Sakura-zensen


春はあけぼの 08

天文二十年、大殿様が病気で亡くなり、サブローが織田信長として家督を継いだ。
早いもので、信長様が出奔し、サブローがこの尾張───ならぬ戦国時代へやってきて、約二年の時が経つ。
未だに家臣たちの中では信長様をうつけと呼ぶ者は多く、反乱により国が入り乱れている状態だ。
そのためサブローが馬に乗り戦に出ることが増えた。彼は運動神経が良いのでドジって怪我をすることもなく、運がいいのか心が強いのか、先陣切って乱を鎮めた。
国をよくしようと提案もするので、関所をなくし尾張の国への出入りを自由にして人を多く集めたことにより少し豊かになった。
その反面、他国からの間者や刺客もたやすく領内に入ってくるということで平手様はぐちぐちと文句を垂れてる。
兄上はすっかりサブローの言動にも慣れ、帰蝶様とのデートも嫌がらなくなった。最近では俺に護衛を任せるようにしてるので、仕事も捗ってるらしい。

「あ、殿様だ!」
「何!?───……おい……からかうな!あんなだらしない身なりの殿様がいるか!」
「お主は他国者だから知らんだろーが、信長様はあーいうお方なのだ!」
今日も城下町でデート中の織田夫婦が乗る馬の後をついて行きながら、領民の声に耳を傾ける。よく耳にするやりとりも、平和な証拠だな。───ところがふいに、賑わう中にもより一層の喧騒が聞こえた。馬丁曰く、ケンカしてるのがいるらしい。
「殿、危のうございます」
「引き返しましょう」
他の側近たちは口々に避けようと言う。帰蝶様もいるのでそれが妥当だ。本当は俺だってそうしたいところだが、サブローの好奇心が疼いたんじゃあ引かないだろう。
「見て参りましょうか」
「うん、いや───」
どうやらケンカが本格的におっ始まりそうだったので、サブローは馬を走らせた。ああもう、帰蝶様が一緒に乗ってるのに。

「ケンカはやめて!」
サブローは二人の間を馬で駆け抜けて旋回させた。
俺は急いで追い、今にも遣り合おうとした二人の様子を見ながら注意する。
「殿、帰蝶様に当たったらどうなされるのです」
「当たらないように気をつけました」
昨今兄上に似てきたと言われる俺が苦言を呈すと、サブローはぷりっと顔をしかめた。
まあ兄上は俺が殿に似てきたというんだがな。

馬に乗って現れた軽装備のやさ男、───しかも女連れ───に喧嘩をしようとしていた片方は瞬時にキレた。が、もう片方は瞬時に膝をついた。
「お殿様っ!!」
「───おと、え?」
前田犬千代と名乗るかぶき者風の若者は、信長様を以前から知っており、憧れていたと話す。
「殿!突然かけ出されては困ります!」
「これお主!このような場で何を申しておる!無礼であろう!」
後からやって来た側近たちは犬千代を窘める。
前田といったら聞き覚えはなくもないが、サブローは前田よりも『犬千代』が気になるみたいだった。いやそんなまさか、サブローが歴史上の人物を覚えてるわけがない……。
「犬……───わん!!」
「わん!!」
やっぱりな。
犬千代の犬にかけて、わんと鳴かせて合格。採用試験はそれで終わりだった。その後隣にいたケンカ相手もなぜか採用になった。わけがわからんなサブローは。
俺が今見て思った二人への印象はげんき。多分サブローの抱いた印象もげんき。採用理由も一言げんき。

「お腹すいた、帰ろ」

そしてなんの脈絡もなく、サブローはまるで今思いついたみたいに空腹を宣言して城へ帰ろうとする。
他の側近たちはえっと驚くが、もう俺と帰蝶様は慣れた。この人唐突にお腹すいて帰るって言い出すんだよ。
「ふたりとも、ついて参るか?」
後で来てもいいけどーと思いつつも、急に採用を言い渡されてほけっとしてる二人を馬上から見下ろす。
手っ取り早く来てしまった方が早そうだし、こう問いかけられて後でと言う者はいない。はっと返事をした二人は駆け足で俺についてくることになった。

ところがこの新人元気二人組は、城に来ても言い合いを始め、しまいには手足まで使ったケンカに発展しようとした。兄上や家臣たちに叱られているが聞きやしない。
殿自ら雇うと宣言したので城から放り出すこともできずに頭を抱えていると、門の外に多くの出仕希望者が押しかけていると報告が上がりさらに頭が痛くなる。
サブローが面接しようと立ち上がるが、さすがにそれは阻止され、平手様が行くと言い張った。
「選考基準は元気のいい人だよ!」
平手様の背中に投げかけるサブローの意思はおそらく半分も採用されないだろう。もちろん元気があるのはいいことだけど、平手様はそれ以外にも考えて採用する。

