春の蕾 08
もともとおばさんは行きたい学校行かはったらええのや、という人だったし、北の家に住まわせてもらえるならありがたいと賛成してくれた。北家も歓迎してくれるらしく、信ちゃんの言った通りだった。電話で互いに意思を確認した数日後、信ちゃんはお父さんお母さんと一緒に綾小路にやって来た。
おじいちゃんにまず挨拶して、しばらく信ちゃんとおじいちゃんは二人で話をするみたいだった。
お父さんお母さんは、おじさんおばさんと客間にいるので、おじいちゃんと話を終えた信ちゃんを俺が連れて来た。部屋の前で待ってたけどなんの話をしてたのかは知らない。
「兄さんにも挨拶せんと」
「文麿くん今捜査が佳境で、当分おらんよ」
「忙しいんやな、当然か」
「ああ文麿さんは、まだ認めたわけやあらへんからな……て言い残して出勤していかはったわ」
「相変わらずやなあの子は」
おばさんとおじさんは朗らかに笑っている。もう相変わらずのお兄ちゃんです。
「文麿さんのことは気にせんでええよ、さんのしたいようにしたらええし、信介くんもそうや」
「そう言ってもらえて嬉しいです、さんはほんまにうちでええの?」
おばさんの言葉にお母さんはホッとしたように笑うが、俺を見て確認をとってきた。たしかに寮に入る手もあったんだけど、俺は信ちゃんちの方が落ち着くし、おばあちゃんのお手伝いもしたいし、願ったり叶ったりだけどなあ。
「ご迷惑おかけするかと思いますがよろしくお願いします」
不束者ですが……とかいってお嫁入りみたいな挨拶だけど、きちっと正座して背中を丸めた。
お昼まで、俺と信ちゃんはしばらく遊んどいでと言われて外にだされた。
「遊んでこい言われてもな」
「まあ、どこでもええよ」
子供じゃないんですけど、と思いつつも俺たちは素直に靴を履いて家を出る。
お寺さんはたくさんあって、見るには困らない街だろうけれど、俺も信ちゃんも小さい頃から歩き倒してるので新鮮味はほとんど無い。
「すっかり秋やな」
「ね、大会んときは夏真っ盛りだったのに」
色づく葉を見上げた信ちゃんの横顔を眺める。
「受験勉強は進んどる?」
「うん。判定も問題ないよ」
「風邪にだけは気をつけんとな」
「おじいちゃんにうつしたくないから、もう何年も風邪なんて引いてなくってよ」
「さすがやな」
オホホホとおばさんを真似て笑う。
「じいちゃん、言うてはったで」
「え?」
「の花嫁姿見るまで死ねんって」
「花嫁ならんし……」
落ちた紅葉を拾い上げ、葉柄をつまんでくるくると回す信ちゃん。
「うちのばあちゃんも、今から俺たちの結婚式楽しみにしとんねん」
「気……気が早~……」
伏せていた瞼はゆっくりと折りたたまれて、紅葉越しに、少し動物みたいな目が俺を射抜く。
「どう言う意味でいうてる?」
「え?」
俺としたことが、うろたえて、後ずさる。
「し、信介…?」
「は、いつか、誰かと結婚する───それすら想像つかんかったんやろ」
ごくりと唾を飲み込む。
信ちゃんはちょっと怖い顔……というかほぼ表情もなく俺との距離を詰めた。さっき俺が後ずさった分よりも大きな一歩だ。
風が吹いて紅葉が信ちゃんの指から抜けて飛んでいく。視界の端にそれを捉えながらも、信ちゃんの眼差しから目を逸らすことができなかった。
「正直俺もまだ想像ついとらんけどな」
「え」
ふいっと目をそらされたことで、俺の金縛りは解けた。
「まだ全然、文麿兄さんを超える男になっとらんし、いまいちぱっとせえへん中学生や」
「ちょっと、おーい、信ちゃ~ん?」
歩き出してしまった信ちゃんを追いかける。
「稲荷崎にバレー誘ってもろても、ユニフォームもらえるようになるかもわからん。いくら努力しようにも俺の考える努力じゃ足りんかもしれんし、仮にユニフォームもらえたとして、試合に出たとして、結局何なんやろな」
足は追いついたが、頭は追いついてない。
「バレー評価されても、試合に勝っても、学校卒業して大学入って……それでも、俺はきっと、俺以外の何でもあらへんし、はやんか」
「お……はい」
ここでようやく俺のことを思い出したように見る。
「なんかでかいことしようとか、になんかして欲しい訳と違う、ただ居なくならんで欲しい」
「───じゃあ、はい」
信ちゃんは俺の差し出された手を不思議そうに見た。
「あげる」
「手だけ?」
「とりあえず。なに、いらんの?」
引っ込めようとしたら、掴まれたので笑う。
ずっと触りたかったんだよ、と言ったら引かれるだろうか。
「いつか全部あげるよ」
「……それ、いつんなる?」
着物姿で歩くときでも、急かしてるんでも、疲れてるんでもなく、寂しくて甘えてるんでもなく、ただ立ち止まったまま繋ぐ手は今までのどんな触り方よりも切なかった。
ほどけないように指を絡めて、それでももどかしいとさえ感じる。
「せっかちか。じゃあ、今ほしい?」
「っ違……!」
顔を覗き込んで近づけば口を押さえられた。
やけくそでしたが、それはちょっとショックです。
