春のおまもり 31
春───。イギリスからやってきた、ナルの上司である森まどかさんは丁寧に、けれど柔らかく、挨拶をした。「これまでうちの調査員のフィールドワークに手を貸してくださったと伺ってます」
「たまたまお会いした縁ですよ、こちらこそとても助かってました」
互いに、とんでもない、とんでもない、とやり取りをしていたら、ナルとリンさんのどこかスンッとした顔が目に入って思わず笑ってしまいそうになる。彼らには俺たちのやりとりが退屈だったかもしれない。
ちなみにジーンは春眠暁を覚えずを体現してて今はここにいない。
そういえば、と切り出した。
ナルやリンさんに聞いてもよかったんだけど、なんとなく今まで放置してきた疑問だった。
「なんでイギリスのSPRの方々が、俺……というか桃太郎の名前を知ってたんでしょう」
森さんまでこうして俺と話をしたいといいだすのは意外に思っていた。そもそもイギリスには行ったことがないし、国内でも地味なネットワークで、小規模な心霊現象にしか関わってこなかったはず。
「ああ」
ナルはそのことか、と言いたげに口を開き、森さんの方を見た。
リンさんも特に表情は変わらないが、彼女に返答を促すような視線をやる。
「春野くん、……と思しき人が、アメリカのSPRに映像が残されてるのよね」
「アメリカ……」
「あなた行ったことはない?───テイラー邸に」
テイラー邸はスカーレットお嬢様というおしゃまな凶霊がおわす、現代でも有名なホラースポットである。歴代で死傷者をもっとも多く輩出しているホーンテッドハウスといっても過言ではない。厳密な数は知らない。
まだ俺が天国にいたころに、何度か鬼灯さんの紹介で一緒にお宅訪問をしたことがある。吉兆と凶霊を会わせたら何が起こるのかという好奇心があってのことだ。
吉兆なら白澤様のほうがと思ったけど、彼は真っ先に消去される選択肢どころか、はなから選択肢にない……もしくは存在そのものを消そうと常々思われてるので俺が抜擢された。そしてそこにはきっと、俺とアメリカ観光に行くという、白澤様への当てつけが含まれていたに違いない。
さて、そのテイラー邸だが、今生でも一度、会いに行ったことがあった。
中学2年生の時、たまたま夏休みの間に地元市でホームステイする人を募集してたので、高校受験の時にアピールする課外活動としていっちょ利用しようって魂胆だった。
「あります……テイラー邸に行ったこと……」
別に内緒にしたいわけでもないし、素直に白状する。
森さんは満足げに頷いた。
でもだめだ、なにやらかしたのか、あんまり記憶にないや。
当時ホストファミリーの幼い兄妹を連れてたので、入ったはいいけどそそくさと退散したはずだった。兄のダニエルは意気揚々と俺を連れてきたくせに、いざポルターガイストなどが起こるとびびりちらかした。俺には彼の汚したズボンを内緒で洗ってあげた思い出のほうが強く残っている。
「俺、なにした?英語もへたくそだったと思うけど……いや、日本語でしゃべってたかな」
「僕は実際には見たことがないな、基本的には公開されていない。本人の了承もないしな」
「映像をみた研究者が論文のために仔細を語っているので、内容はわかりますが」
「私は機会があったのと、日本語がわかるからって見せてもらったのよ」
ナルとリンさんはちらりと森さんに視線をやる。
「いつもこれを自慢される」
俺は思わず、3人のほのぼのとしたやり取りに笑う。
森さん曰く、調査員がテイラー邸に入る前のところから映像は始まる。
少年───俺は、ちび2人を連れていて、最初はカメラの端に一瞬映ったかどうかって感じの印象だったそう。テイラー邸は一種の観光スポットでもあるので、周辺に一般人がいることも珍しくはない。
そんなわけで調査員たちも最初はスルーしてた。ところが、屋敷の扉に手をかけたとき、俺は彼らに待ったをかけたのだ。「そんな入り方じゃ全然ダメ」という日本語で。
英語は簡単な単語も発していたそうだが、普通の中学生の英語なので許してほしい。
礼儀正しくないとかぶつぶつ言ってた日本語を森さんはきちんと聞き取ったそう。
調査員にしてみたら、急に異国の子供がわけわからんこと言いながら絡んできたので嗜める。しかし俺が改めて拙い英語で、「屋敷に入るには、ちゃんと挨拶しないと」と宣い、えへんと咳ばらいをしてからドアをノックした。
