Sakura-zensen


春はあけぼの 03

主君が急に元気すぎる人に変わって、臣下たちは戸惑いを隠せないでいた。
なまじ、身体が弱いこと以外は人格者で聡明な人だっただけに、近しい人が特に驚き、嘆いている。
教育係で守役の平手様は鍛錬や勉強から逃げようとするサブローくんに慌てふためいた。
「あ、若ー、信長様ー」
「サクラ」
お洗濯を手伝っていた俺は、今日も今日とて平手様から逃げようとするサブローくんに声をかける。
顔見知りで訳知りということで、結構立ち止まってくれるのだ。
平手様が少しほっとしたような顔をした。
「洗濯?」
「そうですよ、若は今日剣術の稽古ではありませんでしたか?」
信長様に渡された刀を肌身離さず持っていてくれてるので、手のものを見る。
「知らなーい」
「知らないじゃありませぬ!今日は剣術と昨晩も申しましたでしょうに!」
平手様がすかさず口を挟み、くどくどと剣術の大切さを諭す。もちろんサブローくんには聞こえてない。
「うーん最初は木刀あたりがいいんだけど……」
「ん?」
洗濯物の入ったカゴを足元に置いて、サブローくんの手にある脇差に触れたら、すんなり手放し脇差を俺に渡してしまう。まあ現代っ子なら仕方がないのだけど。
素早く刀身を抜くと平手様が驚き息を飲むのがわかった。
攻撃ではないので誰にも届かないところで風を切って見せたところ、サブローくんは呑気に、かっこいい〜と笑った。
「どうも、じゃあ俺はこっち」
「ん?」
「お相手仕ります」
刀をサブローくんに握らせて、鞘で襲いかかるとなんとか刀で防いた。
うん、反射神経は良さそうなんだよな。たしか逃げ足も速いとかなんとか。
基本的な振り姿勢や、足運び、体重のかけ方力の入れ方をアドバイスしながら斬りかかり、時には振ってみるように促す。そして刀の角度や加減を指摘して簡単なチャンバラごっこを繰り広げる。
ちょっとは慣れておいてもらわないと不便だし、男の子ならやりたくもなるだろう。
最初のうちは平手様の困惑した声が上がっていたが、次第になりを潜め、いつのまにか俺の持っていた洗濯物を他の者に回収までさせてくれた。
そして少し休憩と時間をとった後、俺も仕事に戻ったし剣術の教育係に相手が変わったので、どうなったかは知らない。でもまあ、少しは興味持ったはずだ。

しかし次の日、兵法の指南をすっぽかして隠れていたサブローくんを発見した。
「勉強ならやだよ」
「違う違う、馬のらない?」
「え、乗るー」
俺が迎えにきたと思ったのかむすっとしたけど、馬には興味があったらしく手を引けばすんなり出てきた。
馬に跨る方法を教えるとひょいっと飛び乗ってくれたのでやっぱり運動神経は良いなあと感服する。高さに怖がったり姿勢を崩したりはしないのは良いことだ。馬に対して怯えたりする様子もないし。
「では失礼して」
二体馬を連れてくることはできなかったし、どうせ俺は小さいんで一緒に乗って姿勢を教えようと思ってたのでサブローくんの前に乗ろうと足をかけた。
その様子を見て手を引いてくれたので軽くどうもと声をかけて落ち着いた。
「わー楽しいね」
「それはよかった」
最初は俺が手綱を持ちぽくぽく歩くところから始めて、次第に軽く走らせたりして見る。サブローくんは俺にしっかりつかまりつつも周囲を見たり、馬を見たりと余裕がある。
「じゃあ今度は手綱を持って、はいどうぞ」
「おおー」
手綱をサブローくんに渡すと慣れた様子でぱかぱか駆け出したので、もしやこのまま逃避行してしまうのではと思った。まあそうなったらそれでいいかな、なんて。


