sakura-zensen
天降る春、月夜のうら
02話
村の外に用事があり出かけていた帰り道で、ことは起こった。
時間は遅くなっていた為、空はすっかり暗く、月灯りが森の中を照らしていた。
妙なのは、普段は静かな山中がどうにも騒がしいこと。
周辺を検めると、刃物同士がぶつかり合うような音や、微かな怒号、足音などが聞こえてくる。
音はどうやら崖の上からしているようで、下からでは何も見えない。だがひと際大きな、悲鳴のようなものがしたとき、高く聳える崖から、転がり落ちてくる影が見えた。───人だった。
草叢の中に埋まるように落下したのを見て、俺もすぐさまそこに飛びこみ、様子を窺った。
血や火薬の匂いがしていて、呼吸は胸を強く打っただろうから細切れ。年頃は十五か六歳くらいだろう若い───おそらく、少年。
手には苦無を持っているが、着ているのは忍び装束でもなく襤褸切れ。ただし顔を隠そうとしていたのか頭巾は被っていた。
呼吸を楽にしようとその頭巾を剥くと、そこからたっぷりと絹糸のような白髪が零れ落ちてきて驚く。そしてうっすらと開かれた目が暗闇の中で緑に光った。
───なんだ、この生き物は。
「たすけ、」
少年が呻くように言って俺の着物を握った為、我に返った。
とにかく急いでその場を離れる為に抱き上げた。その時手にじわりと温い水がしみ出してきて、身体の中にその手がやや沈み込むように感じた時、深い傷を負っていることを理解した。
追手に気づかれるような跡を残さぬよう、自分の着物に血を吸わせながら村に帰った。
尾行をされていない事を確かめながら家の中に入り、少年を寝かせて家にわずかな明りを灯す。
改めて見ると、着物はほとんど血に濡れて赤く染まっており、剥げばその身体には無数の傷があった。
出血のある個所を圧迫して止血をした後、傷は清めて、薬を塗り包帯を巻く。数が足りなかったので布であればなんでも使った。
最終的にはほとんど全身を布で巻くことになり、血を多く失っている為青白い顔だけがあらわになった。そして彼はいつしか、穏やかな息をして胸を上下させながら眠り始める。
血が付いた衣類を処分した後、周辺に追手がいないかを確認して家に戻った。
やっと落ち着き囲炉裏に火をつけ湯を沸かし始めたところで───後ろで横たわっていた気配が動くのを感じて振り返る。
目を覚ました少年はあれほど傷だらけだったにも関わらず平然としており、俺が近づくと身体を起こした。
少年は自分のことを何も話さなかったが、追われている身では無理もないと、聞かないことにした。
なぜその髪が桜色で、目は緑色なのかも、翌朝になって傷が全て無くなっていた理由も、どこから来てどこへ行くつもりなのかも。
だが少年は、自分が倒れていた場所を知ると、保護した翌日の夜には家を出て行った。
唯一持っていた武器の苦無も返していない上に、履物はなく、着物だって俺の薄いものを一枚羽織っただけ。つまり丸腰で追手がいるかもしれない場所か、はたまた遠くへ行ったと言うなら無謀だ。
手当は不要のようだが、だからってまた命の危険が及ぶような行為をされ、今度こそ取り返しがつかない事態になっていたらと思うと寝覚めが悪い。
そう思って心当たりのある場所へ行くと、案の定少年はそこにいた。
しかも、再び追手らしき忍びと相対している。
状態は多勢に無勢、しかし少年は体術だけで見事に立ち回っていた。
加勢するつもりでいたが、少年が目まぐるしく動き有利な立場にいる以上、手を出せずに拱いた。
結局、あっと言う間に二人を投げ飛ばし、一人を崖の上に吊るして脅す。強さを見せつけ話術を巧みに使って、二度と追ってこないようにまで話を付けたのだから、本当に俺の出る幕はなかった。
話しぶりからして、彼は抜け忍のようだった。
追い忍は彼を「鬼子」そして「ウラ」と呼んだ。鬼子は蔑称で、その異質な髪や目、そして白い肌の所為だ。もしかしたら身体の傷が治ることや、人を軽々片腕で投げたり吊るすほどの怪力のことも指しているかもしれない。
だから、ウラというのが名前、または忍びの仕事をする上での呼称なのだろうと問いかける。
ところが一瞬、拍子抜けしたように目を丸めた少年は、やがてあっけからん言った。名前はないと。ウラというのも、鬼を意味する名であると。
どこか他人事のように頷いてる顔を見ながら、遅れて理解が追いついた。
ウラというのはおそらく温羅のことだ。古代に存在したと言われる鬼。
言い伝えでは外の国から来た者で、空を飛んだりとんでもない怪力を持ち、当時吉備国をおさめたことから『吉備冠者』とも呼ばれていた。
そんな温羅はかつて神の系譜に討たれたが、首だけになっても生気を残し、以後十三年に渡って唸り声をあげ続けた。
おそらく、この逸話を利用して、追手を脅したのだ。
つまり、どれだけ自身が恐れられているかを如実に理解しているということだろう。
昨晩は震えて俺に縋りついて来た子供だと思っていたが、まるで急に大人になったかのようだ。
髪を切り落として首の代わりに持ち帰るよう言った姿は、目を瞠るほどに凛々しかった。
だが、きっとそう成らざるを得なかったのだ。
以後、鬼を自称することなく自身で名を決めたは、杭瀬村で暮らすことになった。
怪我はすぐに治すこともできるらしいが、それをすると身体に負担がかかることから自然治癒にして、五日ほどかけて傷を安定させた。
そして元気になってからは俺の家に住み、農業や家のことなどを手伝うようになった。
身体が頑丈で体力もあり、丁寧に野菜を育て、手際も良い。
野菜の他にも薬草の栽培を始めたり、薬を作るようにもなり、ご近所にも配るようになった為、瞬く間にこの村の人々に好かれるようになった。
髪や目は気にして頭巾や笠、時には被衣をすることで隠しているものの、どうして故郷では鬼子などと呼ばれて疎まれてきたのか甚だ疑問だ。
は類まれなる色や体質を持ち、忍びとして時には冷徹な対応もするが、その根にはきちんと"人"がいた。"鬼"などではない。
それどころか、近頃では村の者たちはが来てから健康になったと言い、運よく病を治された者が出てからは「天女のようだ」とまで評しているのだから、の故郷は幸運を手放した言っても良いだろう。
「……なあ雅さん頼むって」
ある日、村の会議に参加していた俺は、会議が終わるなり複数人に取り囲まれていた。
何かと思えば、最近しつこい、いつものアレだ。
「ちゃんをうちのお嫁におくれよう」
「ジイさんのとこは嫁が必要な倅なんておらんだろうが」
「ジジイおめ、ちゃんを後妻にしようってか!?ふざけんじゃね。そんならオラだって」
「おめえの嫁さん生きとるやろうが!」
に病気や怪我を見てもらったり、力仕事を手伝われたり、ちょっと肩を揉んでもらっただけの奴までいた。顔もよく見えない相手だというのに、優しく身体を労わってもらったせいで男連中はに首ったけになっていた。
「あぁ~うるさいうるさい、は嫁にはやらんと言ってるだろうが!」
そもそもあいつは男だ、と言うのは言わないでおく。
何故なら今度は村の女たちがを狙うのが目に見えているからだ。追い払うなら男の方がまだマシである。
「大体よー、雅さんはちゃんとはどういう関係で───あれ、いねえ!?」
背後でそんな声を聞きながら、俺は追及を避けるように駆け出した。
「ごめんください、大木雅之助先生はいらっしゃいますか」
家に帰った後、がしている畑仕事に俺も加わりに出ようと準備をしていると、丁度客人が訪ねてきた。戸の外に人の気配がして、声が聞こえてくる。
礼儀正しく俺を先生と呼ぶ相手といえば、忍術学園の生徒だろう。
学園長先生からの文でも持ってきたのかと戸を開ければ、見覚えのある生徒の顔がある。
「お、久々知兵助か、よく来たな」
「こんにちは、学園長先生から文を預かってまいりました」
五年生を寄越すと言うことは急ぎなのか、それとも単に久々知が近くに用があってついでに遣わされたのか。わからないが今は手が空いていたので、久々知を家の中に招いて休ませながら文を読む。
文の内容は一年生たちに農村体験をさせて欲しいと言うものだった。
そのこと自体は構わなかった。今ならがいるから、子供たちの面倒を見るのも任せて良いと思う。だが、その前に学園長先生に事情を話さなければと思い立つ。
「───学園長先生の依頼には了承の返事をしよう」
「!そうですか、でしたらその旨伝えておきますが」
久々知は内容を知ってか知らずか、嬉しそうな顔をする。
だが俺が出かける準備を始め、「直接返事をする」と言うと戸惑った。
「久々知はこれから行くところがあるか?俺は勝手にするからもう行ってもいいぞ」
「あ、いえそう言う訳では。ご一緒します!」
「そうか!学園長先生に紹介したい奴がいてな。呼んでくるから少し待っていろ」
言いながら、を呼びに家を出ようとした時、丁度が家に戻って来た所で戸が開いた。
「雅さん、ひと段落ついたー……あれお客さん」
は家の中に客人が居ることに気づき、軽く会釈をする。久々知も慌ててに挨拶をした。
「これから少し出かけるぞ、準備をしろ」
「え、でもお客さんいらしてるのに」
「そのお客さんと一緒に行くんだ」
「?」
「すまんが久々知、外で待っていてくれるか」
俺はさすがにが着替えるであろう時に久々知が居るのはいかがなものかと思い、家の外で待ってもらうことにした。
もちろん久々知は何の疑問も抱かず出て行き、は小さく肩を竦めた。
そして戸が閉まった後、一息吐きながら笠と頭巾を外して俺を見る。説明を求めている顔だ。
「お前も忍術学園は知っているだろう。俺は以前そこで教師をしていたんだが、今度一年生の生徒が農村体験にくることになってな」
の故郷はおそらく備中。城仕えの忍者だっただろうが、学園長のことは知らなくとも学園自体は知っている可能性があったので説明を省いた。
すると案の定、忍術学園という名前にではなく、俺が教師だったことに驚いていた。
「お前もその時に生徒と顔を合わせることになるし、学園長先生に紹介しておこうと思ってな」
「で、今から行くって?」
「そうだ!」
は何か言い淀んだり迷うそぶりを見せたが、結局作業着から着替えた。
格好は笠や頭巾ではなく、女物の鬘を被った上に小袖を被衣にした状態。先ほどは性別のわかりにくい出で立ちだったが、これだと見るからに女人。よく村の外に出るときはこうしていることが多く、そうすると俺の妹だったり妻だったり、その場その場で適当な関係にするのだが───。
「じょ、女性……大木先生いつの間にご結婚されてたんですか!?」
やはり。外で待っていた久々知は面食らった。
先ほどまでは作業するのに軽装姿だったので、男だと思っていたのだろう。
「してない。さっさと行くぞ!」
の変装を見破れないとは、まだまだだな。
久々知には答えを教えてやらないことにした。
観れたアニメの回がごく一部で……ただ、胸元開いててエッッッだなとは思った。
Jan.2025