「ごきげんよう、桃太郎です!遊びに来ました!」
これが貴族のお嬢様に対する正しい挨拶かと聞かれるとそうではないのであしからず。
一応顔見知りだったことと、桃太郎ですって言っておかないとドア開けた途端に斧が飛んでくるかもしれないから名乗っただけだ。
まもなく、ドアはひとりでに動いた。
といっても、内側でお嬢様の手下さんたちが開けてるという裏話があるのだが。
挨拶したにもかかわらず家具───キャビネットは飛んできた。斧じゃなかったので手加減はされてる。
反射的に蹴り返したので、それは壁にぶち当たって壊れた。
……うんうん。思い出してきたなあ、ここの霊は一筋縄ではいかないので力いっぱい対応したのを。
「……」
「快進撃はここから始まるのよねえ」
森さんはにこにこ語る。やめてくれえ、やめてくれえ。
「キャビネットを蹴り返したと思ったら、どこかに向けて挨拶して……少ししたら部屋の温度が急激に下がっていくの。そしてラップ音やうめき声みたいな異音をマイクが拾ったの」
ちょうどその時、スカーレットお嬢様が「あら桃太郎だわ、本当に」とかいって出てきたんだろうなと察する。
念のためで攻撃するなと言いたいが、凶霊の屋敷に入るにあたってそれは当たり前のことだったのでまあ仕方ない。
「実はここから先の音声は録音できないのよね、霊障で」
「ほえー」
落ち着いてなにやら会話をしている映像ののち、どこからともなく日本刀が飛んできたと思ったら俺に襲いかかる。
そして俺は普通に柄の部分をキャッチして、刃を眺めてから、そこらにあったカーテンで血と脂を拭い、刀をまじまじとみて、また何やら話をしたのだそう。
何を隠そうこの刀は一時俺の影響で仕入れられ、しばしばこの刀の錆にされる人間がみられた。
「それからたくさんの刀が次々に飛んできて、持っていた刀ですべて叩き落していったのよね」
「はは」
刃の切れ味が落ちちゃったのよ、と言いながら突き刺す勢いで飛ばしてくるとこさすが凶霊だよね。あわよくば殺そうとしてくるんだ。
徐々に明らかになってくる自分のやらかしに乾いた笑みがこぼれる。
これを見てたから、ダニエルは上も下も大洪水になったのだ。
お嬢様には、連れてきたゴーストハンターたちは連れて帰ってよとちょっぴり拗ねられた。
彼らも目の前で起こった、あやうく全員凄惨な死を遂げることになってたであろうポルターガイストに、ここは危険だと判断したらしく俺の助言に従い帰るといってくれた。それがいいと思います、刺されて死んだらしもべにされます。
ところで君の名前は、などと彼らに聞かれた覚えは確かにあったけど、俺はダニエルの濡れたズボンと、妹のマックスの青いお顔に気が付いたので、抱え上げてその地を後にした。
俺が桃太郎と名乗りホーンテッドハウスで凶霊を相手に立ち回った逸話が出来上がるお手軽クッキングはこれにておしまい。
「はあ……」
「その様子だと本当のことみたいだな」
「あ、はい、まあ、うん」
ナルも、桃太郎といえば"この逸話"だったらしい。
「うそみたいな話だが、いくら調べても現実的な証拠が取れていないため、桃太郎は規格外の霊能者または存在そのものが霊的なものだと言われていたんだ」
「そ……」
その見解もあながち間違いではない。俺は霊能力者というより霊的であるというのが本質的には近いだろう。
乾いた笑みを浮かべてごまかすしかなく、ナルからはそっと目をそらした。
next.
以前、テイラー邸は生前(うまれるまえ)行ったと仄めかしたけど、生まれてからもいったということで。この時出てきた兄妹はエスターに出てくる兄妹をモデルにしています。ちなみにほかの番外編でもマックスというご近所さんが出てくるけどあれはたまたまです。
エスターを引き取る前に家族の元へやってきてママの薔薇をみて「かわいい赤ちゃん、名前はジェシカ?」とか言い当てるスピリチュアル事件簿を起こしたかったんです。ママさんが薔薇をジェシカと名付けて育ててたから薔薇に宿る精霊の赤ちゃんは自分をジェシカだと思ってるというていで。
で、前向きになってエスターを引き取るルートを回避して家族みんなでくらそうや;;というアナザーストーリーです。余談です。
July 2021