Sakura-zensen


春の蕾 12

(第三者視点)
稲荷崎高校のバレー部といえば、近隣でもトップに与する強豪校だ。
腕に覚えのある者が集まり、切磋琢磨して日々部活動に勤しむ。大勢の生徒が三年間ユニフォームを着ることなく応援や練習に時間を費やすのは当然でもあった。
基本的には、バレー部やクラブチームにいた経験のないものたちは、滅多に入部しようと思わない。または、仮入部の段階で入部を諦めるものが多かった。
春野はそんな中、たった一人の未経験者だった。
当初、基本に忠実で、地味な動きで目立つことはないが、運動能力は高く、精神面は非常に落ち着いた安定感のある選手に思われていた。
丁寧な基本動作は練習を積んで来たものであり、いつどこでも普通に動ける心構えは経験者であると。
その推測は、中学から顔見知りであったらしいアランが何気なく話題にした事で反転した。
は元剣道部とみせかけて茶道部だった。
話を聞いていた部員はそのことに驚き、過去テレビで剣道部の密着取材を受けたという情報を元に過去の放送を探して観たほどだ。
そして、紛れもなく剣道の強い茶道部員であり、彼の運動能力の高さと並外れた集中力はここで培われていたものだと知った。

監督の黒須はやがて、の練習方法や観察力、人を鍛える能力を見出して練習メニューの作成を任せるようになった。
とはいえ、全てを委ねるわけではなく、方向性や重点は学校の指示に沿い、バレーの技能に関しても大幅に監督の手が入っている。
その条件下で、は見事に部員の身体能力を向上させる兆しを見せた。すぐに結果が出るものではないが、継続させようと思うほどだった。
部員たちは彼の身体能力にも、鍛えることにストイックな姿勢にも、鬼のようなメニューを自分で軽々こなすところにも敬意を示し始めた。
自分の体が鍛え抜かれていくことを感じる。また、の言葉で上へ行けるような錯覚を起こす。
がむしゃらに練習するよりも、丁寧で着実な一歩は部員の底力をあげた。
「それにしてもあいつの体力どうなっとんねん」
「……はは」
別メニューのストレッチをしていたアランと赤木は、が体力強化中の部員を引き連れて走ってる姿を遠目に見てぼやいた。
「信介はあれを子どもの頃受けてたんか?」
「……もっと楽やったで。手加減されとったんやろな」
大耳の問いに、信介は呟く。
「───の鍛え方は備えあれば憂いなし、ゆう感じやねん」
「え?」
「特定のことをうまくなる練習ゆうより、なんでもできるようになっとく身体作りなんかな。あいつは剣道以外にも他の武道やっとったし、どんなスポーツかてそこそこやれる思うで」
「何に備えとんねん……」
「さあ。でも闘うのが好きらしいわ」
首をかしげるというより、もはやうな垂れたアランに対して、信介も首をかしげる。
「へえ意外や」
「あんま勝ち負けこだわっとるように見えへんし温厚やろ」
赤木と大耳は信介の語るを想像できない。
バレーの練習試合ではよく負けてるのを目にするし、悔しがった顔や勝ちにこだわり熱くなる場面を見せたことがない。部活以外の学校生活でも、やるべきことをやって、自然と優秀であるように見えた。
一方、信介の言う『闘う』は競うことではなく、相手の意識がなくなるまで、または戦意を喪失するまでルール無用でやりあうことだった。
まだ小学生だった時分、は世間を騒がせていた事件の終息に関わっている。
複数人の日本刀を持った大人相手にして、ものの数分で片付けて見せたというのは誇張ではない。
「まあ勝敗はあんまり気にしとらんかもな」
そもそも負けたこともないのだろうし、負けに関する概念が違うのだろう、と信介は思っている。
「ほんまお前らそっくりなはとこやな」
「……そうか?」
赤木は笑いながら指摘し、アランも大耳もしきりに頷く。
信介はをよく見ていて自分とは違うことはたくさん感じる。また、似ているところももちろん感じる。
そして互いに寄り添い、自然と同じ行動をとるようになった部分があるのも自覚していた。
「信介の儀式も時々やっとるよなは」
「ああ、暇やし手伝うゆうてな」
習慣を儀式と言われたのも特に気にとめることなく、信介は大耳に同意した。
儀式とは信介が身の回りを掃除したり、丁寧に手入れをすることを指している。
最初のうちはきれい好きか、真面目かと思われたその行動も、積み重ねていくうちに生活の一部ととらえられるようになる。新入生のやるべき仕事としてではなく、信介が心穏やかに暮らす習慣である。一年も当番制で掃除をすることはあるが、信介のように毎日決まったことをやるというわけではなかった。
いつしか当たり前の光景であり、儀式と言われるようになったその信介の行動にも、付き合うのはくらいだ。
「暇なことあったか?あいつ」
アランはあらためて、信介との行動を省みて首をかしげる。
レギュラーではないが、ある意味一線を画す部員となったは多忙である。今だって自分のトレーニングメニューではなく、強化メニューの先導を行なって、離れたところにいるのだ。
「暇なわけあらへんよ。せやけど、俺と一緒にやるんは一種の献身やな」
「献身……」
赤木はぽつりと復唱した。信介が儀式ならば、は献身。
そう言われるとなぜか納得してしまった。





