sakura-zensen
天降る春、月夜のうら
01話
目を覚まして初めて見たのは剥き出しの梁だった。
その暗さと光の当たり方からして今は夜のようで、仰向けに寝転んでいた首を横に動かすと、火が付いた囲炉裏とその前に座る男の後姿があった。
「目が覚めたのか」
身じろぎをした俺に気づいた男が、振り返り立ち上がる。
みしりみしりと足音がして、近づいて来たので俺は起き上がった。
「あなたは……?」
言いながら、身体中に包帯がまかれていることに気が付く。だが、俺に怪我はないはずで、いったい何があったのか、そして彼が誰なのかと疑問に思う。
「お前さんが倒れてた所を見つけて俺の家に運んだ。やったのは忍者か?」
俺自身を忍者と指摘するのではないあたり、上手い聞き方だと思った。またそれによって、この男がそちらの界隈に精通していることを俺に悟らせる。
だがそうだとして、俺を取り巻く何一つ、今彼に話すことはできない。
なにせ、ここに至るまでの俺は木の葉にいたはずだから。
「……わかりません」
「そうか」
彼は俺の回答にやや笑った。
そして「言いたくなきゃ言わないで良い」と言いながら俺を再び寝かせた。
翌朝、大木雅之助と名乗った男は、包帯を変える際に俺の身体が無傷であることに驚いた。
昨夜保護された時の俺は、崖から落下した際の打撲や擦り傷、直前に襲われていたであろう裂傷が無数にあったという。そして俺の手に握られていたのが苦無だったことから、忍び同士の争いごとだと思ったらしい。
俺、怪我をしてたっけ?いやまあ、転移した衝撃で記憶が一時的に混濁し、治してしまったのかもしれない。
「崖下……どこだか教えていただけませんか?」
「どうしてそんなことを聞きたがる」
「実は、肌身離さず身に着けていたものがないのです」
これは嘘だが、自分が落下しただろう場所を聞きたいがために、大事な組紐を落としたと言ってみる。
「……見た覚えはないな」
「夜でしたからね」
「探してきてやる、特徴は?」
「いいえ、自分で探しに行きたいんです。あれは母が無事を祈りながら編んでくれたもので、他人が触れると運気が下がるといいますか」
「……ここから南東に一里ほど行った山中の崖だが───まだ行かない方が良い。お前さんを昨夜襲った連中が潜伏しているかもしれない」
「そうですよね」
大木さんは俺にあらかたの位置を教えてくれたけど、それは行って良いという意味ではなくその場所を避けろという意味だと分かっていた。
たとえ怪我が治っていようと苦無一本しか持っていなかった俺をむざむざ危険な地帯へと送るつもりはないと。そしてその苦無もまだ返さないと言われたので、善良な人間らしい判断だなと、形ばかりは頷いておいた。
日中に大木さんとした会話や、家の外で大木さんと近所の人が話していた内容からして、此処はどうやら木の葉ではなくて日本の昔の時代らしかった。以前来た忍たま乱太郎の世界かどうかは定かではないが、帰るならひと月かかるだろう。
その間は、山の中に身を潜めているのが良いと思い、俺は大木さんが眠ったであろう夜中に家を出た。
彼は俺の髪や目の色、一晩で怪我が治ったのを目の当たりにしても何も言わなかったが、だからこそ俺と深く関わっても良いことはないだろう。
しかしそれらしき場所───森を一望できる崖の上だ───に辿り着いた時、俺は後ろから人の気配がすることに気が付いた。
人数は複数なので大木さんではない。賊にしては静かで、それ以外で俺を襲おうとする人間には心当たりがない。
恨まれたり狙われてりするほど、まだこの世界にいなかったはず。
───だのに、なんだこれ。
なんで俺は襲われている?
裸足で、薄着で、武器も何も持ってない状態のまま、俺は三人の忍びと格闘していた。
奴らは俺を見るなり飛び掛かって来て、俺に「観念しろ」だとか「手間かけさせやがって」だとか言ってくる。
大木さんが見た俺の怪我はこいつらが負わせたということになるのか?しかし、その記憶が俺にない。というか、俺は転移してきたんじゃないのか?
