Sakura-zensen


春の蕾 18


(第三者視点)
信介はの朝寝坊が好きだ。
髪をかき混ぜても、頬をつねっても、布団をはだけても、穏やかに胸を上下させて、ふにゃりと柔らかい表情でいるは起きようとしない。
本来はするべきではない油断、自己管理のなっていない証拠、習慣を壊す行為と思うのだが、本来は滅多に寝坊をしないし、油断もしない。
「起きひんのか」
「んー」
声は聞こえているらしく、理解をしているのかしていないのか、返事をしてきた。
疲れていたり、体調が悪かったりではなくて、なんの不安もなく心がリラックスしている証拠だと、信介は知っている。
朝から予定があるので気をぬかれては困るのだが、それでもやっぱり、の心が穏やかであることに安堵してしまうくらいには、贔屓する気持ちがあった。
「今日が休みやったらなあ」
「んー」
また、同意されて思わず笑いをこぼす。
本当に今日が休みだったなら、と信介は心底思う。
ならばを好きなだけ寝かせて、目覚めるのを待って、一緒に過ごすのに。寝顔を眺めたり、隣でもう一度眠るのも良いかもしれない、と思う。

「休みなわけあるかい、早よ起こせ、水でもかけたれ」
「そんなんかわいそうやんか」
後ろで信介との戯れを見ていたアランは呆れた顔で厳しい言葉をかけ、赤木はそんなアランに対して苦笑した。
「信介ほんまにだけ甘いな」
「これ、たまにしかない現象やねん」
「ああ、起きひんなんて珍しいな」
「昨日眠れなかったんとちゃうか」
「いや10時くらいには寝とったし、対戦相手のビデオ観とる時も船漕いどったやろ」
───現在、春高の真っ只中。
ここは信介の家でもなく宿泊してるホテルの大部屋だった。
大耳や他の同級生たちも集まってきて、の寝姿を弄り倒している。
昨日の晩から呆れるほど早く眠りについていたは、子供みたいに布団に全幅の信頼を寄せて抱きついている。
「赤ちゃんみたいや」
「母ちゃんやあらへんのかい」
面倒見の良さや頼り甲斐から母親扱いをされることが多いは、またしても新しいあだ名がつけられた。
「あんまり起きひんのやったら、侑と治でもぶつけて見るか」
「オハヨーウ!!!!!」
「うるさ……」
誰かが双子の名前を出して思案したところ、は寝起きとは思えないくらい溌剌とした様子で起き上がった。
無防備に布団に投げ出していた手足には滞りなく力が流れて、背筋を伸ばし、よく通る声をしていた。
は一年生からよく慕われる上級生であり、双子からも運動神経の良さから興味を持たれていたし、人柄も好かれていた。
その上双子が憧れたお稲荷様の正体がであるとわかってからは、ますます熱烈なラブコールを受けている。
次第に、手のかかる癖の強い双子には、を与えておけば良いというのが上級生の中で当たり前のことになった。
「お前そんな宮兄弟苦手やったんか」
逆にがたじろぐのも双子くらい、と認識はしていたのだが二年生たちは改めて確信した。
実際あの二人に挟まれて騒がれたりボケ倒された時、どれくらい疲れるのかはわかっているのだが、つい人ごとになりがちだった。
「え、別にそんなんじゃないです」
「声ちっさ」
ひどく危うい手つきで布団を整えたは、顔を洗いにくと言って立ち上がった。


冷たい水で顔を洗うに付き添い、信介はタオルを持って待っていた。
「春野さんと北さんや」
「はよざーす」
そこに先ほどが目をそらして逃げた話題の双子がやってきて、挨拶をする。
「おはよう」
「ひゃおう……」
顔から水がこぼれ落ちるは目をつむった状態で信介からタオルを受け取り、顔を埋めたまま挨拶を返した。
「よう眠れました?」
「今日は一年の部屋で寝ません?」
「勝たへんと無理やで」
「信介それは言わなくていいことだぞ……」
タオルから顔を上げたは双子のふざけた誘いよりも、信介の冷静な発言をたしなめる。
負ければ大会に用はなく、泊まる必要もなくなるのだ。
昨日の試合は接戦で、特に一年にしてチームの要ともされている双子の調子が悪かった。侑は集中力に欠け、治は肩に違和感がありうまくスパイクが決まらない。
不調の原因は怠慢と寝違えであったことを信介が指摘すると、双子は居住まいを正し、反省の色を見せた。
普段やかましい双子も、信介の正論にはぐうの音も出ない。
「まあまあ信介、二人も反省してるもんな?」
「はい!!」
そこでお母さんのように取り成すに、縋るような返事をする。
「寝違えないな?」
「ないです」
「感覚どう?」
「万全です」
「お腹は」
「減ってます!!」
「よろしい。朝ごはんたべてきなさい」
幼児への忘れ物確認のような、健康観察が行われるのを信介は黙って眺めていた。
双子はゴーサインに対し、素直に食堂の方へ足を踏み出していく。
「元気なやつらだ」
「そうやな」
は勢いで乗せた自覚があるが、自覚もなく命令に従った双子の背中を見てくすくすと笑う。
は、幸せそうやな」
「うん、今日もがんばろー」
緊張感のない笑顔、とよく言われる、朗らかな笑顔を浮かべた。
これがいつでも浮かべられるから、緊張感がないと言われるのだろう。


