眠れないんだろう」
「大事な人が死んだと知らされたら、眠れなくなったって、いいじゃないですか」
「それがずっとだろう」
幼馴染みだけではなく、軍に入ってから知り合った者にだっては同じに悲しむ。もちろん、幼馴染みの死を聞いた後の彼は特に酷く憔悴しているのだが。
慣れて、割り切って、なんとか生きて行けるタイプの人間ではないと常々思っていた。本人とて思っているのだろう。
マルコもエドモンドも、先に逝った者たちも、おそらく知っていた。それなのにずっと軍に置いていおくことがまず間違っていたのだ。
空軍に入ったきっかけであるマルコが去った時にでも、やはり一緒に行くべきだった。
「なぜ、マルコと共に行かなかった」
「そんな事言うんですね……」
また、ぎこちなく笑った。
口元がわななき、眉が垂れるので先ほどより下手くそで、泣きそうにも見える。
このまま泣かせた方が良いのだろうかと、頭の隅でフェラーリンは思う。
は、フェラーリンの問いに答えない。もう一度髪の毛を耳にかけ、目線は合わせず、まごついていた。
「ほんと、いみわかんない」
ぽつりとついた、初めての悪態を喜んでいる暇はなかった。
ようやく吐き出したのはおそらく本音で、フェラーリンは次の言葉を待った。
怒っても良い、駄々を捏ねても良い、とにかくせめて少しでも本当の自分が出せれば良い。
「いちいちへこんでる弱い僕は軍に居たら行けないんですか」
「そうはいってない。でも、辛いだろう」
「みんな辛い思いしてる!」
は、強い眼差しで反論した。
フェラーリンはそこに、波打ち光るアドリア海をみる。
「お前はもっと、自分のために生きるべきだと言っている」
「自分のために生きてる!―――僕は……僕はただあなたのそばにいたかった……」
頭突きをするように、胸を打つ頭をフェラーリンは驚愕の表情で見下ろす。そして、理解して歓喜するよりも先に不安を感じた。
ばか、と悪態をついて震えるの細い肩を両腕で掴み、身体を離す。
そうするとまた、の顔が見えた。
本当に泣きそうな顔をしていた。
「もし……俺が帰って来なかったらどうする」
フェラーリンの不安はそこにあった。
軍に居る理由が自分なら、もし自分が居なくなったら軍を去る、それだけで済むのか。
長い年月共に過ごし、憧れた男よりも自分をとったことに対する嬉しさ以上に恐ろしさがそこにある。
「―――眠るよ」
はゆったりと微笑を浮かべる。
瞬きと共に、雫が一粒睫毛からはじき出されて、頬を伝わずに一瞬で落ちて行った。
幼馴染み最後の一人の名前、今更かなーと思ってたけど、やっぱり決めておいて良かった。
それは、そういうことだろうと軍にいる者達は察しをつけた。ある程度の期間見つからなければ死亡と処理されるのだが、その期日が迫ってもエドモンドは帰還しなかった。
フェラーリンはとうとう『一人』になってしまったと、焦燥感に駆られる。
軍部では死亡と処理されたその日、の儚い背中を見かけた。フェラーリンはその背に向かって廊下を急ぐ。途中で足音や少し荒くなる息を聞き取ったのかは振り向いた。
涙もない、表情もない、顔色も悪いその容貌は全身で悲しみを表現していた。豚ではないが、彼もなにか人間ではない者になってしまうのではないかと思わせられるほどだった。
「」
名を呼べば、彼はぎこちなく笑おうとした。
いっそ、泣きついてほしかった。
どうか、取り繕わないでほしかった。
顔を包みこみ、おそらく数日間眠っていないために濃くなった隈をよく見る。の青い瞳に映る自分は必死の形相をしていた。
「どうし、ましたか」
「―――その、大丈夫なのか」
今まで、親しい者を喪った人を多く見て来たというのに、毎回ろくな言葉が出てこなかった。
せめてにはもっとマシな事を言ってやりたいと思うのに、やっぱりフェラーリンは尋ねることしかできない。
「大丈夫とはいえませんけど……仕方のないことです」
部下も、己も、そう答えるだろう。
もっと悲しんで、いっそマルコの様に出て行って自由奔放になってくれれば別の意味で心配し続けられるのにと、ひっそり思う。それもそれで困るのだが。
落ち込むを見たくないのと、それをどうにもできないだろう現状を迎えたくないからだ。
フェラーリンが手を放すと、は癖のある髪の毛を、そっと耳にかける。
その時に見える手首の細さが目に付いた。
「お前にここは向いてないな」
「え……」
ぴくりと華奢な手が震えた。
「眠れないんだろう」
「大事な人が死んだと知らされたら、眠れなくなったって、いいじゃないですか」
「それがずっとだろう」
幼馴染みだけではなく、軍に入ってから知り合った者にだっては同じに悲しむ。もちろん、幼馴染みの死を聞いた後の彼は特に酷く憔悴しているのだが。
慣れて、割り切って、なんとか生きて行けるタイプの人間ではないと常々思っていた。本人とて思っているのだろう。
マルコもエドモンドも、先に逝った者たちも、おそらく知っていた。それなのにずっと軍に置いていおくことがまず間違っていたのだ。
空軍に入ったきっかけであるマルコが去った時にでも、やはり一緒に行くべきだった。
「なぜ、マルコと共に行かなかった」
「そんな事言うんですね……」
また、ぎこちなく笑った。
口元がわななき、眉が垂れるので先ほどより下手くそで、泣きそうにも見える。
このまま泣かせた方が良いのだろうかと、頭の隅でフェラーリンは思う。
は、フェラーリンの問いに答えない。もう一度髪の毛を耳にかけ、目線は合わせず、まごついていた。
「ほんと、いみわかんない」
ぽつりとついた、初めての悪態を喜んでいる暇はなかった。
ようやく吐き出したのはおそらく本音で、フェラーリンは次の言葉を待った。
怒っても良い、駄々を捏ねても良い、とにかくせめて少しでも本当の自分が出せれば良い。
「いちいちへこんでる弱い僕は軍に居たら行けないんですか」
「そうはいってない。でも、辛いだろう」
「みんな辛い思いしてる!」
は、強い眼差しで反論した。
フェラーリンはそこに、波打ち光るアドリア海をみる。
「お前はもっと、自分のために生きるべきだと言っている」
「自分のために生きてる!―――僕は……僕はただあなたのそばにいたかった……」
頭突きをするように、胸を打つ頭をフェラーリンは驚愕の表情で見下ろす。そして、理解して歓喜するよりも先に不安を感じた。
ばか、と悪態をついて震えるの細い肩を両腕で掴み、身体を離す。
そうするとまた、の顔が見えた。
本当に泣きそうな顔をしていた。
「もし……俺が帰って来なかったらどうする」
フェラーリンの不安はそこにあった。
軍に居る理由が自分なら、もし自分が居なくなったら軍を去る、それだけで済むのか。
長い年月共に過ごし、憧れた男よりも自分をとったことに対する嬉しさ以上に恐ろしさがそこにある。
「―――眠るよ」
はゆったりと微笑を浮かべる。
瞬きと共に、雫が一粒睫毛からはじき出されて、頬を伝わずに一瞬で落ちて行った。
幼馴染み最後の一人の名前、今更かなーと思ってたけど、やっぱり決めておいて良かった。
2016/04/15
Title
by
yaku 30
no uso