Sakura-zensen


春をのせて 04

呪いを破る方法はない、という言葉を聞いて力が抜ける。これが安堵ではなくて、絶望の片鱗だということはわかってた。
湯浅高校で行われていた厭魅は、呪符となるヒトガタを燃やして灰を川に流すことで呪詛が終わったのに、今回はそうもいかないらしい。
呪いを受けるか、術者に転嫁するか、その二つの方法しかないというリンさんの言葉を最初は理解できなかった。
ぼーさんたちはみんなわかってて、ナルを見た。ナルは安原さんにどうするかって聞いて、安原さんは呪いを転嫁するように頼んだ。
それはつまり、呪いを行なった術者───生徒たちに、返すということ。

かつて司さんに呪いを跳ね返された女性教員は唐突に意識を失い倒れた。幸い命に別条はなかったけれど、あれはとても軽いものだったから。
今、緑陵高校で起こっているものとは程度が違う。

ナルは校長へ説明をしてくるといって出て行き、残されたリンさんにあたしは詰め寄った。
「どうしても生徒に返すしかないの!?」
「ありません」
「だ、だれにも返さないで、除霊できないの……?」
リンさんはゆっくり首を振った。
知ってるよ、あたしだって無駄なことを言ってるって。何日も学校を歩き回って、綾子やぼーさんたちがなんども除霊を試みてきたこと知ってるもん。

学校は急遽閉鎖され、生徒たちは帰された。安原さんも学校にいてはいけないと言われたので帰宅して、あたしたちだけが残る。ナルは取りつく島もなく、リンさんとともに準備があるといって車でどこか行ってしまった。
「司、あんたたちも帰っていいわよ」
「え」
綾子は司さんと律さんに気を使った視線をやる。
もうこれから先、どうにもならないという意味だ。
「いえ、明日までいさせてください」
司さんの答えを聞いた律さんは、何も言わなかった。

夜になってもナルは帰ってこない。明日になったら呪詛返しが行われて、夢で見た黒い大きな蟲が安原さんたちへ襲いかかると思うとじっとしてられなかった。
みんなが寝静まったころ、こっそりと宿直室を出て校舎の中へ入る。
一番近くにあって、大きな鬼火があったのは印刷室。あたしはたかだか退魔法くらいしか知らないけど、それでも何かしたかった。
からりと戸を開けて、中を覗き込む。次第に暗闇の中の機微が見えるようになった。
棚や機械のぼんやりとした影の隙間から、闇よりも濃い泥が浮き上がる。足を踏み入れたらパシャりと水の音がした。
怖くて声がでない。ぼーさんから聞いた退魔法を震える声で三回唱えた。綾子から聞いた九字を切っても、荒々しく蠢く暗闇はあたしに向かってきて、それで。
「っきゃあ、っ!?」
後ろからぐっと体を掴まれて、廊下に引っ張られる。
手や体の大きさからして男の人だと思う。
背中に硬い胸があたって、抱え込まれているんだとわかった。
そして目の前にも人の背中。ふわりと髪の毛が浮いたと思ったら、重苦しい空気ではない、胸をすうっと持ち上げるような冷たさが通った。
「なにやってんの……!?危ないだろ!?」
いつのまにか印刷室の戸はぴたりと閉められていた。廊下には血みたいな黒い水がばしゃりと弾けていて、あたしや、あたしを抱えて座り込んだ律さんを汚していた。
あたしを見下ろす必死の形相に、ひくっと震える。この人が怖かったんじゃない。安心したの。
「こわかったね」
かたわらから、汚れひとつない白い手が伸びてきて、するりと撫でた。
「玉霰、ありがとう」
「うん」
律さんの他に一人いて、それはさっきあたしの前に立ちはだかって戸を閉めてくれた人だとわかる。
汚れているあたしたちとは違って綺麗なまま。一番前にいたのに、ふしぎ。
しゃがみこんでたその人は、あたしの様子を見て立てないと理解して手を差し出した。
「へ、え、ひゃあ!?」
脇の下に手を入れられた瞬間になんとか足を立てようとしたけど、そうするよりも前にふわりと体が持ち上がって、その人の肩の上に体があった。
思わずしがみつくと、太ももの下に腕があって、まるで子供みたいに抱き上げられている。一瞬しか並んで立てなかったけど、多分あたしよりも背は低い気がする。
「その抱き方……」
「ん?だめ?」
「いや、……僕が負ぶろうか?」
「いいよ」
あたしを無視して二人は話を進めていく。
本当はおりたいけど、実は手足が震えていて立って歩く自信がなかった。
「ご、ごめんなさい……めいわくかけて」
「大丈夫。でも、服どうしようか」
「あ……ごめんなさい」
校舎から出て宿直室へ向かう道すがら泣きそうになりながら何度も謝った。
あたしバカだ、何にもできないじゃん。
綾子たちはあたしがいないことに気づいていたのか、すでに宿直室の外に出てきていた。あたしたちの姿を見るなり大きな声をあげる。
「あ!いた、麻衣!!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「なによその格好!?」
思わず抱き上げてくれてる人にしがみついてしまい、あわてて離れるとその人は地面におろしてくれた。いちおう、なんとか立ってはいられるくらいに回復した。
綾子は駆け寄ってくるなり血まみれのあたしを抱きしめた。馬鹿っていいながらも、大事に大事に抱きしめてくれる。ぼろぼろ涙ができて、とうとう泣きついてしまった。

