うさぎと朝食を

フィオがアメリカに留学している最中、実家の飛行艇製造会社に一人見習いが入ったと、祖父から連絡を受けた。
どんな人、と聞けば元は空軍で整備士をしていた、フィオよりも6つ年上の青年らしい。空軍にいた父からは聞いたことのない名前だったけれど、収入が足りなくて父や叔父が出稼ぎに行く中、わざわざ祖父が雇ったと言う青年にとても興味が沸いた。
まだ勉強中のフィオよりも、軍で整備をしていたのだからきっと色々な事を知っているにちがいない。
早く、その彼に会ってみたいと思った。

一年後、実家で出逢ったのは、痩せた背の高い青年だった。
「あなたが?」
「初めまして、フィオ」
ふにゃりと力なく笑った顔は友好的なのだが、目の下にうっすらと浮かぶ隈や、青白い肌色がどうも暗くて野暮ったい。
飛行艇製造会社なのだから、多少薄汚れていても不思議ではないと言うのに。
自身も徹夜や食事を抜いたりするなど不摂生なこともあるが、彼は慢性的に色々と足りていない気がした。
「ねえ、あなたちゃんと食事してる?睡眠は?まさかずうっと仕事なんてしてないわよね!?」
自己紹介の次に飛び出た言葉に、はきょとんと目を丸めた。そして、横に居る祖父をちらりと見て口を変な風に曲げる。
祖父は大笑いしての背中をばしばしと叩き、彼はそれだけでおっととよろめいた。
「だっはっは!ほれみろ、初対面の娘っこにだって心配されるぞってなあ!」
「あ、やっぱりそうなのね!?だめよそんなに痩せてちゃ」
ははにかみながら目を逸らした。
年上で背も高くて、フィオよりも知識や経験もあるけれど、不健康で不摂生な様子や子供っぽい性格を見ているとどうしても世話を焼かないとという気になって、毎晩眠るように言いつけ、毎朝朝食に引っ張って行く生活が始まった。

「……こんなに食べられないよ」
「食べられる所まででいいわ!とにかく最初は一口でも食べる癖をつけたら良いのよ。はい、エスプレッソ」
「ありがと」
本当は、食事の量は大したものではない。
目の前におかれたエスプレッソの湯気を顔にあてながら、眠たい目を潤わせるように細めるをフィオはじっと見つめる。その視線に気づいたのか、ぱちりと青い瞳を開いて上目遣いでゆっくりとカップに口をつけた。
「なにかついてる?」
「ううん、はいつもどんな風に一日を過ごしているのかなって思って」
「うーん、毎日決まってる訳じゃないけど、最近の起きる時間は今日とそう変わらないかな」
「眠る時間は?昨日ベッドルームに引っ張って行ったけれど、あと二時間は寝ないって言ってたわね」
朝食を食べるように促すと、はシリアルを苦い顔して見ながらスプーンを両手できゅっと握る。
「眠る時間は決まってないよ。でも、睡眠時間は4時間くらい」
「毎日?たまには沢山寝ないとだめよ」
フィオも夢中になれば徹夜だってするし、自分が真っ当で健康的な人間とは思っていない。
それを充足する為に昼寝をしたり、休みを取ることは不可欠なのだが、きっとはそうではないのだろう。
もごもごと食事をとりはじめた彼は、既にお腹いっぱいと言いたげに眉を顰めている。
「……とりあえず朝はチョコとか食べて、掃除と整備。頼まれた事があったらやるし、お客さんに対応したりとか。担当してるパーツがあるわけじゃなくて、オールマイティーに手をだしてるよ」
「得意なのと苦手なのは?」
説教は聞こえなかった振りをして、は最初に聞かれた一日の流れをひとまず述べた。
フィオは飛行艇の話をするのが、思った以上に楽しかった。も話に夢中になり、いつの間にか食事を辞めていて、シリアルはふやけてフワフワになっていた。
それをフィオはむしゃむしゃと食べたけれど、隣で見ていたがすごいすごいとキラキラした瞳で純粋そうに見ているのが少し面白かった。


フィオが帰って来てから半年が経ったが、が出掛けた回数は極端にすくない。もちろん仕事は基本年中無休なのだが、そうじゃなくても自分の好きな事をしている様子はほとんどない。けれど、月に一度だけ飛行艇に乗って出掛けて、一泊して帰って来る。
それはマダムジーナのいる、ホテルアドリアーノだと祖父に聞いたときは少し驚いた。
飛行艇乗りは必ず一度は彼女に恋をする、と聞いたことがある。は普段フィオよりもだらしなかったり子供っぽかったりする所為で忘れがちだが、もう大人だ。
「ねえ、もマダムジーナに恋をしたの?それとも今もしているの?」
「……おやっさんにでも聞いた?」
夜遅くになっても仕事に打ち込んでいたにコーヒーを差し入れに行ったついでに、フィオは問う。
柔らかく笑うは初めて会った時よりは隈が薄くなった気がするし、血色も良い気がした。
「残念、僕はジーナに恋をしたことはないよ」
「そうなんだ。ねえ、じゃあ好きな人っている?」
「いるよ」
マグカップを優しく見つめながら、は答えた。
あまりにもあっさり答えられて、フィオは抱え込んでいた足を地面につけて、身を乗り出す。
「え、いるの?」
「そりゃ、僕だって良い歳した男だから」
「どんな人?」
「いじわるな大人の男」
はデスクに肘をついて、からかうような視線を投げて来た。
「素敵……」
その表情に、思わず感想が零れる。
いじわるな大人の男が素敵だと思ったのではない。
「そう?」
「ええ、今のがとても素敵だった」
「なんだ、僕?」
くすくす笑うに、フィオも笑う。
「フィオは?好きな子いないの」
「あたしは全然!」
「留学してた頃にボーイフレンドいなかった?」
「いたわ。でも、留学が終わってこっちに帰って来ようと思ったら、なんだかあっさりさよならして、もう顔も忘れちゃった」
再びイスの上に戻り、胡座をかいてのけぞるフィオ。はそれを見てまた笑みをこぼした。
「…なあに、笑っちゃって。子供だと思ってる?」
「いや、べつに。子供だって恋はするし、それが本気じゃないわけでもないでしょ」
「そうね、好きだったときは本気だったわ。でももっと本気になりたいことがあっただけ」
「飛行艇?」
「そう、飛行艇」
「僕もそんな感じかな」
「どういうこと?」
作業に戻りながらもは話続けたが、手の動きには響かない。淀みなく進む行程を覗き込みながらフィオも耳を傾けた。
「軍を辞めた後はジーナの店で少し働いてた。でも、飛行艇がやっぱり好きだった。あの店に居たら好きな人の顔はたまに見れたけれど、振り切ってこっちにきちゃった」
「でも、その人の顔は忘れてないでしょ?」
「もちろん」
「あたしも飛行艇に夢中になっても忘れない人を作りたいわ」
できるよ、とは短く答えた。
いい加減な事を言ってるとは思わないが、あまりにもあっさりいうのでフィオは少し不満気な顔をしたけれど、が目の前の作業から顔を上げる事はなかった。
「朝ご飯の時間は変えないから、きりの良い所で寝るのよ。納期はまだ先なんだから!」
「はぁい」
背中を叩いて、飲みかけの自分のコーヒーを持ってフィオは部屋を出て行く。
自分自身も、あと一踏ん張り仕事をする予定なので、今すぐ寝ろとは言わないでおいた。

「フィオ、起きて、起きて」
勝手に寝室に入って来たらしいに、朝日とともに起こされた。
明るい茶髪はきらきらと光り、青い瞳は美しく精彩を放っている。
「やだ、あたし寝坊した?」
「ううん。でも早く起きちゃったから、朝ご飯作って」
「……エスプレッソはが入れてよね」
慌てて起き上がったフィオだったが、時計をみていつもの起床時間よりも30分も早いことを確認して肩を落とした。
ベッドに肘をついてにこにこ笑うが憎たらしい。
前はあんなに不健康で、朝ご飯もまともに食べられない子だったのに、とぶつぶついいながら廊下をずんずんとすすむ。
「いつからこんなわがままな子になったのかしら」
「褒めてくれる?」
「褒めないわよ!」


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兄妹みたいな、姉弟みたいな、友達みたいなふたり。
基本的に子供っぽく素直だったけど、肝心なときには言わないので、軍の人達には我儘になれとかいわれてて。(弱音を吐くのが下手で、誰にでも甘えられるわけじゃなかった)
だから我儘になれたけど、褒めてくれる?っていう。
なる相手が違うんですけどねえ。
2016/05/20


Title by yaku 30 no uso