春にふれて 01
詳しく話を聞いたわけじゃないけど。母さんが自分の母親と折り合いが悪くて家出同然で父さんと結婚した事は知っている。両親は車の事故で二人揃って亡くなってしまったので、今や理由を知る術はない。父さんは天涯孤独で、残された俺を引き取ったのは縁を切ったはずの母さんの実家の人。つまるところ俺の祖母にあたる人だった。
彼女は見るからに厳しそうな顔をしていた。口を真一文字に結び、きっと睨むように俺を見下ろし、低い声ではきはきと言葉を口にする。
「あなたがですか」
「……はい」
和服をきちんと着こなした、姿勢の良い人は、俺があっけにとられているのを無言で見つめて返事を促す。
なんとか頷くと年齢を聞かれ、この間5歳になったと答えるとよろしいと頷いた。
うーん、母さんは結構大ざっぱな人だったし、父さんは気弱な感じだったので、こういうタイプの身内は予想してなかった。でもそうか、こういう人だから母さんとはあわなかったのかな。
「今日からあなたは私が住み込み働かせていただいているお屋敷に、一緒に住まわせていただくことになりました。失礼のないように気をつけなさい」
そう言いながら彼女は風呂敷を広げた。中には着物が入っている。俺はパーカーとジーンズだから、それではいけないってことなんだと思う。
「服を脱いでこの足袋を履いて、ここにお立ちなさい」
言われるがままに立ち上がる。
てきぱきと着物を着せられて行くあいだ、俺はこれからのことを説明された。
「春野サクラともうします、よろしくお願いいたします」
俺は旦那様と奥様に深々と頭を下げる。いかにも厳格そうな旦那様は小さく頷き、優しそうな奥様は朗らかに微笑んでいた。
俺が着付けられた着物は、あきらかに女児用だった。与えられた名もそうだ。
もちろん正式に改名したわけではなく、お屋敷ではその名を使うようにと言われた。旦那様は俺の本当の名前も性別も知っているらしいけど。
まだ5歳である俺は何もお手伝いが出来ないので、見習いというかたちになる。
ご夫婦には生後半年程のご長男がいらっしゃるので、その方がもう少し大きくなった頃にはお手伝いをすることもあるでしょう、と言われた。奥様はそのことを楽しみにしてくださった。
サクラという名前も、女の格好をすることも、そのご長男の為といっても過言ではない。
うんと歳が離れているならともかく、俺くらいの歳の差ではどうしても秀でた所が見えるかもしれないということだ。劣等感も尊敬も抱かせてはならない。その点女であれば前提が違う。俺の方も今から女として育てれば、わきまえと言うものもわかるだろう。というばーさまの時代錯誤な説得を旦那様がきいてくださったわけだ。
ちょっぴり、母さんがばーさまと縁を切った理由がわかりそうになったが、まあ良いだろう。今後の生活の為には、女装だろうが使用人だろうがなんだってやってやろうじゃないか。
使用人達は基本的にスーツとメイド服だった。……まさか俺もメイド服を?と思ったがもちろん本当の使用人じゃないしサイズもない。5歳でよかったあ。
そもそもばーさまも和服で過ごしている。どうやらこの人は家の管理や使用人達のまとめ役を担っているらしい。手は出すけどそれ以上に口を出し、使用人に仕事を振る方だった。
というわけで、ばーさまは俺を使用人としての教育をはじめた。
この家に使用人は十人程いて、そのうち住み込みで働いていたのはばーさまの他に三人。お屋敷ではなく離れを居住スペースとしていたので俺も住み、そこで家事を仕込まれることになった。
やれ朝は何時に起きて身支度を整えたら裏門前の掃除をするだの、朝食を終えたら車の窓を拭いてくるだの、廊下を掃除するだの。やることいっぱいだ。
一年でお庭の植物の手入れ、掃除洗濯の基礎をどっちゃり詰め込まれた。身の回りの基礎の後は礼儀作法。お茶くらい淹れられるようになりなさいというのでばーさまに教わったし、お習字とお裁縫も必修。お料理は小学校に入ってから考えます、だってさ。
もうすぐ小学校かあ、と思いながらお庭の雑草を抜いていた俺は、サクラさんサクラさん、と涼やかな声に呼ばれて顔を上げた。
日傘を持って俺を手招きしていた奥様にかけよる。
「どうなさいました?」
「見かけたから呼んでしまったの、お仕事の邪魔をしてごめんなさいね」
「いいえ」
あ、俺身体に雑草ついてないだろうか。足元を見下ろしてぱぱっと手で叩こうとしたそのとき、奥様の足元にいる小さい男の子を目に入れた。わあ、気づかなかった。
「だぇ?」
長いスカートに隠れるようにして、ひっそりと俺を見上げているのは何度かお見かけしたことのある、ご長男の征十郎坊っちゃま。
俺は膝をついてからぺたっと地べたに座る。
「サクラともうします、坊っちゃま」
「サクラさんは征十郎とお話しするのは初めてだったかしら」
「ええ、あまりお家の方へは行きませんから」
名乗ってにこっと笑いかけると、奥様のスカートをきゅうっと握って顔を隠してしまった。
「もうすぐ小学校へはいるのよね、楽しみだわ」
「ええ」
俺の年齢おぼえてたんだあ、と思いながら小さく笑う。奥様はそのことを察した訳じゃないだろうが、たまさんが言っていたと付け加える。たまさんとは玉枝、俺のばーさまのことだ。
「ばーさまが話すんですか?」
「もちろん自分から話す事はないけれど、聞いたら楽しそうに答えてくれるのよ」
奥様が俺の事を聞こうとするのもちょっと驚くけど、ばーさまが俺の話をよそでするのは予想外だった。あの人は人を嫌いになるっていうよりもただ厳しいだけだから、俺の事を嫌いとは思ってないが、俺にはあんまり関心がないと思ってた。使えるか使えないか以外には。
「楽しそう、ですか」
「ええ。覚えが良いと褒めていましたよ」
「全然想像がつきませんねえ」
ははっと笑うと、奥様は少し困った顔をした。まあ、ばーさまって表情あんまりかわんないしな。
奥様がいうならそうなのかなあ、なんて思う事にしよう。
そういえばばーさま、小学校も女の子として通わせるんだろうか。
疑問の答えはすぐにやってきて、奥様と旦那様のご好意だといって赤いランドセルを頂いた時にわかった。ありがとうございます……。
ねえ、旦那様はどういう顔でこれを選んだの?いやちがうか、お財布が旦那様でチョイスは奥様か。仕方ねえ。
next.
ばーさまのイントネーションは、ばーさまじゃなくてばーさまで……(伝わらない)
ええと、上昇調といえばいいのかな。ばー↑さま。
おばあちゃんというよりは、ニックネームみたいな、呼び名っぽいイメージです。
Mar 2017