春はあけぼの 02
信長様は馬にまたがり俺を引き上げた。馬番の八郎は馬を引いて走るのに、なぜ俺は抱っこされているかというと如何せんまだ小さいからである。10歳は超えたと思うがどうも体の成長が遅い。鍛えてるから走れると言ったけど、城の者に見つかっては困るということで許されず、おとなしく膝に抱えられて行くことにする。暇なので周囲の様子に注意していようっと。
ぱっかぱっかと城から離れたところで、空に黒い点が見えた。
太陽に一瞬目をくらませつつも、顔をそらすことなく手で影を作り瞬時にその黒い点が落下物であることを確認した。
「お借りします」
「サクラ?」
懐から脇差を抜き取り馬から飛び立ち落下物を斬り捨てようとしたところで、俺の動体視力は、それを人間───それも、現代の制服を着た、信長様にそっくりな風貌の子供───であることを捉えた。
咄嗟に刀を放って彼を抱きとめ、着地した。
「な、なんだ!?」
「人か!?どこから……!」
信長様は急に飛び出した俺に驚きながら、馬を止めて振り向く。走っていた八郎はすぐ武器を構えて俺たちににじり寄った。
「あ、どーも」
「怪我は?」
「ないです、たぶん」
少年は俺にキャッチされたことを理解したみたいで、ぽけっとした顔をしつつも礼を言う。
「見るからに怪しげな奴……お主何者じゃ!?」
「───……サブロー」
八郎はサブローと名乗った彼の顔を見てはっとする。
やっぱり信長様にそっくりだよね、この人。俺としては現代の学生服を身にまとっていることが気になったけど。
お互い顔が似ている!と驚いているみたいだが、どうも現代っ子サブローくんの方は現状を理解してないようだった。
「その格好は……時代劇の撮影とかですか?」
「あん?」
「カメラとかは……」
落下して撮影現場に入り込んだのかなっていう、タイムスリップしちゃった人の典型的な反応、みたいなやつを目の当たりにした。そもそもタイムスリップが稀有なことであって、典型的な反応と言っていいのかどうかわからないけど。
「若殿、お咳が……」
「すまぬ」
運動と驚きによって咳き込む信長様の様子に気づき、お水を少し飲ませる。
サブローくんと信長様の戸惑いをよそに、城の方から殿を探す声が聞こえ始めた。あのデカすぎる声はきっと池田様に違いない。見つかったら大変だ。
「おい、そなた、その凛々しい面を活かして……わしの身代わりになれ」
「───ん?」
「ん?」
馬のお尻に乗っかって、ぜーぜーしてる背中をさすってた俺はサブローくんと同様、頭上にはてなマークを浮かべる。
信長様は池田様のデカい声を聞きながらも早口で事情を説明して、俺が放り投げて拾ってきた刀をサブローくんにやった。
つまり本物の信長様は逃げるけど、信長様にそっくりな顔をしたサブローくんがこれから信長として織田家で生きなければならないと?
俺はうっすらその事情を察知して、馬からすとんと降りる。
「あとは頼ん───……おい、何を」
「若様、しっかりご養生なさいませ」
「なぜだサクラ、ついて参れ」
俺が降りたことで一瞬ためらったが、走らせた馬は止まらない。体だけがずるりとこちらに残りそうになったけれど、なんとか落馬はせずにいる。
「信長様にお仕えしてお待ちしてます……!」
俺は手を大きく振って、八郎と信長様を見送った。だってこの、明らかにたった今現代からタイムスリップしてきたサブローくんが織田信長をやるってかわいそうじゃないか。
信長様は静かな地で安息すると言っていたし、向こうには世話役も手配しているから大丈夫だ。
池田様の声がでかくでかくなった今、八郎も信長様もそれ以上振り向いていることもできず、やがて遠くへ走り去った。
さて。信長様があげた刀をかっちょいい〜〜と眺めていたサブローくんの肩をつんつん指でさす。
「ちょっとサブローくん、聞いてた?」
「なにが?」
「君はいまから織田信長です」
「へ?」
信長様にそっくりなお顔だけど、どこか幼くあどけない、柔らかな表情でこてんと首をかしげた。
本当だったら信長様の無茶振りとこれから起こるであろう事態への詫び、それから生きて行くための知識や力をつけてやりたいところだがそんな時間はない。デカい声が近づいてくると同時に、馬の足音までこちらに届いた。