治はたまたま目にした、近隣高の文化祭告知ポスターを前に立ち尽くしていた。
ここは部活帰りに母に頼まれたものを買いに寄った、商店街のスーパーだ。サッカー台に立つと、顔を上げたところに貼ってあった。
サラダ油お買い得品、お一人様一点限り、その一点だけをスポーツバックにねじ込むためにサッカー台を利用したのが運の尽き、動けなくなっていた。
夕方の買い物客が大勢いる喧騒の中で、治の周囲は一切の音を失った。
代わりに脳裏で、思い出せない声が、思い出せない言葉を放つのだ。

───ドン。
「!」
治のすぐ隣に重たい買い物かごが置かれる音がして、はっと我に帰る。
「あらごめんなさい」
驚きたじろいだことで、隣に立った主婦が照れ臭そうに笑った。
治は今まで見蕩れて没頭していたものに気づかれたくなくて、会釈をして足早にスーパーを出た。

(稲荷崎高校、文化祭……)
大々的に書かれた文字を脳裏に浮かべる。そして青々とした竹林と、赤い鳥居の前に立つ、髪の長い、神様みたいに美しい人。
記憶の奥底に焼き付いた桜の花びらが、今この手に剥がれて落ちて来そうだった。
胸の前に出した手には何もなく、思わず握りこぶしを作り心臓を叩いた。

「お〜おかえりサム」
「ただいま……」
買い物にも付き合わずに先に帰った憎い片割れが家で出迎えたが、治の溜飲はすでに下がっていた。
「サラダ油買えた?」
「サラダ?」
「あんたまさか忘れ……」
「あ、買うてきた」
「えらい!!!」
違うことで頭がいっぱいで、侑の裏切りのことも、自身が買って来たサラダ油を母に渡すことも忘れていたほどだ。
「どないしたんやサム、ボケッとして」
「───なあ、ツム、あんときの桜の花びらてまだ持っとんのか?」
どすどすと遠慮のない足音を立てながら歩いていると、後ろから侑が付いて来た。
ぼんやりとした顔で洗濯物を出していると、一向に返事がこないので視線を向ける。
「あんときって何?」
「……なんでもない」
けろりとした顔の侑に、内心治はがっかりした。
破けた便箋をもらった治に乗じて、髪の毛に触れて桜の花びらをとった侑を思うと、若干の腹立たしさと憐憫があるのだ。
その程度か、と思いつつも治も誇れるほどの思いはない。
ただ、昔出会った初恋とも言える少女に似た人を見つけて、季節はずれの春風が胸を揺らしただけにすぎない。
あの時は本当に子供で、名前すら聞けなくて、もう二度と会えないかもしれない人がこんな風に簡単に現れるのだと、初めて身に沁みた。淡くて、甘い金平糖の味よりも、その悔しさともどかしさの方が覚えていて、再び芽吹いたのは、その苦い感情ばかりだ。



治の様子がおかしい理由を、侑はよくわからないでいた。
急に何の脈絡もなく桜の花びらと言われても、思い至る記憶はない。どうせ、バレーのことしか頭にない変な奴とか思われているのだろうが、本当にバレー以外どうでもいいと思っていたので、治の様子に深く探りを入れる気もなかった。
とはいえ侑だって息抜きをすることもあれば、バレー以外の用事もある。遊びに行ったり、デートに行ったり、用もなく街をぶらついたりもする。治の妙な問いはそれらに劣るほど、気にかける必要もないものだと思っていた。

