Sakura-zensen


春のおまもり 21

部屋に差し込む朝日が、薄い瞼を通して目に入る。徐々に自分が眠りの底から現実の世界に戻っていく。
枕や布団の感触、自分の寝息や外で聞こえる鳥の囀りさえも、今の今まで俺の耳や肌に触れていたのに、頭の中にはたどり着かなかったことがわかるようになる。

誰かに抱きしめられてるなと、ぼんやり目を開けてみれば俺の身体を通り越して、細い骨ばった男っぽい手が、ぽてりと投げ出されているのが見えた。
身じろぎして聞こえる吐息の方を向けば、人の輪郭。
寝ぼけた頭でもよくわかる、こんなことをしてくるやつは十中八九、白澤様しかいないわけで───いつしか白澤様の元彼女たちから仕込まれた平手打ちを披露した。
「痛っ!……ひどいじゃないか〜」
でもおはよう、と律儀に挨拶をしながらもごろごろと布団で寝転がる白澤様を見下ろす。
「起きる、邪魔」
「ヤーだ」
布団の中で足まで絡みついて来た。
上半身だけ起きている俺の胸を軽く叩かれ、抱き枕にしようとしているのがわかる。
「はあ……やっとあの男が君のそばから離れた」
甘えるようにしがみついてくる理由はそれらしい。
結局布団の中に引き摺り込まれて、首筋におでこをつけていると声の振動が伝わってくる。
「ジーンのこと?」
「そう!君が彼を匿ったりなんかするから」
「匿ったつもりはありませんけどね」
「でも木霊くんの誘いは断ったらしいじゃないか」
「えー、でも逝くのは日本のあの世じゃないでしょ?」
「そういうの屁理屈っていうんだよ」
「ゴメンナサーイ」
ぎううっと抱きしめられて息がつまる。
「いま里帰りしているんだって?そのまま成仏してくれないかなあ、彼」
腕が絡みついたまま寝返りをうって、背中の声に生返事する。
「どうでしょうねえ……」
家に帰りたいこと、身体を見つけて死にけじめをつけたいこと、それは願いでもあって、諦めも含んでいたんだろう。
当初は、ジーンが霊媒であること、ナルとの魂の結びつきが強いこと、大人びてるとはいえまだまだ子供であることを考え、単純にナルのそばを離れられないでこの世に留まっているんだと思ってた。
とはいえ、本当にそれだけの理由であったなら俺が誘った時についてこられないだろうし、今回のことできっと天に昇っていくはず。
───霊媒というものは普通の人より、生の喜びと死の哀しみを知っているんだと思う。
死んだら全て終わり、もう何者にもなれず、何もやり直せず、何を思うこともできない───と、頭でわかっていながらも心ではどうにもならないことがあって、いつまでも逝けなかったりするんじゃないかな。
「たぶん、俺のところに帰ってきそう」
ひとりごちるように呟くと、ため息がうなじにかけられた。
「……君は亡者にとって、もっとも残酷な生者だよ」
「え、なに?」
めずらしく、白澤様が自分から俺を解放した。
ぷいとふて寝するように背中を向けてしまったので、顔を覗き込む。
「僕が来る日は霊界にでもいさせてよね」
「……はいはい」
なんだそんなことか。
飾りのついた耳をくすぐって、髪の毛をすこしだけとかしてやると笑って頬を膨らませた。