「殿〜〜〜。おいそこの怪しい風体の者…………殿!?それにサクラではないか!」
「ん!?」
見るからに怪しい風体ではあるが、みるからに信長様に瓜二つのサブローくんは真っ先に殿と認識された。しかも俺までいたのが決定打となった。
次いでやってきた平手様にもしがみつかれたサブローくんがはわわっとなってるのを見ながら、俺はちょびっと池田様に説教を食らっていた。
一緒に城を出たことはまず隠さなきゃならないし、あの格好の理由がつけられないので俺はしれっと、先に信長様の不在に気がつき近くをうろうろ探しているうちにここいらで発見したということにした。
まず目を離し城を抜け出されたこと、その次に勝手に一人で探しに行ったことを注意された。
平手様にくどくど言われるサブローくんと、池田様にくどくど言われる俺は互いに何度か目を合わせたけど話をする余裕もなく二手に別れた。
その後どうやらサブローくんは、平手様に連れて行かれて身支度を整えられている途中に袴を脱ぎ捨てて再び脱走、その後百姓の子供らと角力に興じていたらしい。
池だか田んぼだかの中で泥んこになっていたそうで、連れられて帰ってきたサブローくんを水にブチ込み洗ったのは俺と数人の侍女だ。
その間もねーねーと俺に話しかけてきてはいたが、殿のおかしな様子に驚いた侍女たちは、俺が何か訳を知っているという発想には至っていないらしい。まあ俺も人前でそんな様子を見せないので悪いけどサブローくんのことをわけわかんないものを見る目で見ておいた。いや本当にごめん。
その日の夜、俺は仕事を頼みたいと池田様に呼ばれ部屋を訪ねた。ところが頼まれる仕事はなく、ただただ神妙な顔つきで言う。
「どうなっておるのだ殿のあの様子は」
まるで別人ではないか……と戦慄する池田様に心から別人ですと肯定する。死んでも口には出せないけど。
正直俺だってあれほど天真爛漫だとは思わなかった。
「お元気そうですね。あれだけ動き回っているのに咳の一つもありません」
「お元気どころの話ではない!体の具合がよくなった途端、頭の具合が悪くなったのやも……」
聡明な信長様との付き合いが長い池田様は頭を抱えてしまう。
「今宵も殿の寝所にゆくのだろう?その時に少し様子を見てくれぬか」
本来は殿の体調を整えるために赴いていたので、元気なサブローくんには不要だが、ようやく内緒話ができることになるので行くつもりだった。
池田様にはフンワリ肯定して、床の準備を整えるために早めに部屋を出て行った。
「あ!」
「こんばんは」
「サクラだっけ?……もー、やっとこっちきてくれたよ。ずっと待ってたんだからね」
サブローくんはお布団と俺を目にしてずかずかと入って来た。
「ごめん、みんなの前であんな話できないだろ?」
「ま。たしかにそーか」
どすんと布団に座ったサブローくん。
俺はいつもと同じように背中に回って紙紐を取る。現代っ子らしい髪の長さで、無理にひっつめていたのでボサボサだ。
「サブローくんはどこからきたんだっけ?」
「俺?えーと学校からの帰り道でー塀の上歩いてたら落っこっちゃってさ」
当たり前のように現代の話をし始めた。
どうやらサブローくんは不慮の事故みたいな形でタイムスリップしたらしい。
「そりゃ災難」
「ねー。お、お、気持ちい〜」
髪の毛を整え終わった後に首や背中を揉んでやると良さそうな声が上がる。
信長様だって永遠に戻ってこないほど無責任ではなく、織田家のことを考えている人だからそれまでどうにかサブローくんに踏ん張ってもらえないかと頼み込む。まあ、もしくは数日時間稼ぎをしてもらって、サブローくんをどこかへ逃がしてやるというのも手かもしれない。
そんなことを考えつつ、尾張のことや嫡男としての暮らしを説明して聞かせていたが、サブローくんはいつのまにか寝こけていた。
next.
テーマはないと1話のあとがきで言いましたが、地味に書きたいシーンはもちろんあって、その一つがお馬さん二人乗りでした。これからも隙あらば(小さいうちは)乗せていく所存です。
あと信長様がサクラちゃんを連れて出奔しようとしたのも書きたかったことです。
ドラマは見てないし映画はなんとなくあらすじ知ってる程度なので、漫画原作の設定で進みます。
Sep 2019