「……兄さんにまだ許してもろてないし、……急にそんな、心の準備できとらん」
むくれた俺を見て、信ちゃんはほっぺを赤くして顔を逸らす。
「俺もそうなんですけど」
「じゃあなんですんねん」
「信ちゃんが急かしたからじゃん」
「急かしとらん」
「急かしました〜」
ぷんっと顔をそらして、口を押さえる信ちゃんの手から逃げた。
紅い葉から白い雪が溢れる季節に移り変わり、春の訪れを待ち、寒い季節を乗り越えた。
緑の葉が芽生え、桜の蕾が花開くころ、俺は京都の綾小路家を出て兵庫の北家に移り住んだ。
「おばーーあちゃん、元気してた?」
「くんよう来たねえ、元気やったよ~。合格おめでとうなあ」
「ありがとう」
おばあちゃんはうんしょ、うんしょ、と玄関から出て来て俺を迎えた。
ちっちゃくなった気がするが、俺もでかくなったんだろうな。
「大きくなったなあ〜信ちゃんとどっちが大きいんやろ」
「俺じゃない?」
「いや俺のが大きいやろ」
はわーと見上げるおばあちゃんの前で、俺と信ちゃんは背比べをした。目線ほぼおんなじだし、わからないな。身体測定での結果まちだな。まあその頃になったらこんな話したのも忘れていそうな気もするけど。
「制服っていつ届くんやって、俺30日って聞いとるけど」
「俺もその辺の日だった。でも京都の家に届くみたいだから、入学式の前に取りに帰る」
「そうなん」
「送ってもらおうかなーと思ったけど、一度向こうで着て見せんの」
「じいちゃん喜びそうやな」
「ん」
とたとた、と廊下を歩きながら荷物の届いてる部屋へ向かう。
いつも泊まってるときは信ちゃんの部屋だったけど、移住となるとまた違うわけで、多分居間の隣の空いてる部屋かなーと思ってたんだけど信ちゃんは階段を上がっていく。
「信ちゃんと俺、一緒の部屋?」
「え」
上は信ちゃんのお父さんお母さんの寝室と、信ちゃんの部屋とトイレだったはず。
問いかけると、信ちゃんは階段の途中で振り向いて止まる。
「いや、隣の部屋あけたんや」
「そうなんか、悪いねえ」
「同じ部屋はまだ……早いやろ」
「そ、う言う意味じゃ……」
もじ……とぎこちなく背を向けた信ちゃんを、俺もぎこちなく追いかける。
今まで泊まるときに寝るのは信ちゃんの部屋だったから、まさかって思って確認しただけだし……。
信ちゃんの部屋と隣の部屋はドアで繋がっていて、前は閉まりきっていたけれど今は開け放たれていて、大きな一部屋みたいになっていた。
「部屋ちゃんとできるまでは、こっちの部屋で寝たらええ」
「ウン……」
なんだろう、そんなのいつものことなのに、ドキドキしてしまうのは。
まあ正直荷ほどきなんて1日で終わるんだけどさ。
信ちゃんの部屋の窓から下を見ると、おばあちゃんが干しておいてくれてる俺の布団が見えた。
「この眺め、久しぶり」
「そうやな、受験もあったしな」
窓の桟に腰掛けて、柵に肘をつく。
信ちゃんも俺の後ろから外を見ていた。
「明日から、こっからが見えるな」
「え?」
俺の頭の横の壁に手をつき、少し身を乗り出した信ちゃんの声が近くなる。
少し顔を傾ければそばに横顔があって、庭を見下ろしていた。
「夏、泊まりにきとったとき、あすこおったやろ。ずっと見とった」
「あー……そっか、ここから見えるんだ」
「綺麗やったな」
多分庭で運動してた時のことなんだけど、そんな、何年も前のことを急に思い出されるとは。
間近で微笑んだと思えば、信ちゃんは離れていく。
あまりにストレートに褒められたので、どうもとお礼を言うしかなかった。
荷物をあらかた片付けてから、日が暮れる前に布団を運び入れる。
俺は敷布団、信ちゃんは後ろから掛け布団を持って階段を上がった。
「なあ、部屋片付いたけど……今日は信ちゃんの隣で寝てもいい?」
「───うん」
自分の部屋に入るか、信ちゃんの部屋に入るか考えて、布団を持ったまま振り向く。
同じように布団を持ってた信ちゃんは目を丸めて、その顔のまんまで頷いた。
特に理由もなく、なんとなくだから、なんでと聞かれると困るんだけど、信ちゃんは聞いてこなかった。
「なら明日、朝起こしてくれん?」
ただ、妙な提案をされて、不思議に思う。
いつもそれぞれ早起きだ。どちらかが起きて身支度を整えて、その間にどちらかが目を覚ますという感じだった。部屋から居なくなった後でも、結局早い時間に起きてきてたし、寝坊とかとは無縁のはずだけど。
「いいけど、俺が早く起きなくても怒んないでよ」
「怒らんし、いつも早いやん」
「年に数回寝坊する日もある……」
「へえ……見てみたいわ。遅かったら、俺が起こすしええよ」
明日もまだ春休みだし、とりわけ予定もないので、多分いつも通りの時間に起きて、久しぶりの北家の庭で朝日を浴びるんだろうな。
特に変哲もない朝を、俺はとても楽しみに思った。
信ちゃんもそうなのかもしれない。それなら、とても幸せなことだ。
next.
ナチュラルに同棲(?)
Nov 2019