午前中に行われた試合でのは、後半からの投入だった。試合の流れとしては悪くない場面でのメンバーチェンジで、おそらくメンバーの温存でもあった。
不調であったり油断するような選手もなく、試合は勝利で終了した。
「お疲れ様です、お話いいですか、春野選手!!素晴らしいスパイクでした〜!」
「ありがとうございます」
試合後、待ち受けていたインタビュアーに声をかけられたは一瞬きょとんとしてから微笑んだ。
なんか活躍しただろうか、という疑問で柔らかく答えたが、今回は特に攻撃力の高いプレーを見せていたのでよく目についたのだろうと思い出す。
強豪校の新メンバーであり、安定した能力があることから、インターハイの頃から注目されていたは、カバーの上手い落ち着いた選手としての印象が強い。
「普段はあまりスパイクを打つ印象がありませんが、今回はそういう戦略だったのでしょうか」
「そうですね……今回は守備にフォロー入れるほど崩れていなかったので、攻撃に力入れてながれを持ってこようと」
「春野選手の高い跳躍力にはこちらも非常に驚かされました〜、今後は攻撃も視野に入れてプレーなさるんですよね!?」
「ぼくにできることならなんでもします。でも何をするかは秘密です」
「そうですよね!!今後どんな活躍を見せてくれるのか楽しみにしています!」
軽やかな回答と、和やかな雰囲気でインタビューを短く済ませたは人混みを抜けた。

がメディアに取り上げられたのはインターハイの後半になってからだ。
体格に恵まれておらず、プレーも目立たないことが多い。しかしそのフォロー力と、いざという時のプレーセンスが抜群。プレーを見れば見るほど、面白いと思わされる選手だった。
それに、目立たないのはミスのなさからきている。
チームメイトは母と例えて頼りにした。雑誌では『最後の砦』と謳われた。
春高で新たに見せられたその攻撃力の高さにまた、激震が走ったはずだった。
鍛えれば、力を出させれば、とてつもないオールラウンダーになれるのではないかと期待されていた。
たとえ次の試合で負けても、来年がある───そのときにはどんな活躍を見せてくれるのか。周囲はがまだ戦うのだと思っていた。

最後にチームメイトが泣いていたのも、が肩を叩かれたり、抱きしめられたり、泣きつかれたりと、いろいろな選手に囲まれていたのも、この試合でスタミナのあるがくたくたになるほどにフォローを重ねて、最後ボールを取れなかった後悔からだと思われていた。

「春野、選手ッ!!お疲れ様です!!」
「あ、お疲れ様です。ありがとうございます」
試合後、またインタビュアーがをつかまえた。
泣いているチームメイトも何人か感想を聞かれている。強豪校の、今年度最後の戦いに敗れた場面は、残しておかなければならないシーンであった。
インタビュアーはが攻撃力を見せた後の試合でも興奮した様子だったが、今回の試合はいつも通りのスタイルでの奮闘を見て感動していた。
「春野選手の粘りが、ほんとに、素晴らしく……!」
「アハハ負けてしまいましたが……」
「あと一歩のところでしたね───残念でなりません。今後の目標をお聞きしてもよろしいでしょうか」
スタミナ面や守備力の強化とか、来年は優勝するとか、そういった前向きな言葉を期待して、半ば回答のわかりきった質問だ。
「うーんと……───今学期で部活動は引退します。どうしても行きたい大学があって、勉強に専念するためです」
「え」
淀みない言葉に、一瞬インタビュアーは回答を理解できなかった。
声色は揺らぎなく、瞳はまっすぐに向けられている。
「でも、え、じゃあ、……今日で……」
「今日で一応、最後ってことになりますね。相手チームの方が何人か再戦を望んでくださったんですが、うまく返事ができなくて申し訳なかったです」
「あの、大学では……」
「考えてないですね」
「どう、でしたか。……今日の……いえ、バレーボールをしていての、感想をお聞かせ願えません、か」
絞り出したような質問だった。彼がもうバレーボールをやらないなど、信じられないでいた。
「楽しい毎日でした、ありがとう」
「───、ありがとう……ございました……」
インタビュアーはそれ以上何も聞けず、無意識に感謝を返してを見送る。
カメラは、軽く手を上げてから会釈して去っていくの背中をずっと撮影するしかなかった。
本来なら後悔や涙、前向きな感情を撮るのが目的だった。インタビュー時の態度がよく人柄も好かれているのだが、いかんせん仕事としてはまったく使える映像ではない。
けれど流れ星をとらえるような感動がそこにはあって、それはきっとわずかな人にしか伝わらないものだろうと覚悟して持ち帰った。



next.

私は相変わらず主人公がテレビに出るのが好きらしい……。
July 2021

PAGE TOP