サブローが来てからずっとうるさく言いつづけてるじい、という印象でいるが実際平手様の言うことは間違っていない。俺や兄上が多少サブローのやり方に慣れ、今革新的であると感じ世の中もそれについてこようとしているとはいえ、ここは戦国乱世。平手様の方が長く生き、この織田家の重臣であった。
「平手様、お供してもよろしいですか」

「後学のために」
「そうじゃな、見ておれ───ただし、誰にも気づかれるでないぞ」
何か懸念してることがあるんだろう、平手様は俺に隠れていているように告げた。
織田家は今まで『小国』『なんとか発展中』『家督を継いだ当主はうつけで有名』『城下の民からの信頼はそこそこ』といったところだ。
挙ってやってきた大勢の認識としては織田家に仕えたいというよりは出世のチャンスを広げたい程度だ。
人の様子や平手様の話を聞きつつ勉強すること数刻。日が暮れかけた頃、ようやく最後の一人が回って来た。
そいつに関しては平手様はほとんど話も聞かずに落とした。ただちにこの尾張を立ち去れとまで言って。
横で番をしていた者たちは元気がいい少年だったのに、と残念そうにしている。
「あの者は商人などではない───、見ておったな」
「はい、間者でしょうか」
雇えないのは商人だからか、でも身分は問わないはず、と口々に言っている者たちは平手様の言葉と俺の登場に驚いた。隠れていたからな、今のやつにもわからないように。
「おそらくな。どこからか送り込まれた忍びの者であろう───しかし、あんな小僧に騙されるほどわしの目は曇っておらぬ」
見抜けぬは殿の御心くらいじゃ、と嘆く小さい声は聞かなかったことにする。

次の日から平手様はより一層口うるさくなった。
なんてったって、人が押し寄せるのはあの日だけじゃなかったのだ。
俺も間者が入り込もうとするのを目の当たりにしたばかりなので、見る目のある平手様に任せた方が良いと口添えしてみる。平手様は目頭を抑えていた。きっと疲れてる。
サブロー的には細かいこと気にしてたら天下なんてとれないというが、まだ尾張すら治めきれていない今、天下を口にするなんてただの阿呆としか取れない家臣が多くいて、平手様もどちらかというとそちらだ。
呆れて物も言えなくなった平手様はとぼとぼと屋敷へ帰ろうとした。
「平手様」
「───見送りか、ご苦労」
「いえ、あの、……殿のこと、どうかお見捨てにならないでくださいませ」
……そなたは何も思わなんだか」
外に出たところで追いかければ平手様は少しだけ足を止め、またゆっくりと歩き出した。
「思わないとは申しません」
俺の答えに驚いたみたいだった。
「……ですが、殿のなさりたいことなさればよろしいかと」
「しかしあれでは殿の御身が危ぶまれる」
「尽力いたしましょう、我らが」
家臣らで殿をより一層守れば良いのだ。平手様だって信長様の現状に憂いはあれど、まだどうにか信長様に嫡男であって欲しいと思ってるはずだ。それはきっと幼少時の記憶のみが楔となっていて、サブローには適応されないのかもしれないけれど。でも信長様はいつか帰ってくるはずだから。
「───織田のために」
「織田の……」
信長様が帰って来た時、織田が滅茶苦茶じゃあここに残った意味がない。
サブローについていたのは、本人への憐憫もあったが、織田のため、信長様のためでもある。
平手様は織田家の筆頭家老であり、頼りになる方だ。
「どうか、宜しくお願いいたしまする」
深く頭をさげると、しわしわの手が俺の頭を撫でた。
「良い子に育ったの、わしの目は狂っておらなんだ」
「平手様?」
とくに答えはなかったけれど、ほんの少し垣間見た目はまだ俺たちを見離すようなものじゃなくて、これからもう少しわかり合えるようになるんじゃないかと思った。
けれどそれが、俺が最後に見た平手様の生きてるお姿だった。



next.
サブローと出会ってそこそこ結構経ってるので呼び捨てになっています。
ここまででコミックス1巻か……私にしては長いこと時間をかけた気がしなくもないです。
秀吉くんが潜入してるのはその後すぐ気づいてるけど様子見しています。
Feb 2020

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