春のおまもり 41
まぶし……。
朝目が覚めると眼球がきゅうと痛んだ。
日当たりの良い和室の窓を遮るのは、明るい障子。板の間の前にはもう一枚戸があるけど、隙間から細い光がちょうど俺に向かって差し込んでいた。
日が昇ったとはいえまだ起きるには早い時間だった。
眠る人たちを一瞥し、襖を開けて繋がる隣室に行くと、機材はまだ設置されたままで、念のためにと監視をしていたナルとリンさんが俺が起きてきたことに気が付いて顔を向けてくる。
「おはよう」
声をかけると2人はそれぞれ反応をくれた。
徹夜明けなのでいつも以上にしずかだけど。
顔を洗ってから庭に出て、平らなところに座って目を閉じて息を吸う。
瞑想にふけると見せかけた二度寝の静謐は、間もなく誰かの気配によって破られた。
「邪魔をしたか」
「いや」
風が吹いてきたと思ったらかすかに海の匂いがした。
前髪が少しだけ浮き上がって、肌をくすぐる。
おでこの真ん中に当たってるのがなんとなく嫌で、少し顔を傾けると前髪の分け目が変わった気がした。
「おはよう」
「さっきも聞いた」
「そうだった」
ナルは珍しく、無造作に俺の隣の地べたに腰を下ろした。
まじまじと見つめていると、なにと返ってくる。
それはこっちのせりふだ。
「なんか用?」
「少し聞きたいことがあって……答えられなくても構わないが」
自分が皆の常識を超える事態を引き起こした自覚はあった。
昨晩、面白可笑しく自分の出生は語ったけど、それも酒の席の延長という感じにした。
ふつう、人に受け入れられる話ではないと思った。でも、個人的にそういうことがあったのだという言い分を、彼らは境界をもって識別することができると思ったから話した。
「───真に受けないでくれるならいいよ」
ナルだって、大変有名な博士だからこそ、俺の言い分をどこまで自分の中での事実とし、自分の名の下で結論として出すかは決められるだろう。
いくつか答えていると、すっかり朝ごはんのにおいが漂ってくるようになっていた。
お出汁のにおいとか、焼き魚の煙とかに気が付いてしまったが、真面目な顔したナルの前で意識を逸らすことはそう長いことできなかった。
「は意識を失っている間どのくらいの時間を感じていた?」
「さほど時間は感じなかったな。俺が身体にいない状態での意識を取り戻したのは、おそらくずいぶん時間が経ってからのことだったと思う。『向こう』には鏡があって、そこから現世で俺の身体がどうなっているのかが見れたんだけど、映像というか、断片的というか……リアルタイムではないっていうのかな」
ナルはふうん、と独り言ち、考え込むようだった。
「だから起きたとき、僕たちがを囲っていることがよくわかっていなかったのか」
「そう。白澤様がおこぶ様に何をしたのかとか、皆になんといって身体から出たのかも、あとで聞いて知ったことだな」
「その時のことを鏡では見られなかった?」
促すような問いに、首を横に振って否定した。
「見るのをやめた。身体に戻ろうと動き出していたし、……ジーンとお別れをしなければならなかったから」
俺の言葉にナルははっと目をみはる。
少しの沈黙が俺たちの間を流れていき、ようやく唇が動いたと思えば小さな声がした。
「渡れたのか……」
驚きが大きく見えた。それから安堵かな。ジーンの身を案じるというよりは、単に自分の不安が解消された方が大きいような気がするけど、そこは言うまい。
「ずっとにつきまとうかと思ってた」
「はは、俺がそうさせてたんだ……ジーンの落ち度じゃないよ」
「どうだか」
肩をすくめたナルに、小さくため息をついた。
これはナルの冷たさを嘆いたわけではなく、自分の口が重たかったからだ。
「人は誰しも、自分の死を好意的に受け入れられるものではないと思う。死んだ事実を受け入れられても心のどこかで、死を望んでいなかった自分が出てくる……本当に死んで、この世に居残ってしまったとき、自分を律するのは思いのほか大変なことだろうな」
俺は態勢を変えてそっと膝を抱えた。
「だから、大いに環境の影響を受ける」
ナルは小さくうなずいた。
「今回ジーンに影響を与えたのは俺だった」
「に甘えていただけだ」
「そうかな、普通の生者といるよりももどかしかっただろう」
「それはなぜ?」
「俺が死者で、ジーンは生者だったから」
ナルが瞠目するのを見返した。
黒い瞳に、俺のへちゃっと笑った顔が映り込む。
「逆じゃないか?」
「そう、逆なんだよ。俺は生きていながら、肉体と魂結びつきが弱いくらい死者に近く、……反して、まあこの世に留まる霊で生者でない霊なんかいないよな」
そうじゃなきゃみんなあの世にすんなり昇ってるはずだ。
「はそれほど、生に無頓着だったか?たしかに危なげな時はあるが」
「……別にあのまま死のうと思ってたわけじゃないんだ。ただ、死というのは必ずくるもので、魂にとってはひとつの出来事にすぎないと知っている」
「そうだな」
「そういう考えが、生きるのに執着していないことに繋がるのは、今回痛感した」
今度は同意もなく、じっと見つめられたので目をそらす。
ナルもきっと、死というものに大きな感情はないような気がする。
でもそれは生に頓着してないのとは違う。俺とは違う。だから黙って、俺の次の言葉を待ってる。
「ジーンに生きてと願われたとき、己を恥じた。変われなかったのは俺のほうだった」
立ち上がりナルに降りかからないように身体についた土を払う。
まだ座ったままの彼を見下ろした。
「生きる時間を大切にしないとな」
手を差し出すと躊躇った後に掴まれたのでひっぱって立たせた。
ナルにジーンのことを伝えられてよかった。なんだかんだ、成仏してないことが気がかりのようだったし。
そして俺は一つ提案というか、おせっかいというか、彼の供養をさせてほしいとお願いした。
「イギリスまで来るのか?」
「うーん、いや……湖に行こうかな」
ジーンの魂はその場所と無縁だったけれど、ずっと身体が居た場所だ。
引き上げられた後にお花を供えには行ったけど、今回改めて、ジーンが成仏したので何かしたかった。
「ふうん」
ナルは案外軽い調子だ。
厚かましくはないだろうかとは思ったが、杞憂だったようだ。
「僕も行ってもいいなら」
「それはもちろん、一緒に行こ。リンさんも……もしよかったら、谷山さんも誘ったらどうかな」
心底わからないと言いたげに首を傾げたナル。
「俺、谷山さんに君のお兄さんが亡くなったって話しちゃっただろ、その時やっぱり悲しんでいたから」
「ああ麻衣はすぐ人に同情するから」
「ん。だからさ、お線香とか、あげたいんじゃないかなって」
「……言ってみれば?」
さすがにイギリスへのお墓参りまで誘うより大事にはならないだろう。
結局ナルはイギリスに実家があることや、自分の本名の話などはしていないのだし。
「たしか原さんも君の素性知ってたよな、じゃあ彼女にも声かけてみようかな。それから」
「───みんな知ってるだろう」
「え、そなの?素性を?」
「ジーンのこと」
「……そうか、ま、そういうもんか」
周囲が知っておいた方がと広める身の上話もある。
面白おかしく吹聴したわけではないし、本人を不用意に傷つけるよりはと。
ナルはそういうものかと首を傾げていた。
next.
主人公反省の巻。
あと次回のフラグ。
お墓に行くのが遠いのと、事故現場よりも遺棄現場のほうが長くジーンの"身体"と"死"があったからっていうほにゃららなので、けして無理やりでは……あるんだよな……!
Oct 2021