さっきから記憶と自分の状況がかみ合わない。
「───俺を狙う理由はなんだ?」
「っ、何とぼけたことを」
苦無を振りかざした男の腕を掴んで問うも、答えはない。力を弱めようともしないので、俺はそいつの腕を持って投げ飛ばす。ついでに離れたところにいた男に当てることも忘れない。
人を振り回した反動で俺の身体は少し後ろに滑るが、残る一人の男が背後から忍び刀で斬りかかってくるのに気づいて、身体を捻りながら倒れて避け、地面を転がった後体勢を整えて顎を蹴り上げる。
「ぁがっ!」
舌を噛んで呻く男から刀を奪い、胸倉をつかんで崖の縁に立った。
「動いたらこいつを落とす」
「───っ」
男を片腕だけで宙にぶら下げてみせる。
崖下に仲間が落ちると理解した、離れたところにいる二人は攻撃を躊躇った。ぶら下がっている当人は、俺の腕を必死に掴んでいるが、暴れることもできずに荒々しい息を吐いている。
「い、いい加減にしないか!大人しく我らの元へ戻ってくるならば許してやると言ってるのに!」
「帰ってこなければ、今よりももっと大勢の追手がかかるのだぞ」
……なぁに言ってるんだ?こいつら。
「命乞いの仕方も知らないのか」
仲間が人質に取られた時、見捨てないのは良い。見捨てる奴はクズだ。
だけどどうして、自分たちの言い分が通ると思えるんだろう。
バックに何らかの組織がついているらしいことはわかったが、俺がこいつらの仲間で、逃げた不届きものだと言いたいのか?……だとしたら俺を誰かと間違えてるだろう。
それにしたってその誰かを完全に下に見てる様子が気に食わないので、俺はこいつらを脅して追い払うことに決めた。
「横にいる者を殺せ。そして生き残った方と、こいつを生かして帰す───どうする?」
くい、と顎を振って並んだ二人に唆す。
「な、なんだと……!?」
「さもなくば全員殺す」
「おっ、臆病者のお前に、俺たちを殺せるわけがっ」
「俺が臆病?試してみるか?」
手に持っていた男を引き寄せて顔を近づける。
脅すときは余裕をもった態度を崩さないようにして淡々と、だが恐ろしいことは愉しそうに言うのが良い。
嗜虐的に自分の唇をペロリと舐めて見せたところで、目の前の男は真っ青になって叫んだ。
「お、鬼子め……!!とうとう残虐な正体をあらわしたな……っ!」
「!」
鬼子という言葉を聞いた途端に、不思議と手に力がこもる。
フラッシュバックのように、脳裏に様々な光景が過った。
『父上』と『兄上』は俺が言われた通りに出来ないとぶつ。
『母上』と『姉上』は俺を見ると嫌な顔をなさる。
それでも俺は、家族に捨てられたくはないと、息を殺して生きてきた。そうでなければどこも行き場がない。
この者達は、父上が俺を預けた忍び隊の者たちで、城から逃げだした俺を追いかけてきたのだった。
───これが、少し前までの俺の記憶として蘇る。
どうやら、俺はここで生まれた。今までそのことを忘れていたのは崖から落ちたせいだろう。そこに今度は木の葉で暮らしていた『俺』の自我が覚醒したせいで、あたかも転移したかのように感じた。というわけだ。
今の状況を理解した俺は、掴んでいた男から手を離す。勿論、地面のある所にだ。
突然俺が動いたからって、うまく着地が出来ないほど根性のない男である。
無言で先ほど奪った刀を振り上げると身構えていたが、俺が自分の髪を切り落としたのを見て間抜け面を晒した。
桜色をした髪を、男の膝の上に落とす。風が吹いているので半分程はどこかへ飛んで行ってしまったが、手足に引っかかって残っている分でも良いだろう。
「───これを『首』の代わりに持ち帰れ」
「は、」
言われてることが理解できない男に合わせ、しゃがんで顔を近づける。
「殺して遠き地に埋めたとでも言えば良いだろ?首だけになっても唸り続けるんだから、……鬼は」
言い聞かせるように、ゆっくりと話した。
「し、しかしっ」
