春はあけぼの 01
やったあ日本に戻って来たぞ、などと喜ぶこともできないほどに、この国で目を覚ましてすぐ現代ではないことを理解した。まず家も会う人も景色もそれらしくない。───木の葉も大概現代的ではなかったけど。
聞けば年号は天文、戦国から安土桃山時代と呼ばれるあたりらしい。
サクラちゃんだった時も若返ってただけあって、その時自分の体が子供だったのも驚かない。俺もう驚かないからな。
生い立ちとしては、みなしごだったところをおっちゃんに拾われて、そのおっちゃんが元忍かなんかで俺にそういう知識と力を授けて、ツテでお城の下っ端にねじ込んでくれた。おっちゃんには感謝してもしきれない。
どういう思いで俺を育ててくれたのか、忍としての色々を教えたくせに忍として俺を売り込まなかった理由とか、話を聞く前におっちゃんとは会えなくなってしまったけど。
俺がお世話になってるのは尾張の大名家、織田。
この時代の尾張、織田家といったら超絶有名な歴史上の偉人ではないかと殿様の名前を聞いたところ知らない人だった。そもそも織田といったら信長くらいしか俺は知らない。というか忘れた。歴史的知識はふわっと覚えているが名前と立場が一致しないのだ。もともと詳しいわけじゃなかったし、違う世界で過ごした間に記憶は薄れた。
さて、信長いつ出てくんのかなーと思って過ごしていたら、元服した若様が信長になった。急に知ってる名前出てくんのね、戦国時代って。
この織田家、息子娘合わせて何人もいるのだが、中でも嫡男の病弱な若様───信長様を俺がよくお世話していた。
「今日はいつもより、お顔色が優れませんね」
「優れていた日などあったか?」
朝、信長様に白湯をお持ちすると、青白い顔がふっと笑った。
人柄は真面目、聡明、品行方正、心優しく穏やかな少年という感じで、俺にもよく物事を教えてくれたっけ。体があまり丈夫ではないため心配なところがあるが、確かに人より優れた人だろう。
けど、信長って柄だろうか。信長ってもっとこう、元気というか気性の荒い人を想像してしまうんだけど。
「気が重いのだ」
白湯にそっと口をつけたあと細い首が嚥下した。
飲み終えた湯飲みを受け取り、両手で持って信長様を窺う。
「家中の者たちの期待を感じておられるのですね」
「……そうだな」
「素晴らしいと思います」
「そなたまでそのようなことを申すか」
信長様は一瞬目を見張ったがふてくされたような顔をした。
お世辞は言われ慣れたを通り越して、疲れるし、一周回って重いかもしれない。
「お気に障りましたか?申し訳ございません」
「よい。みな織田家のことを思っておるのだろう」
この時代は家督を継ぐこと、家の繁栄が重要視されるので、みんなが期待と共に落胆してることもわかるんだろう。大変な立場だなあとしょぼい感想を抱いてみる。
元気付けてあげる言葉はもたないなあ……と黙っていたところ、咳が出始めたので慌てて背中を抑えた。
「っ、?」
こんこんと咳き込んでいる信長様は俺に背中を触られて少し驚いていた。
普段身の回りのお世話とかをしてるが、咄嗟に許しなく触ることはなかったからだ。
咳は喉を潤したり、背中を温めたりすると良いのでそうしたんだけど、白湯を飲ませても効かなかったか……。まああくまで気休めのようなもので、信長様の咳はそれが通用しないレベルなんだろう。
咳を止めたいばかりに呼吸を抑えようとして辛そうなので、促すように軽く背中を叩いた。
「我慢なさらないほうが……」
「あ、ああ……っ」
俺はしばらく背中をさすって、静かに咳が終わるのを待った。
咳って我慢するのも辛いけど、だからって素直に咳するのも辛いんだよな。
さすったりぽんぽんしていた俺は、信長様が静かになったのも忘れてぼけーっとしており、もうよいと言われて腕を引かれるまで気づかなかった。
「失礼いたしました」
ホールドアップしていると、信長様は汗ばんだ顔で微笑んだ。
「そなたのおかげで少し楽になった」
俺の知ってる織田信長じゃないけど、『俺の知ってる』というのがそもそもフワフワなので歴史上の人物だとか、この先どうなるかっていうのは当てはめないことにしよう。
