sakura-zensen

天降る春、月夜のうら

03話

大木雅之助さんこと雅さんの家にお世話になって二カ月になる。
当然以前のように一ヶ月で消えるなんてことはなく、この地でそれなりに人間らしい生活をしていた。
不思議に思うのは、以前ここに来た俺は『どっち』だったのか。しかし、そもそもここは以前俺が来た場所なのか、あれからどのくらいの月日が経っているのか、確証を得られるものがない。
俺は一度木の葉に帰って、木の葉で過ごした記憶があるが、今はここに来る直前の記憶が無く、自分の記憶に穴がある以上、正確な分析は難しいのだけど。

そんなことを思っていたある日、雅さんの家に久々知くんが訪ねてきていた。
俺の記憶と変わらない年頃だったので、同じ世界、さほど離れていない時間なのではないか、というのが所感だ。
でも彼は俺に気づいた様子はなく───いや、顔を見せてないんだから当たり前だが───サインを書いた時の小松田君もそうだった。

「……変わってないな」

俺は被った小袖の中から周囲を見てぽそりと呟く。
雅さんが元忍術学園の先生だったなんて今の今まで知らなかったし、まさかこんな風に忍術学園にまた来ることになるとは……。
「ん?なんだ、来たことがあるのか?」
雅さんは俺の呟きを拾って反応し、久々知くんも首を傾げている。
一応忍術学園はその所在を隠しているので、知人でもなければこの場所に来るのは稀なのだろう。雅さんは俺がどこか遠方の忍者隊にいた事しか知らないし、久々知くんはもはや俺のという名前しかないので、当然の疑問だ。
「覚えてるかわからないけど、学園長先生にも久々知くんにも会ったことがある」
「え……?」
そう言うと久々知くんは更に驚く。しかし学園長先生の庵に辿り着いてしまったので追及する場合ではなくなる。
「あ、が、学園長先生。五年い組の久々知兵助です!」
部屋の前の廊下に座って居住まいを正し、学園長先生に用向きを告げる。
大木先生に手紙を渡したこと、返事を直接伝えに来たこと、そして連れがいることなどだ。
「うむ、入ってきなさい」
襖の向こうから、しゃがれた老人の声がした。
そして久々知くんが戸を開けてくれた後、俺と雅さんは頭を下げて彼に目通りをする。もちろん、その時にはちゃんと被衣を外して顔を出していた。

「ほう、連れとは……ふむふむ、ほうほう。そうか───」

学園長先生は俺をまじまじと見て、意味深長に頷く。
きっと俺を覚えていて、突如姿を消した後またこうして現れた理由を推察しようとしているのだ、
「大木先生いつの間に結婚したんじゃ。わしゃ祝言に呼ばれてない!」
と、思っていたら全然違った。
大木先生と久々知くんはずっこけている。
「学園長先生、違います!」
「なんじゃ、違うのか?そうでなければわざわざわしに紹介などせんと思うたのじゃがの」
「こちらはわけあって変装している姿なのです。彼は男で、」
と申します。───以前お会いした時は春野サクラと名乗りました」
雅さんの紹介からつなげて、自分で名を名乗る。
そして、少し顔を前に出すようにして、学園長先生と目を合わせた。
「なんと……」
「え、春野サクラ……って」
学園長先生、そして久々知くんが口ごもる反応に、内心で安堵する。やはり俺は以前ここに来たようだと。



俺はとある城仕えの忍者だったが、任務の途中で失敗して逃げていたところを、土井先生とかち合って落下したところで記憶を失った。そしてひと月経った時にそのことを思い出して学園を抜けだし、丁度迎えに来ていた仲間と共に故郷へと帰った。
だが故郷での俺は任務失敗における責任を問われて罰を受け、その後今までの自分の行いなどを顧みて忍者隊を抜けることにして脱出。追われていたところを雅さんに出会って、今に至る───ということにした。

事情を説明し終えたところで、人の気配が足早にやってくるのを感じる。
恐らく先ほど久々知くんが学園長に言われた通り、山田先生と土井先生を呼んできたということだろう。けれど、気配は一人分しかないようだ。
部屋に入る前に名乗ったのは山田先生のみで、入室の許可を得て襖を開けると、その顔が俺を見て俄かに驚きに染まる。
「───春野……久々じゃないか」
「お久しぶりです、山田先生」
「山田先生、土井先生は?わしは久々知に二人を呼びに行かせたはずじゃが……」
「はあ、それが……土井先生は一年は組の皆と共に長屋のドブ掃除に出かけておりまして」
「なんと!それは仕方がないのぅ」
学園長はケラケラ笑い、俺もふっと笑いを噛みしめる。
は組の子供たちと土井先生の仲良くしている光景が目に浮かんだからだ。
「その節は、何も言わずに去ることになり、申し訳なく思ってます」
「いや良い。言えなかったんだろう……しかしまあ~~~本当に記憶喪失だったとは」
確かに俺は記憶喪失とは思えない言動をしていたな、と頭を掻く。
だが当時の俺に"ウラ"の記憶は無かったので、ある意味では記憶喪失だっただろう。
「お言葉ですが山田先生、記憶を失う前の私だったら土井先生を置いて一人で逃げていますよ」
「む、そうか、それは───ああいや、だからってそれを責める気はないぞ?」
「わかっています、私がいなくとも皆さんが救出したでしょうから」
笑って言いながら、本当にそうしていただろうなと理解できる。
こちらの俺は、とても臆病だし、人を助けたり気にかけたりする余裕がなかった。そしてそれ以上に、人が怖かったのだ。



日が暮れるよりも前に、俺は忍術学園を発つことにした。
山田先生と雅さんは門のところまで見送りにきたが、何もすぐ帰ることはないと渋っている。雅さんもまだ話があるから学園に泊まるらしいし。
でも俺は杭瀬村で気にかけてる患者さんがいて、咳止め薬を切らしてしまっていたので、急いで帰らなければならなかった。
「───土井先生はもうすぐ帰ってくるし、……ほかの生徒にも会ってないじゃないか」
「別に吾平のじっちゃんの咳止め薬なら、一晩くらいなくても大丈夫だろう」
「今日は昨日と比べてかなり冷えたでしょ、温度変化が大きい日は特に咳が出やすくなるんだ。咳止め薬も万能ではないけど、あるのとないのとでは安心感が違う。それにぐっすり眠れていれば」
「わかったわかった、お前のド根性は!気を付けて帰れよー!」
咳止め薬がいかに重要かを説くと、雅さんは話を遮るように手を振った。
学園長先生と山田先生、そして久々知くんと小松田くんにしか会えてないのは俺も気がかりだが、どうせならゆっくり会える時に改めて来たら良い。それに農村体験をするときに一年生は会えるだろうし。───というわけで、俺は二人に別れを告げて学園から去った。


暗くなる前に村につきたいので、女装をやめて、男物の普段着に笠をかぶった格好で足早に帰る。
しかしもっと急いだほうが良いかと思って、山中に入った後は木の枝から枝へ、跳ぶようにして駆け抜けた。───だがそうしていると、『視線』を感じる。
殺気とか気配ではなく、気づいてくれと言わんばかりのそれ。

背の高い枝に着地した後、ゆっくりと立って笠を少し持ち上げる。そして周囲に視線をやると暗がりの中にうすぼんやりと人影が見えた。
追手にしては静かなたたずまいなので、思い当たる人がいない───と考えたところで引っかかる。そういえば居たな、こんな人。
「なんでここに?」
同じ枝の上に立たれ、目と目が合うほどに近づいて来たので見返すと、俺の目の色が見えたのか、一瞬彼の片目が見開かれた。
こんな風に間近にくるのも、素顔を見せるのも初めてだったかも。しかし彼はすぐに平静を取り戻す。
「……私も、忍術学園の生徒に用があってね。君が帰って来たらしいという知らせを聞いて、追いかけてきてしまったよ」
久々知くんが山田先生や土井先生を呼びに行かされた後、他の生徒たちにも話していたのかもしれない、と容易に想像がついた。
だからって何で俺を追いかけて来るんだろう、と思っていると低い声が薄暗い森の中に落ちた。

「───月夜には鬼がいる」
まるで、ここだけ先に夜が来しまいそうな雰囲気だ。

「身軽に空を飛び、どんな傷を負っても一晩で治り、地面を砕くほどの怪力を持つそうで。しかもその鬼は、恐ろしい見目をしていると」
続いた言葉に、ああ俺の話をしていたんだなと気が付く。
彼は俺の目をじっと見続けているので、『恐ろしい見目』について納得がいった様子だ。どうせならと笠と頭巾を外して頭も露わにすると、更に俺を凝視してきた。
「いつ、俺が───"ツキヨ"の者だと?」
「あの土地には古来から鬼の噂があったが、そこに妙な情報が加わったのは近年。しかもこのふた月ほどはツキヨ城は混乱のさなかにあり、容易に内情を調べられた」
「混乱?」
ツキヨ城はここからから結構な距離があるというのに、よく調べたなと感心する。
「城主が毎夜、鬼の首に追われる夢を見ると騒いでいる。どうやら気が触れたようだ」
ぽかん、と開いた口がふさがらない。
何故、自分で命じておきながら鬼を殺したことを畏れて寝込むんだ。ああいや、昔の俺だったら殺されたくないと泣いて帰って来て縋ったのだろう。だから死ぬなどとは考えなかった。
それを死んだと聞かされて、鬼の祟りに怯えるたあ、情けない。散々虐げて来たくせにな。
しかし、それこそ俺が死んでない事を追い忍が伝えれば良い話だが───そうするとその者は一度虚偽を報告したことになるから言うことが出来なかったのだろう。
「ちなみに若殿は、たいそう気が短く、采配には長けておられないようで。臣下の者たちもほとほとあきれ返っているそうだ」
「……どちらも大した器ではなかった。鬼を従えることで自分を大きく見せ、周囲もそれに乗せられ、みな鬼がいつまでも言うことを聞くと思っていたから」
「いかにも」
つい口が滑って城主とその子を批判したが、彼はウンウンと頷いている。俺達って気が合うカモ。とはいえ別に仲良しこよしをしたくて立ち話をしているわけではない。
「それで、結局どんな御用向きで?」
「ああ、聞いていた情報と違うことがあり───それを確かめに来たわけだが」
「?」
「"ウラ"は城を裏切れるほどの感情も意思もなかったはずだ。そう成るよう躾けられた。それが、いかにして逃げる意思を持ったのか。今の君を見ているとまるで別人だ……私はウラを見たことがないけどね」
そうか、かつての俺はまさしく『飼われていた』ので、逃げ出す意思を見せたことがないのか。それは城内、忍者隊の者全てがそう思う程である。
ウラの噂を聞くと、それはもはや俺とはかみ合わないだろう。
「一度、記憶を失ったから」
短くそう言うと、彼は説明を求めるようにじっと押し黙る。
記憶を失ったことが事実かそうでないか……ではなく、それが何故今の思考に至るのか、と言いたげに。
「人の肚から生まれれば"鬼"、天から降れば"天女"と呼ばれるんだと知った」
目の前の気配が戸惑いに揺らぐ。
俺は更に言葉を続けた。
「そして自分の怪我を治せば"鬼"、人を治せば"天女"だ。───人は愚かで、慈しい」
これはまぎれもなくウラだった俺の口から出た本心だ。
そしてすべての自分の人生を思い出したうえで言う俺の言葉。
「これで答えになっただろうか」
「……月夜の冠者になるなら今が好機───だとしても?」
まるで復讐心を煽ろうとしているかのような口ぶりだなと思う。
故郷に帰り、城主とその嫡子───父上と兄上を討ち、次の主になればいいと唆すような。
だけど俺は恨みに身を窶すほど、生産性のないものに執心しない。それに、もしそうなっていたら俺たちの関係がややこしいことになるので、遠慮したい。
……いや、わざと言っているのか。
俺が明確に否定するのを待っている。少しでもその意思を見せればこれから敵対関係になる、または同盟を結ぶとか、色々考えることもあるだろう。

「いや───月夜では俺の頭は悪目立ちする」
「……ああ、私もそう思うよ。君の桜色の髪は、天道の下にいるほうが美しいから」

俺の気持ちがわかったのか、男はそう言いながら懐から出した何かを、俺に渡した。
それはサングラスだった。いつぞや、俺が投げつけたものだろう。
これを返しにきたのか。なんて律義な───いや、執念深いな……。

気づけば人の姿はなくなっていたが、俺は行方を捜すことなく、村に帰る道を急いだ。
森から抜けた時、丁度山の影に落ちる日が見えて、眩しさに目を細める。
……結局あの人、なんて名前だったっけ。


IF雑渡さんルートとは違う世界観のため、ちゃんとは会ってない(目を見たのは初めて)という設定です。
Jan.2025