真砂子も司さんも心配してくれたみたいで、あたしを囲って声をかけてくれた。ぼーさんたちも騒ぎを聞きつけ起きてきて、ことのあらましを律さんから聞いた途端ぼーさんがあたしを怒鳴りつけた。
「この兄ちゃんたちがいなかったら、お前いまごろどうなっていたと───はれ?」
ぼーさんは律さんともう一人の少年を指差して、きょとりと言葉を止める。
そういえば、この人だあれ?
汚れたあたしを抱いてここまできたのに、まっさら綺麗な格好のままの、この人は。
律さんの隣でにこにこ笑っていたけれど、あたしたち注目するとゆっくり自分をさして首を傾げる。そうだよ、今までいなかったじゃない、こんな人。
「玉霰といいます、よろしく」
「あんた……人間か?」
「いいえ」
ぼーさんが真っ先に、彼の異質さに気がついた。
目の前に存在しているのにどこか違う。触れられるし、透けているわけではなく、見た目も人と変わりない様子だけれど。
「そういえば、前に司のこと迎えにこなかった?」
「あ、そうです。前の調査の時は叔父に相談して、一緒に来てもらってたんです」
「本来は叔父の護法神なんです、玉霰は」
綾子が思い出したように口にすると、あたしも脳裏にその様子が浮かんだ。司さんと初めて出会った調査で、最後の日に彼女を迎えにきたのが彼だった。
「あれ?」
でも待って、それよりももっと前にあったことがある気がした。
なぜか、玉霰という名前に聞き覚えがあった。
「飯嶋……───あ!三ツ葉ハウジングの飯嶋さん!!」
「へ?」
叔父の護法神と律さんは言った。律さんと司さんはいとこ同士で、その叔父くらいの年齢で同じ苗字の飯嶋さんという男性をあたしたちは知ってる。
森下家で調査をしていたときに、礼美ちゃんにもたせた護法神は、アンティークドールに憑依したミニーという名前の式神だった。その本当の名前はおそらく、玉霰というのだろう。飯嶋さんが一度口にしていたのを思い出す。
「叔父の勤め先でしたが、知ってるんですか?」
「前に開さんが調べてたお宅でね。会ったことがあるんだ」
「へえ」
律さんが首を傾げると、玉霰さんは小さく笑って答えた。
「───男の子だったんだあ」
アンティークドールの中に入っていたことやミニーという名前をつけられていたせいで、ちょっと想像とかけ離れてる。それに、モニタ越しに見た髪の長い和服姿の少女みたいな後ろ姿が印象に残っていたから。
「男の子でした」
玉霰さんは柔らかく目を細めて笑いながら、驚いてるあたしを見つめ返した。


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やっと親戚に行き着いたしお姿拝見……。
律みた時点で開さんに似てる印象はあったと思うんですけど。
May 2018

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