その日、侑は出かける準備をしていた。治もどこか行くのか洗面所で会った。
「なんや、オフの日に出かけるなんて珍しいな。どこ行くん」
「文化祭。稲荷崎、今日やねんて」
「あーアランくんもおるんやったな、会うたらよろしく」
「おお。ツムはどこ行くん」
「野暮なこと聞くなや、デートに決まって……聞けや!」
どうでもいいとばかりに踵を返した治を糾弾する。
朝食を先に食べ始め、もはや侑の予定に一切の興味はない。
「日付知っとったんなら誘えや、今日がデートやなかったらなあ〜」
「知らんかったんか」
「おお、まあどうせ来年行くこと決まっとるし、文化祭行ったからどうってこともないけどな」
治の冷めた顔を見ながら、侑はいかに今日のデートが特別であるかを誇張した。しかし結局治は冷めた顔のまま、羨ましさのかけらも出すことなく見送った。
そのことを少々不満に思いつつも、待ち合わせ場所には可愛い女の子がいたので、侑はすっかり機嫌をよくしていた。
───はずだった。

「今年のお稲荷様はまたきれいな人やねえ〜、侑クン一昨年の人見た?すっごい美人やってんか。去年はそれでちょっとかわいそうな事なったらしいで」
「……」
「せやけど今年はタイプが違うねんな。ほんま神様みたいな、不思議な雰囲気ゆうんかなあ」

普通に楽しく過ごしていたところを、すべての感情が消え失せるくらいに目の前のものに没頭していた。
連れがたまたま見つけて話題にしたのは、治が出かけて行った稲荷崎高校の文化祭ポスターについてだ。たまたま道の、目につくところに貼ってあった。
静謐な場所に匂い立つような彩りがある。
長い髪を垂らした、無垢な佇まいの、愛くるしいが凛とした顔立ち。少女にも少年にも見えるその姿は人ではないみたいに美しい。
「今日や……」
日付を見て言ったのではなく、治の発言を思い出して言った。
「あ、もしかして興味あったん?映画終わったら覗きに───え、ちょ……侑クン!」
侑は何も考えずに走り出した。否、稲荷崎高校への行き方だけを考えていた。
鍛えられた体を惜しみなく使って、必死に走った。

『あんときの桜の花びら』は、いつの間にか失くした。大事にとっておく方法なんて知らず、誰にも聞けず、風に吹かれて見失った。きっと持っていても水分を無くして萎れて、指で触れた途端に崩れていた思い出だった。
その儚さをすぐに忘れたつもりだった。実際、桜と言われても思い出せないくらいだった。
それなのに今、目の前に鮮明な桜の花びらが舞う。
金平糖を包んでくれた時に見下ろした、柔らかい頬の丸みも、桜貝みたいな爪の先も写真にはないが、あの神様みたいにきれいな子は、きっと。

たどり着くのにどれほど時間がかかったのだろう、稲荷道中というイベントの情報も何もどうして知っていたのか、覚えていないくらい夢中だった。
そんな意識の中でも侑ははっきりと、いの一番に───治を見つけて掴みかかった。
「サム、お前!!」
「!?!?」
フードをぐしゃりと掴んで引っ張ると、驚いた片割れの顔がそこにある。
「分かりにくいんじゃボケ!!もっとちゃんと言えや!!」
「ま、……おい、やめろやアホ!今から、」
たくさんの見物人であ溢れかえっていたので、騒ぐ双子を目に留めつつも、周囲の人々は目当てが来た途端視線を外して歓声をあげた。中には感嘆の吐息をこぼすのもいる。
双子は掴み合いながらも、はっとして顔を向ける。
二人ともいつの間にか声をうしなっていた。

運ばれている屋台に鎮座する、陽を浴びて光り、透ける髪の隙間から、神様の美しい横顔が見えた。
目元や口元を色づかせた顔は記憶とは少し違うが───、そもそも記憶の方が曖昧で、今日目を奪われたことが確かな事実だ。

「なあ、俺をみて笑たで」
「いや俺やろ」
「───俺たちを見たんかな」
「そうかもしれんな」

感情の読み取りづらい顔でいたお稲荷様は、二人の方を見て、はっとしてから微笑んだ。少し子供っぽい、でも大人びたきれいな微笑みは、かつて言い争う双子を見てたしなめた少女とやっぱり、酷似していた。



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Dec 2019

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