Sakura-zensen


春のおまもり 42


(三人称視点)

ナルの兄が亡くなったことを知らされたのも、霊となってと一緒にいたのも、つい先日昇っていけたらしいというのも、すべてナルの口から聞いたことでは無かったが、麻衣はそれでもナルの冷たい氷が少し解けたみたいに感じた。

ナルの兄は交通事故にあって亡くなり、その後、遺体を湖に沈められたという。
事故からしばらく経って、加害者が罪の意識にさいなまれて自首をしたことから発覚し、その身体は湖から引き上げられた。
新聞にも載ったらしいけど、身元不明の男性としか記事にはなっておらず、こうして聞かされなければナルの兄だとは気づけなかったことだ。
麻衣は当時そういった内容の記事を見た気がするけど、いつの記事だったのかも覚えていない。
場所は長野県の山奥の、近くにキャンプ場がある湖。普段はボートに乗って釣りや遊覧をしたり、浅瀬では泳ぐ人がいるくらいの観光地でもあったそうだ。

実際に来てみるとたしかにキャンプ場にほど近く、湖のそばには小屋などもあってボートの乗り場や遊泳に関する注意事項が書かれた看板が建っていて、まったく無人の湖というわけではないように見えた。
深夜にでもボートを無断で拝借して事を行うと考えれば、たしかに観光地は向いていたのかもしれないと、不謹慎なことを考えて麻衣は少し落ち込んだ。
早朝に東京を出て、リン、滝川、の運転する車に分かれて乗った。
今回が車を出したのは、以前石川での調査をした帰り道、この人数では車に乗り切れなかったからだ。
調査時に意識を失っていたは特に責任を感じ、リンの運転するバンに詰めこまれた機材に挟まって帰ると言い出した。
誰も彼も、にそんなことをさせるはずもなく、即座に却下を言い渡されていじけさせた。
そしておそらく、自分が公共機関で帰ると言い出すよりも前に、ジョンと真砂子が来た時と同じように飛行機で帰ると名乗り出た。
2人とも仕事があると言ったが、本当かどうかは定かではない。
結局も、彼らの気遣いを無下にもできず、安原とともに滝川の車へ乗っての帰路となったのだった。


長野にたどり着いたのはまだ施設の営業が始まるよりも前の時間であった。
「だれもいないよ?入っていいの?」
「許可はとってあるんだ。誰もいない時間帯のほうがいいだろ」
「だな、俺たちがどやどや来て祈ってたら、客足に響かんとも限らん」
麻衣はおずおずと、の服の裾をつかんだ。霧の立ち込める早朝の水辺の雰囲気に、少し呑まれていた。
と滝川の言い分も理解でき、それ以上聞かずにそっとナルのほうを盗み見る。
一番後ろから歩いてくる姿は霧の中にも色濃く、黒く、滲んでいた。

「本当はお墓にお参りするのがいいんだろうけど、ちょっと遠くてな……許してね」
は特に形式ばった動作もせず、静かに水辺に膝をついて黙祷した。
それに倣って静かに、みんなで目をつむる。

しばらくそうしていると、誰かしらが動き始め、麻衣も目を開く。
いつのまにか霧が少しだけ晴れていて、湖の水面も青く光り始めていた。
揺れる水の音を背にして、駐車場に戻ろうとする皆の声の隙間からナルが、「どうも」と言っているので誰かがお悔みを言ったのだろう。それか、ナルからのお礼の言葉なのかもしれない。

「───ロッジに泊まらせてもらえるんだったわよね」
「そう、受付に行ったら案内してもらえるはず」
綾子は車の中から荷物を下ろしながらに確認をする。
どうやらが今回のことで町の役場に許可をとったところ、霊能者の団体だと説明したようで逆に依頼を持ち掛けられたのだという。
ナルが調査を受けても構わないと言ったらしく、リンの車にも機材は積まれていた。
せっかくだから観光してもよかったと思っていたのだが、結局このメンバーですることといったら調査になるらしい。麻衣は少々残念ではあったが、いつものことかと思うことにした。