最初に剣術を教えた後、簡単な護身術とか常識を教えた光景が平手様の琴線に触れたらしく、なぜだかある日から俺は兵法の授業に組み込まれた。サブローくんが教わんないで、なぜ俺?
「若はなにやらサクラのいうことは耳にはいるようでの」
それは少々自覚がある。というか平手様は口うるさい方なのでサブローくんが苦手意識を持って、顔見ただけで逃げてるんだ。
「サクラが学べば若も少しは改心なされるであろう」
果たしてそこまで良いエサになれるかな。
こっちでおっちゃんに鍛えられてた時も、木の葉でニンジャやってたころも、戦い方の勉強で言えばかなりの英才教育を受けた覚えがあるが、ここへきて織田家で戦国時代の兵法を習ってしまうことにはるとは。
「よく学び、若の助けとなるのじゃサクラ」
「はい、平手様」
思わず小さい声で返事をした。
俺もいやになったら今度こそ信長様とトンズラここうかな。

その日から詰め込み教育が始まり、俺は朝晩の日課であるサブローくんの寝起きのお世話もなく、家事手伝いもなく、お勉強づくしになった。一方でサブローくんは平手様からくどくど言われる日々が続いている。
「サクラがいないと途端に聞き分けが悪くなった」
それは俺のせいではないからな。
あといつだって俺の言うことを聞いていたわけじゃない。
この日俺の勉強を見てくれていた池田様は、頭痛を抑えるように手をひたいに当てた。
「まったくどうなっておるんだ。あれでは身体が丈夫になっただけ───それ以外の全てを失ってしまわれた。若としての役目を全く果たしておいでではない」
小さい声だが普通に文句を垂れた。
「おきらいですか?」
「な、嫌いなど……!」
池田様のぶうたれたお顔は俺の指摘により引き締められる。
たしか二人は生まれた時からの付き合いだったはずで、臣下とはいえ信頼する間柄にちがいない。好きだの嫌いだの言う関係ではない。
「今の信長様は学びや鍛錬に対して忌避しておられますけど、何もしたくないと言う訳ではないようですよ」
「どう言う意味だ?」
「考えることを放棄しておられません」
全く何も思うことなく遊びまわっているわけではない、と言うのはわかる。もちろん織田信長としての思考はないんだけど、家を出ていかない分、それなりに自分でどうしようかと考えてはいるはずだ。
「急に殿の様子が変わって驚きましたけど、少し長い目で見てみてはいかがでしょう」
「しかし……───騒がしいな」
外で平手様がサブローくんを止める声がして、池田様は眉を顰めた。
「少し見て参る。しばし待っておれ」
「あ……」
平手様が口うるさく言えば言うほど、サブローくんはその場から逃げようとするのが常だった。それは池田様にもわかり切っており、おそらく捕まえに行ったんだろう。
置いてかれた俺はどうしようかなと一瞬迷ったのち、こっそり部屋を抜け出した。

「お戻りなされ!」
「やだ!外で遊んだ方が楽しいもん。サクラも最近来ないじゃん!」
さらば!と塀を越えて敷地から抜け出そうとしたサブローくんの帯を、池田様ががしっと掴み手前に引き倒した。
「これ恒興……なんということを……」
「ご無礼をお許しくだされ」
平手様はこんな時でも若の御身第一らしく池田様を窘めた。
「───しかし殿……!わがままも大概になされませ!弓を習い兵法を学ぶは若君としての務めではございませぬか!サクラとて殿に指南するには限度がありまする!」
「そうじゃ若。近頃の若は聞き分けがなさすぎまする。ほんとうにどうなされたのじゃ……サクラはいくら腕がたつとはいえ、まだまだ子供……」
サブローくんはしーんとしてしまっている。話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからないが、逃げるチャンスを伺ってるんだろうか。

「やめた」

急に立ち上がったと思ったら脇差を捨てた。
そして困惑して立ち尽くす平手様と池田様を振り向いた。
「信長なんかやってられるか!!───元の時代に帰る」
一瞬だか俺と目があった。そうだよね、そうなるのは仕方がないな。俺は呆然としているみんなの後ろでサブローくんにだけわかるように肩をすくめた。
そして走り去ったサブローくんを追うことはしなかった。




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主人公はちょっと負い目があるのでサブローが逃げるなら逃げていいと思ってる。主人公は未来に帰る方法は皆目見当つかないので探してはいないし、ここで生きてく気満々である。
この後帰蝶と二人乗りで城を飛び出すから、主人公に馬の乗り方教えてもらっといたら面白いかなって思いました。
Sep 2019

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