Sakura-zensen


春はあけぼの 07

俺は木の上で景色を眺める仲の良い夫婦を見上げた。
兄上はどちらかというと視線が下の方で、多分疲れているというか呆れてるというか。……帰蝶様の羽織を抱えてひたすら待機している。
「サクラも来る?」
見上げていたからか、サブローくんと帰蝶様が上から微笑んだ。
来るかと聞きながら手を伸ばされたのでうっかりちゃっかり握って、俺まで木の上にお邪魔することになる。本来なら恐れ多いような、はしたないような。
「───……あそこに、子供らが集まっておりまする。何をしておるのであろう?」
「ほんとだ……なにやら1人を囲ってますね」
木の上から、帰蝶様が指し示したのは子供が3人で1人を囲んでるところだった。
典型的ないじめ現場じゃないかと思って様子を伝えると、サブローくんもまじまじと目を凝らして、木の上から飛び降りた。
「あ、殿!」
「っとごめんごめん」
俺は後ろから帰蝶様を支え、サブローくんは忘れそうになったけど慌てて前から手を伸ばした。そして万が一横に転がり落ちないよう兄上がハラハラと見守っている。
帰蝶様が無事地面にたどり着いた時には、もうサブローくんの興味はいじめっ子たちにうつっており、再び飛び出して行った。

囲まれていたのはぷくぷくした幼い男の子だ。いじめっ子たちは村の子で、いつぞやサブローくんと角力などをして仲良くしていた子供だと思う。ぷくぷくの男の子は少し良い身なりをしていて、ふと頭をよぎるのは、寺が近くにあったということ。
「松平の?」
「おそらくそうじゃ」
兄上にひそひそ話を持ちかけると、小さく頷かれた。
あのぷくぷくした男の子は、大殿様が人質として預かっている松平の幼い当主竹千代殿だ。
竹千代殿はあまり口をきかない子なのか、それともサブローくんについていけないのか、おそらくどっちもであろう理由から距離をとってしまった。

先日、大殿様は今川と松平との戦で敗けた。その折、信長様の腹違いの兄である信広様が捕らえられた。
互いに人質をとられている現状で、織田が負けたのだからおそらく人質交換がなされるのだろう。
逃げていった竹千代殿を見送りながら、まあもう会うことはないな……なんて思っていたところ、信長様に人質交換の役目が任された。


「まぁ……昼間のあのお子は、人質にございましたか……」
「らしいよ」
夜、くつろいでいるサブローくんと帰蝶様のそばにはそれぞれ互いの側近や侍女がいる。殿の側近はもちろん俺で、襖の陰とか少し離れたところに待機していることが多いので何をしているかまでは見てないが、話の内容は聞こえた。
帰蝶様は嫁いでこられたばかりの頃の寂しい期間を思い出し沈んだ声をこぼす。その間、ずっと信長様につきっきりだった俺は若干胸が痛むし、侍女の視線が痛いがなんとか涼しい顔でやり過ごした。
次第に帰蝶様の声が甘く切なげになっていくので、ただの懐古ではないことを察する。主人に着いてればそういうこともまああるわけで、特に何も思わずの姿勢でいたのだけど帰蝶様の侍女の方がつい、覗き見をしようとしてサブローくんのカバンを倒した。
中からばさばさと荷物が飛び出して、慌ただしさに雰囲気が壊される。
「これは、誰にございます……?」
「?」
野球ボールやら文房具、教科書やらを拾っていると、帰蝶様が全く学業に関係のないエロ本を見つけてしまう。しかも写真のタイプ。
戦国時代にもちろん写真などなく、リアルな人が載ってるそれは妖術で小さき人間が閉じ込められている奇妙な本だと勘違いされた。
おまけにこのおなごが良いのかと泣かれる始末。
殿と帰蝶がおりまするのに……」
えー……!
俺とサブローくんはしばし絶句。
帰蝶様の侍女はおいたわしやと慰め肩を撫でた。


嫁が泣くので、サブローくんはエロ本をどうにか処理しようと考えた。
その辺に捨てるわけにもいかないし、兄上にあげようとしたらいらないとデカイ声で断られたそうだ。でもなんか燃やすのはもったいない、と俺と二人きりの時に相談してくる。
「じゃあ俺もらう」
欲しいわけじゃないが、預かっといてあげようかなと思って手を出すと、一瞬嬉しそうな顔をして本を渡そうとした。それなのに、はっと表情を変える。
「───読むの?」
「まあ、読むけど」
エロ本もらったらそりゃあ一読するだろうが、男なら。
「なんかやだ」
「なんかやだって」
渡そうとしていた本を両手でばんっと挟んで遠ざけられた。
なによ、俺を子供だと思って……!