早朝でも受付には職員が常駐している為、が名前を言えばすぐに心得たとばかりにロッジへ案内された。それぞれ、距離は少しだけあるが目に見える範囲でぽつりぽつりと建っている。
人数はちょうど3人で割り切れる為、3棟に分かれた。
それぞれ荷物を置いたら、町長が調査の詳細を話に来るそうなのでナルたちのロッジに集合して待っていると年配の男性が2人やってきた。
1人は町長で、もう1人は助役だった。どちらも眼鏡で、少しやせていて、禿げた頭に汗をかいてハンカチでしきりに拭いていた。
朝とはいえ、少し歩けば汗もにじむだろうが、彼らは緊張して汗をかいているようにも見えた。

調査の詳細は電話で聞いていた内容をから、ナルに伝わって全員に説明がいっていた───のだが、どうやら実際に会って話を聞いてみると少し違う。
当初、廃校になった小学校で霊の目撃情報があった、程度のことだった。
観光事業が町の財源であるので、そういった不明瞭で奇妙な噂をどうにかしたいという。
けれど、町長はに促されて話し出そうとして一瞬言葉に詰まったかと思うと、困ったように、"人が消える"のだと話し出した。
最初のうちは遺体となって発見された───しかし、次第に遺体を見つけることもできなくなったのだそう。

とにかく小学校を拠点に、付近の山中では観光客が消える。
廃校になったのはダムをつくるために住民が一斉に町を出ていった為転校を余儀なくされて、と言っていたのに話が進むと次第に、山津波にあい生徒が亡くなった為学校として機能しなくなったと吐き出した。
行方不明者、死者も、事故の後から起こり始めているのだそう。
つまり町長たちは、事故で亡くなった子供たちが、寂しがって人を呼んでいるというのだ。

ナルもも静かに話の続きを促すばかりで、町長たちがロッジを出ていくまで麻衣ははらはらと落ち着かない気持ちでいた。
「聞いていた話とずいぶん違うな」
「地味な現象が起こる程度でなかったかい」
ナルが一息ついて感想を述べると滝川も同意して頭を乱雑に掻く。
電話で実際に話を聞いていたはずのを見るとその通りだとうなずいた。
「うん、人が行方不明になるどころか遺体となって発見なんてことは知らなかったな……廃校になった理由も住民が一斉退去とまでしかしらないし」
「電話で話したことはどうせ、あたしたちを呼び寄せるための嘘でしょう?よくやるわ」
「被害を最小限に言う相談者さんはいてはりますよね」
「そうなの?」
「逆に大げさな方もいらっしゃいますわよ」
得てして、依頼人が起こる物事の重症度を冷静に判断して専門家に伝えられる場合は多くない。
もそうだなと同意して、口を開く。
「とはいえ、こんなに違うと思わなかったからもっとちゃんと調べてから中に入った方がよさそうだ」
ぼやくように上向きがちに言うと、一同が頷き安原は特に「僕の出番ですね」と張り切って微笑んで見せた。


麻衣たちは東京から持ち込んだもので腹ごしらえをしてから、滝川の車に乗って買い出しに行くことにした。
調査地は今回、近くに寝泊まりするような場所や安心して待機できる施設はない。おそらく水道も電気も通ってないのだ。
ロッジで食事をとるにしても、調査が終わってからだと買い出しに行く暇がなかったりするのである程度買いこんでおこうという手はずだった。
ジョンと滝川を荷物持ちにして顎で使う綾子を後目に、麻衣は正面に陳列された商品をまず真砂子に提案した。
子供が歯磨きに使うようなプラスチックのコップは、それぞれ色が違い、動物のシールが貼られていて、妙に安っぽくてかわいらしい。紙コップで飲み物を飲むとどうしてもごみが増えるし、見分けがつかないので、いっそのこと買ってしまおうということだった。
綾子もすぐに気が付き、ジョンと滝川が荷物を車に置きに行っている間に、誰がどのキャラクターにするかを選ぶのは楽しいひと時だった。


next.

やたらと準備段階長いな……文庫本を読んだからですかね(投げやり)
Oct 2021

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