「それとも、髪を全て毟って、目玉をくりぬき、容姿がわからないほどに切り刻んだ首を持って帰るか?───どちらにしようかな」
俺は離れたところにいる二人を見て首をかしげる。奴らは俺の殺気を感じて後ずさった。
「~~ま、待ってくれ、言う通りにする!"ウラ"は殺して埋めたと……っ」
「そう、よかった。今度は鬼子などではなく鬼神となって故郷に帰るところだった」
震えながら頷いた男を軽く蹴飛ばすと、奴は俺の髪をわし掴みにして慌ただしく逃げ出した。仲間も同じく一目散に遠ざかっていくので、きっともう俺を追ってはこないだろう。
少しの間、見送るように暗闇を見つめた。
記憶を整理しよう───。
俺は前世春野サクラこととして生きていたのと、同じに身体で生まれた。桜色の髪、翡翠色の瞳、白い肌をしていて、もはや最初の自分の容姿よりも見慣れた姿と言っても過言ではない。
だけどこの時代この国では、そんな人間は異常で、家族は俺を悍ましい鬼子だと誹った。
しかも見た目だけではなく、俺は無意識にチャクラを使えた。つまり怪力で、自分の怪我も治してしまう。
そうすれば、益々俺が鬼だという噂は加速して、あとはもう語るまでもなし。
崖の縁に立ち見下ろしてみると、強い風が吹きあげてくる。
短くなった髪が顔や首にちくちくと当たって邪魔くさい。
俺は確か、ここから一度落ちているのだったか……と更に下を覗き込んだ。だが身を乗り出そうとすると、腕を掴まれる。
「あ、大木さん」
足音も気配もなかったので、彼がかなり優秀であることと、さっきまでの俺に余裕がなかったことを実感した。
「死ぬつもりか?」
「……いいえ」
どうせやり取りも見ていただろうに、何故俺が自分から命を絶つだなんて思うんだろう。笑いかけると、不機嫌そうに眉を顰めた。
恐らく彼は心配してくれたのだろう、と素直に謝ることにする。
「勝手に家を出て申し訳ありません」
「……奴らは?」
「もうこないでしょう。でも村からは出て行きますからご心配なく」
「何を言ってる、また怪我をしているじゃないか。とにかく帰って手当だ!」
「え、いや、良いですって、もしもーし??」
割と雑に身体を担ぎ上げられた。
怪我をしているのは事実だが、一晩で治ったのを見ているだろう。しかし俺の話を聞かない大木さんは、どこんじょーといいながら、ものすごい速さで走り出した。
家に着くと、なんて無謀をしたのだと叱られながら手当を受けた。母親の編んでくれた組紐が嘘だと知った時も、ため息を吐かれる。
俺の『母上』は俺の無事より死を祈って呪いの組紐でも編みそうな勢いだから、我ながら面白い嘘をついたものだと内心思った。
ちなみに、怪我の手当てを受けているのは自然治癒に任せることにしたから。……そもそも今までの俺は、無闇矢鱈と傷を治し過ぎだった。治癒力をコントロールできるとは言え、細胞は無限ではないから、繰り返すうちに寿命が縮まるのだ。
なんて、過去の自分の行動を責めたけど、痛いのは嫌だったよな、とまだ幼いかつての自分に憐憫を覚える。
「それで───ウラっていうのが、お前さんの名か?」
手当の最中、突然そんなことを聞かれて拍子抜けする。
そう言えば、追い忍の一人が俺をそんな風に呼んでいたっけ。
「俺に名はない」
「何?」
「鬼子とかウラって呼ばれていたけど、どちらも鬼という意味の、……まあ名と言えば名なのか」
うんうん、と頷きながら答えた。
一方で大木さんは眉を顰め深く息を吐いた後、多くは聞かず「新しい名を決めろ、今後それは使うな」と言う。
勿論、過去の弱い俺のままでいるわけにも、春野サクラとして浮世離れした存在でいるわけにもいかない。
俺はかつて木の葉でも前世の記憶が目覚めて、そこから自分の人生を生きてきた。
こちらでも自分が生きる覚悟は、───昨夜、髪を切った時に出来ている。
「これからは、と名乗ります、どうぞよろしく」
Jan.2025