あとで織田家に出入りしている医者のじいさんの手伝いをしつつ、信長様の過去の容体記録を見せてもらった。
本当に昔から体が弱いらしい。かといって深刻になるほどでもないし、大事をとって休みながら生活をして、その都度その都度様子を見ていくのが良さそうだなと思う。
───けれど、そうさせていただけないのが大名家嫡男である。
鍛錬、勉学もあれば、この間は初陣したし、今後も戦に出ることになるだろうし……これじゃあゆっくりする暇ないじゃないか。
医者のじいさんも本当は療養したほうが良いと言ってたけど、そんな暇あるかと却下されたんだろうな。
数年もすればすっかり俺は信長様のおはようとおやすみのお手伝いをする当番になっていた。
つまるところ、寝る前と寝起きを健やかに過ごすための看病係である。
少し前に嫁入りしてきた帰蝶様より会っているのはちょっと後ろめたさがある。というか、信長様は体が弱いのを抜きにしても、帰蝶様に会わなすぎだと思うんだ。
「のう」
「はい」
寝る前に御髪を整えていると声をかけられる。
手を止めて答えれば続けろと言われて、再び櫛をとおす。髪の毛を整えるついでに頭からマッサージしたいので毎日こうしている。
「池田の養子になる気はないか」
さすがに、ほえ?とアホな声を上げるわけには行かず、後ろで首を傾げてしまったが、だんまりもよろしくはない。
「なぜですか?」
「そなたはわしによく尽くしてくれておる。正式に小姓にしてはどうかと話が上がってな」
そういえば池田様といったら信長様の近習の恒興様では?
俺は元忍に拾われたみなしごであるのは大殿様も信長様も存じている。つまりあんまり良い身分じゃない。小姓は正式に武家じゃないといけない決まりもなかったような気もするが、圧倒的に武家が多いから、そのために打診されてるんだろう。ありがたいんだか、恐れ多いんだか。
でも武家に入ったら入ったで主君に仕えるのだし色々大変そうだなあ、今のまんまじゃダメなのかなあ。
「もしくは、ただ、わしについて参るか?」
「あ、はい!信長様について参ります」
信長様がくるりと振り向いたので、髪の毛が俺の手からするりと落ちた。
「そうか、ではついて参れ」
忍になれと言われたらなれるけど、武士になれと言われるとちょっと困惑する。一番いいのはこのままでいることなのですんなり答えたら信長様は少し驚いたみたいだった。
でも満足そうに小さく頷いてくれたので、俺はこのままでいられるらしい。
ほっと安堵したのもつかの間、───あの問いかけは家出のお誘いだった。
その日は普通にお休みまで見守ったが次の日の夜、出奔計画をほんのり囁かれる。体調や周囲の目も考慮して決行日は決めていないらしいけれど、近いうちにアテができそうなのでそうとなればいつでも出られるように準備しておけと。
アテというのは逃げ場で、準備は荷造りなど。まあ荷物なんてほとんどないに等しいけど。
信長様が逃げ出したとして、大問題ではあるが家督は他のものが継ぐことになるんだろう。いや俺の知識でいうと信長が家督を継ぐんだけど、その前提を排除して考えるとね。
もしくはこの家出が失敗するか、最終的に織田家に帰ってくる、という可能性もなきにしもあらず。
「じゃあ、まあ、いっか」
微妙に悩んでいたがある日の朝、馬番の八郎に話はつけたから行くぞと言われた俺は、簡単な荷物だけ抱えて信長様と織田家を抜け出した。
next.
数年くらい前に信コンに出会いじわじわ浸ってたんですけど、とうとう夢にまで手を出す始末です。
はあ〜歴史的背景も喋り方も難しいし色々つまりそうだし、なんかもう不安はあるけれど、違和感はあたたかい目で読み飛ばしてください。
主人公はサクラちゃんやってからこっち来てるので、現代の日本史で勉強してた知識はほぼとんでます。三英傑はわかりますけど、幼名とか生い立ちなんて覚えてない感じです。
この話、テーマもなにもなく書き始めたのでタイトル何も思い浮かばず、逃げるような形で有名なアレにすがりました。
Sep 2019