Sakura-zensen


春にふれて 04

物心ついた頃にはすでに周囲の環境は確立されていた。たとえば名家であること、大きな土地と家を持っていること、使用人がいること、多くの習い事、自分の担うべき未来など。
不満があったわけではない。
父は厳しく上昇志向であったが、その性格が嫌いではなかった。母は優しく綺麗なひとで、話しているとほっとした。使用人達も目立った粗相のない優秀な人材で、何不自由なく暮らしを守ってくれた。
幼心に違和感を感じたのは、オレと同じ子どもなのに家の手伝いをしていたサクラという少女だけ。初めて会ったのはまだ2歳のころで、年上の彼女を当たり前の様に姉さんと呼ぼうとした。けれど使用人で一番偉いらしいたまさんが否定する。
あとで聞いた話だけれど彼女はたまさんの孫だったのだ。つまり家のものではないし、ましてや本当の姉ではない。母としては子どもなのだし、おそらくオレと親しくしてほしいと願ってそう勧めたようだけど、俺が彼女を姉さんと呼ぶ事はゆるされなかった。
「姉や」という呼び名について知る事になったのは小学校に入る少しだけ前のこと。
姉と同じ意味だと薄く思っていたが、姉やは使用人に対する呼び名となんらかわらなかった。
オレの中で彼女はすっかり姉やだったし、彼女自身も姉やと受け入れて自称していたので、呼び名を変える事はなかったけれど。

小学校は5つ年上の姉やと一年間だけかぶった。家ではいつもたまさんのように和服と前掛けをした格好なので私服姿は初めて見た。 それに、父が送りの車に乗る事を許可したので彼女が母と同じように隣の座席にいるのも初めてだった。
新入生歓迎会で入場の際にエスコートをしてくれた姉やは、俺の手を握る。そういえば、母以外の人と手を繋いだ事はほとんどなかった。
「いやでしたか?」
「いやじゃないよ」
照れと困惑で、オレは反応が鈍かったらしい。
困った声ではなく笑みを含んだ調子の姉やに問われて、思わず握る手に力をこめた。
造花のアーチも体育館も、本物のセレモニー会場に比べたら微妙な作りで、華やかさにはかけたけれど、オレの手を握る人の桜色の髪の毛はオレを祝う花のようだった。
思えば、今まで彼女を見上げる事も少なかった。一緒に座る事が多かった所為もあるが、彼女はぺたりと床に座ってオレを見上げていたっけ。

学校ではオレもねえやも、赤司の家の長男だとか使用人だとかいうことは関係がなかった。同級生たちはけして坊っちゃまとは呼ばなかったし、その軽々しい距離感も楽だった。
上級生のねえやも、見かけると楽しそうにしていた。女の子の中に居ると背が高い彼女はよく目立つ。しゃんと背筋を伸ばしていて一番きれいだった。

学校生活にもすっかり慣れたころ、滅多に行ったことのない上級生のフロアに初めて行ってみた。ねえやのクラスは廊下の真ん中くらいにあったので、昼休みの廊下を歩くのは少し緊張した。
そんな緊張をよそに、拍子抜けするくらい順調に辿り着いた。教室の中をのぞいても、姉やの姿はみあたらない。
「1年生?どうしたの」
ドアの近くに居た上級生が声をかけてきた。
「ね、あの、サクラさんはいますか」
「ああ春野?まってね」
上級生はきょとんとしてから、教室の方をむく。大きな声で春野と呼びかけると、いくつかあった人の塊の中から、姉やの姿はひょこりとでてきた。
彼女の周りに居た男女は、一瞬だけ不満の色を浮かべてこっちを見たが、下級生だと知って仕方無さそうに散らばって行った。
「ねえや」
ぱたぱた駆け寄ってくる姉やに小さな声で呼びかける。
不安そうな声を出してしまった。きっと聞こえただろう。彼女は本当に、とても耳が良いから。
「会いに来てくださったんですね」
「うん」
廊下に出て歩き出す姉やをそっとみる。楽しそうな横顔をしていたけれど、本当にそれで良かったのだろうか。
「友達が沢山居たのに、いいの?」
「いいんですよ、毎日クラスで顔を合わせてんですから」
同じ敷地内に住んでいるオレ以上に会っているのは、まあ仕方ないかと納得した。

「学校で不便はありませんか?」
「ないよ。しいていうなら、姉やの教室が遠いくらいかな……学年もちがうし」
「うーん、法がゆるせば留年するんですけど」
「冗談だよ」
「冗談ですか」
姉やはけろっとした様子でオレを見た。冗談に済ませたが、もっと一緒に学校に通えたら良かったのにという思いは本当だ。
学校はとても良い息抜きだと思った。習い事が立て込まないし、授業のレベルはどちらかというと低い。油断はゆるされないが準備をする期間は十分に与えられる。普通に、まじめにこなしさえすればなにも怖い事などない。

ブランコ乗りました?という姉やの誘いにより二人でブランコに乗ってみることにした。
二人乗りは禁止だと入学当初に先生から言われていたのだが、上級生の姉やは素知らぬ顔でオレと向かい合わせに乗って、ぐんぐん漕いだ。怖かったら言ってくださいね、と言うけれど、そうは思わない。楽しくて笑い声が零れた。姉やもオレを見て大口をあけて笑っていた。
たまさんが見てたら、きっと怒られるけれど、今は誰も諌める人など居やしない。

それからも時々昼休みに姉やを訪ねることにした。オレには1年しかないのだし、同級生達には悪いが人気者を一人占めする時間を貰おうと思う。
たまに上級生も含めて一緒に遊ぶこともあったが、姉やはおおむねオレと二人で過ごす。
一緒にアスレチックを登ったら、すいすい登って行くことに驚いた。
音楽室を貸してくれるというのでピアノを弾いて聴かせた事もあった。姉やはