sakura-zensen
天降る春
01話
※偽名変換できます(愛称その他)
───月の形がちがう。
これが、突然宙に身体が投げ出されて気づいた大きな違和感だった。
今日は新月のはずなのに、俺が見ているのは満月。
それ以前にさっきまで俺がいたのは家のベランダだ。かなりの高度から落下している事自体、そもそもおかしい。
「あ」
「───!?」
空中で体勢を整えるべく身体を捻ると、なぜか人と目があった。断崖に生えた木にぶら下がっていたらしい。
一瞬の出来事が酷くスローモーションに感じられる。
月灯りに照らされて見えた男の、焦りの滲む顔はまるで俺を助けようとしているみたいに見えた。
案の定、手が伸びてきた。そして俺の身体を掴むやいなや引き寄せ胸に抱き込む。そのまま、庇うように眼下に広がる渓流へと着水した。
───ドポンッ
───ゴィン……
水しぶきが上がる音と同時に、鈍い打撃音が俺の耳に入った。
振動や痛みからして自分自身に起こったことではないのはわかっていた。
ということは……、と考えていると、俺を掴んでいた腕から途端に力が抜けていく。
岩か何かにぶつかったかもしれない。それはまずい。水底へと沈んでいくのを手放すまいと、その脚を掴んでしがみついた。
手繰り寄せるようにして腰や胴を掴んでいるうちに、ようやく勢いが弱まって浮力が働き始める。男を抱えて月明りの差し込む方へと泳いだ。
水面から顔を出して息を吸うと、満月の浮かぶ夜空が眼前に広がっていた。なぜ、俺はこんなところにいるのかと不思議に思うも、周囲にちらほら水面から顔を出す人が現れたことで身構える。
「ぶはぁ!」
「なんだなんだ!?」
「八方斎様~っ!大丈夫ですかぁ!?」
十人くらい人の気配があったので、この男を抱えて逃げるには向かない状況だ。
落下したのは俺達二人だけだったはず。だから、彼らはこの川を泳いでいた人間だろう。でも、夜の川を泳ぐなんて普通の人はまずやらない。
立泳ぎをしながら周囲に注意すると、彼らは皆知り合いのような口ぶりで、周囲の様子を窺っている。
「誰かが落ちてきたんだっ」
「そこにいる!」
「おーい、大丈夫か?」
案の定自分たち以外の異物には気づかれ、俺と、俺が抱えている人は彼らによって引き上げられた。今この状態で逃げ出すには俺も分が悪かったので同じく気絶したふりをして男にしがみつく。
岸に引き上げられながら、薄目で確認した。
周囲を取り囲むのは、赤い忍び装束を来たサングラスを来た十人ほどの男たち。一人だけ頭がデカイ、服装の違う男もいたがそれがおそらく隊長的な者だろう。
「気を失っていますね」
「わしの頭にぶつかったのはこいつか?───ん?」
「八方斎さま、こっちの男は忍術学園の……」
彼らは俺たちを見下ろして何やら話し込む。なにやら、気を失ってる男の方と面識がありそうだ。
確かに両者共に色は違えど忍び装束を着ていて、同業だというのことは察しがついていた。でも同じ忍びだからと言って仲間とは限らない。むしろ、積極的に討たれる可能性もあるわけで、彼らがこの人をどうするつもりなのかは判断がつかなかった。
ここは、俺の居た場所───火の国木の葉の里ではない。春野サクラとして生を受ける前に生きていた日本の、昔の時代だろうと察する。……にしても、サングラスが存在してたのは驚きだけど。
木の葉に居た時に忍術だの幻術を使われたのか、もっと大いなる力が働いて、俺が一度生まれ変わったみたいに今度はタイムスリップでもしたのか、とにかく別世界に来たらしいのは何となく理解した。だからって、忍び同士の不透明な関係のさなかに落とされるなんて、とんだ災難である。
ふいに手を掴まれて気が付いたのは、男が意識を少し取り戻したこと。だけど胡乱な目つきで朦朧とした様子からして、覚醒とは程遠い。
そのことに気づいた周囲の面々も、とりあえず詰所に運びこむと言って俺たちの身体に手を回す。
「む、手を離さないぞ」
「どうしましょう八方斎様~」
「仕方ない、二人一気にかつげ」
男は俺の手を離そうとしないみたいで、困った周囲は俺を男の身体の上にぽいっと乗せた後、神輿のように担いだ。重たいだろうに、と思ったが変に気を使って追及されるのはまだ困るので、俺はされるがまま……男の身体を下敷きにしたまま運ばれた。
程なくして俺と男は、部屋らしきところに下ろされた。
そして「おい、起きろ」と揺さぶられて目を覚ます男につられ、俺も目を開いて今起きたようなふりをする。
「あれ!?老婆かと思ったら若い娘じゃないか」
「なんと面妖な」
「目の色も変だぞ」
起き上がる様子を見ていた忍者たちは俄かに騒ぎ出す。
落下した時から気づいていたが、俺の腰まで長く伸びた髪は桜色だった。おそらく目も緑色。つまり、春野サクラの色のまま。
それにしたって変なのは、十六の頃には短髪にしていたというのに、今現在長い髪だ。腕に絡みつく濡れた髪を疎ましく思いながらかき分けた。
「もしかして化生の類なんじゃ……」
「ここはどこですか……?あなたがたは……?」
髪が長いこと、娘呼ばわりされたことから鑑みて俺はどうやら性別が女に見える程度には若返っている。それを利用して、俺は何もわからない、大人しそうな少女を演じた。
ふと、未だに掴まれてる手首が一瞬揺らいで、だけどもう一度掴み直されたのを感じ、腕を辿って目を覚ました男を見た。
じっと俺を見ていた顔は、俺と目が合うと一瞬驚きに染まる。それはきっと俺が『化生』のようだからだろう。
「───……天女……、」
なんて????
低い声が呟いたのは、そんな言葉だった。
目の前の男から吐き出されたかどうかも一瞬わからなかったが、周囲の視線が俺達に集まったことで理解する。
「天女、だって?」
「おお、たしかに天女かもしれん」
「言われてみれば、神秘的な姿だ……」
何故かその天女という言いように、周囲は沸き立つ。
俺を人ならざる者と恐れた彼らにとって、天女という耳障りの良い言葉は安堵を生むのだろう。……まあ、異端とみなされて排除されるよりはマシかと否定も肯定もしないでおいた。
一方で、目を覚ました男は俺のことは勿論、自分のこともよくわからないようだった。
つまり記憶喪失だ。頭を強く打っているようだったので、一時的に記憶が混濁しているとかはあり得るだろう。それにしたって、事故前の記憶はともかく自分のことがわからないというのは深刻な事態だけれど。
俺達の手当てをしていた忍者たちは、男と俺に記憶が無いと知ると、困ったように部屋を出て行った。おそらく俺達を連れて帰るよう言いつけた隊長に報告に行くのだろう。妥当な判断だ。
残されたのは俺と男の二人だけ。
「……服、着替えましょうか、濡れたままでは風邪をひいちゃいますし」
「ここで?」
服が置いて行かれていたので提案すると、男は眉を顰めて周囲を見た。
廊下に繋がる戸はあれど隣の部屋があるのかは不明。屏風や衝立となるものがないため同室で着替えるのは気が引けたんだろう。
かといって、廊下に出るのは時間の無駄だし、ここがどこともわからない場所なのでやめた方が良い。
「互いに後ろを向いて着替えましょう。良いというまでは振り返らないこと」
「承知した」
結局、俺たちは(見ず知らずの仲だけれど)互いの良心を信じて約束をした。
男は着物を手にするやいなや、早速背を向ける。頭巾を解いて長いやや癖のある髪が露わになるのだけを見届けて、俺も背を向けて着替えることにした。
程なくして着替えを終えて声を掛け合ったところで、慌ただし気な足音が複数部屋に向かってやってくる。
男も忍者のようなのですぐに反応して、床の上に腰を下ろし居住まいを正した。俺もそれに倣って隣に並ぶ。
スパン、と戸を滑らせて入って来たのは最初に見た頭の大きな男だった。頭頂部が禿げているのでペカッと光が反射して輝いている。
彼は稗田八方斎と名乗った。ここドクタケ領城主木野小次郎竹高様に仕える忍者隊の頭領だという。俺たちが記憶喪失だということを確かめようとしているらしい。
「自分がどこから来たのかはわかりません……でも、この人と引き離さないで欲しいのです」
「ん?」
俺はさっきまで手首を掴まれていたのとは逆に、今度は男の手を掴んだ。
八方斎さんはやや困惑気に眉を顰め、男は目を瞠って俺をまじまじと見る。
「共に落下してきた通り、この方は私の唯一のよすが。どうか朝には二人で放り出してくださりませ。手当をしていただいた恩は忘れません」
「ならん、それはならん!」
「、」
駄目か、と内心で舌打ちをする。
この男が記憶を失くしたのは多分俺のせいという負い目がある。そして直前に、俺を守ろうとしてくれた恩もあった。だからここから出たら記憶を取り戻して家に帰る手伝いをしなければと思っていたのだが、八方斎さんは許さなかった。
「こやつは天鬼。───このドクタケ城忍者隊の仲間なのだ。そして、、お前もな」
天鬼、そして。聞き覚えのない名に困惑する。
「記憶が無いのだから無理もない。お前はある日天から降ってきた天女で、この天鬼とは夫婦となったのだ。ところが天女であるお前を狙い、悪の忍術学園の者たちが刺客を放った。天鬼はお前を守りながら逃げていたところ手傷を負わされ、さきの渓流を流されていたのだ……仲間であるわしらも二人を探しておってな、見つけたのは実に僥倖だった」
メオト????
言っていることがうまく呑み込めない俺をよそに、八方斎さんは続ける。
「だが安心せい、もう大丈夫じゃ。二人でここで暮らせばよい。我らドクタケ忍者隊および城主、木野小次郎竹高様はいたずらに戦乱の世を続けさせんとする悪の手先忍術学園を討ち、泰平の世を手に入れるべく日々戦っておる───その、手助けをしてくれ」
八方斎さんの目つきが異様な光を帯びていた。
圧倒されそうになる勢いに、俺はこの場を切り抜ける方法が思い浮かばなかった。なにせ、ここがどこだかもわからない。俺だけ一人逃げおおせたとして、隣にいる彼を置き去りにするのは寝覚めが悪い。
でも、夫婦はないだろ、夫婦はさ……。
土井半助に遅ればせながら恋……。
Jan.2025