結局サブローくんは数日ほど懐にエロ本突っ込んだまま外出し、寺に預けられている竹千代殿を遊び相手にして振り回したのち、彼にエロ本をあげた。
まてよ、俺はこのぷくぷくより子供だと思われてるのか?
「兄上、どう思いますか」
「なんだ」
「あの裸体の本、俺じゃなくて竹千代殿にあげたんですよ」
「?」
夜、寝静まった頃にひそひそと話す。
明日は竹千代殿を帰す日なので、サブローくんの提案で無理やり寺に泊まり込んでいるのだ。
兄上は刀を抱えて座り番で、俺もその横に侍り、竹千代殿とサブローくんはすやすやと眠っていた。
「俺が先にちょうだいって言ったのに」
「なっ……!!ま、」
デカい声で驚きそうになった兄上の口を押さえる。
「……まさか、あのような破廉恥で、奇妙なものが欲しいのか?」
「いえ、欲しいわけではなかったのですが……隠しておいて差し上げようと思ったんです」
「そ、そうか」
「その時は殿、なんかやだって言って預けてくださらなくて、俺が子供だからかなって」
「そうだな」
おざなりな返事しかこないんだが。
「でも俺より小さい竹千代殿にあげたので……俺そんなに幼くみえますか?」
今思えば随分長いこと一人で馬には乗せてもらえなかったり、未だに城下に降りるときは俺だけの供じゃ許されず兄上も必ず同行してる。あんな小さなぷくぷくほっぺの竹千代殿より庇護されてるだなんて男としての沽券に関わる。
忌憚ないご意見を……と見つめたが、兄上はものっそい気まずそうな顔をして、俺の肩を掴んだ。月明かりに照らされた兄上の真顔にごくりと息を飲む。
「どうかそのままでおれ……!」
どういう意味だ。
詳しく聞こうと思ったところで竹千代殿がぼんやりと目を覚まし起き上がる。慌てて静かにして様子を見ていると、部屋の外へ出て行った。おそらく厠だろう。
兄上とこっそりうなずき合って、俺は静かに後を追いかけた。

部屋を出た途端周囲に気配を感じる。
狙いは信長様か竹千代殿かどちらだろう。ウ〜ン、どっちもありうるんだよな。
すぐに応戦するより狙いを確認した方が良いだろうから、竹千代殿にも忍び込んで来た者にもバレないように警戒した。
兄上も起きているのでサブローくんは大丈夫だろう。が、声や物音が聞こえて反射的にそちらへ行きたくなる。
竹千代殿も物音に気がついて板の間にぺたりと座りこんでしまった。
「竹千代殿───、曲者!」
「ぁ、あ……」
慌てて姿を現して抱えると、黒づくめの刀を構えた人間が現れる。振り降ろされた刀は俺が受け止める。
その時あまりの勢いと音に驚いた竹千代殿はきゃーと叫び声をあげた。
「竹千代……!?」
!」
サブローくんと兄上が慌てて部屋から飛び出してくるのを横目に、刀を押し返した。
俺が応戦している間に、サブローくんが竹千代殿の身を心配して駆け寄って来た。
背を向けて様子を見ているもんだから、もう一人いた曲者がサブローくんと竹千代殿に襲いかかろうとしていたが、百姓の子が心配して寺の様子を見に来てくれたようでことなきを得た。

急にこちらの人数が増えたため曲者たちは引き下がろうとする。
サブローくんも兄上も、百姓の子供たちがこんな夜中に現れたことで気を取られていて、追うそぶりは見せない。
闇に溶けるようにして草むらに入っていくのが気になって、俺はそうっと追いかけることにした。

あとをつけた結果、竹千代殿の暗殺を企てたのはどうやら織田家の家臣、柴田殿であることが判明した。
柴田勝家と聞いたら織田信長の臣下だと俺は記憶してるんだけど、まあ戦国だしなあ。
柴田殿にとってサブローくんが寺にいたのは全く予想外だったらしく驚いているが、このままでは退けないとつぶやきドタドタと部屋の中へ入って行った。

俺はあまり寺を離れていてもよくはないのですぐに戻ることにして、ひょこっと草むらの陰から顔を出すと兄上にすごい形相で睨まれた。やっぱ怒ってたな。
「どこへ行っておったのだ!!」
「お、追いかけてました!」
百姓の子らは家へ返し、サブローくんと竹千代殿は部屋でひとまず休むことにしていた。
「して、追いつけたのか?」
「はい。柴田殿の屋敷へ入って行くのが見えましたので、そのまま話を聞いて参りました」
「何!?屋敷にまで入ったのか?1人だというのにあまり深入りをするな!」
屋敷内に勝手にはいれば見つかったらタダじゃ済まないからだ。
でも、家までたやすく尾行させてしまうあたり、大した警備じゃないと思うんだよな。
「まあまあ、見つからなかったから」
「軽くいいおって……!最近殿に似てきておらぬか?」
「そんなことないです」
色々と言いたいことはありそうだけど、それよりも柴田殿の様子と目論みについて話し合うのが先決だった。サブローくんには知らせるべきか迷ったけれど、やめようとうなずき合い、当日何も知らないサブローくんにあえて一言、柴田殿へ声をかけてもらうことにした。
家臣たちはサブローくんの意味不明なところを忌避しているところがあるので、その得体の知れない感じを使って牽制してもらおうじゃないかってことだ。

そしてやって来た当日、サブローくんはいい感じの笑顔で柴田殿に声をかけた。
柴田殿はドン引きだった。そして草むらに潜んでいる手勢はやがて引いて行った。



next.
いえやすくんの幼少期かわゆいですよね。ほっぺが。
まあ大人になっても可愛いんですけどね、ほっぺが。
主人公が文中サブローと信長様ってどっちも呼び方がありますが、サブローと示す時は本人の行動とか思考が伴う動きで、信長様って示す時は立場的なものが絡んでる時。
Feb 2020

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