白澤様が俺のところに来る日はのんびりしたり、外へ出かけたりと様々だけど、今日は谷山さんに会わせてあげるついでに渋谷をぶらぶらしようと思っていた。
昼になる前には起きて、庭の手入れを一緒にしてから家を出た。
桃源郷にいたころから渋谷に来たことはあったけど、現世というものはあの世に比べて動きがめまぐるしいもので、様変わりしているところがちらほらあるのだそう。白澤様は久しぶりだとはしゃぎつつも、多分いちばんの楽しみは俺のお友達である谷山さんに会うことだ。
「お邪魔しま〜す」
くん!いらっしゃい!───と、あれ?」
「你好〜」
白澤様が俺に続いてオフィスに入る。
谷山さんは俺が見知らぬ人を連れて訪れたことに驚いてぽかんとしていた。
「に、にいはぉ!……えーと!うーんとお……!」
頑張って中国語をひねり出そうとしている様子を見て懐かしさを覚える。
俺も初めて会ったとき、知りもしない中国語を脳内で思い出そうと躍起になったことがあったのだ。結果、カケラも浮かばなかった。だってそもそも頭に入ってなかったし。
「谷山さん、日本語で大丈夫」
「こんにちは、可愛いお嬢さん。彼氏とかいるの?」
息をするようにたらしこもうとする男の脇腹を瞬時にド突いた。
生きた女の子にまで手を出されたらたまったもんじゃない。
「見境ねえな……ったく」
「挨拶しただけじゃないか!」
「流れで彼氏まできくな……これ、俺の先生でハクタクさん」
「ハクタクさん……」
中国人だと思われてるので、こんな名前でも納得されてる。
「先生ってことは、お、陰陽師の?」
「ん〜〜〜〜と、……そう」
どっかの誰かさんから、陰陽師ってのはちょっとカッコイイのよ……と聞いてるらしい純粋な女の子は目を輝かせて白澤様を見上げた。
陰陽師というより道教なんだが、彼女に詳しく説明するのは今はよしとこう。
あと俺が師事してる分野は漢方薬に関してなんだが、これもまあいいや。
「そんな目でみられると、嬉しくなっちゃうなあ」
「谷山さんに触らないでください」
谷山さんの手を握ろうと伸ばした手をはたき落とすと、がっかりした顔で見られる。
「少しくらい許しておくれよ、タオタローくん」
「だめ、谷山さんの教育に悪い」

俺と白澤様のやり取りを見て笑うしかなかった谷山さんは、ソファに座るように勧めたあとお茶をだしてくれた。
「ナルからは連絡きてんの?」
「それが、全然。帰ってくるまでできるだけ来て、オフィスの換気と掃除してくれればいいってだけ」
「ふうん、じゃあ当分帰ってこないってことかねえ」
俺は遠い異国の地に行ってることを知っているが、谷山さんはそうも思っていないので連絡の一つくらいよこせと思ってるだろうし、雇われている側としては不安でしかない。
「いつ帰ってくるんだろ……ずっとこのままなのかな……」
「実はね、彼のお兄さんが亡くなられたんだよ、だからご両親を慰めるためにしばらく仕事ができそうにないんだって」
「え……───どうしてナルはあたしにそういう説明をしていかないわけ!?そりゃただのバイトだけどねえ!」
怒ったらいいのか悲しんだらいいのかわからない谷山さんがめそめそしつつ、プリプリしていた。元気元気。
「不幸の話だから、口にするのを憚ったのかもしれない。でも帰る目処も伝えたなかったのはよくないね」
「そうだよ!それに、不幸だったとしても、ほんっとーに何も言わないなんてさあ……ていうかくんには言ってるし」
ぷうっと口を尖らせた谷山さんをとにかく慰めた。
隙あらば白澤様が彼女の頭を撫でようとするのでそれも牽制しつつだ。
「谷山さんはそう気負わず待っててねって、ナルの代わりに俺が言いに来たの」
「はぁい」
もはやナルに直接言えよという文句も出ない谷山さんであった。


「じゃあくんもう帰っちゃうの?あたしも帰ろっかなー」
「俺たちこれから渋谷で遊ぶけど、一緒に行く?」
「それはいいね!僕らとデートしようよ麻衣ちゃん」
「デ、デート!?……ですか」
谷山さんは女の子らしく顔を赤く染めた。
ああ、そんな可愛い反応すると白澤様が喜んじゃう。俺も喜んじゃう。
「これはデートって言わないでしょ」
「女の子がいればそれはもうデートさ」
「……生粋の女好きで誰にでもこうなんだ。大丈夫、谷山さんには指一本触れさせないからね」
「えええ……」
白澤様は相変わらず発言が残念なので、谷山さんのドキドキ感はすぐに失われてドン引きに変わっていただろう。
「そんなぁ、ちょっとくらい良いじゃないか」
「だめだっつってんだろ、俺の手で我慢なさい」
「女の子と手繋ぎたかったなぁ」



next.

前回の更新から2年くらい経ってるという……。
ももたろーは結構キャラのパーソナルな部分に介入していくので、書いててちょっと新鮮な気分がします。
白澤さんは本日もクソダサ私服で来てたけど、出かける前に主人公の服に着替えさせられたので麻衣ちゃんにはそのセンスがバレていません。
Jan 2021

PAGE TOP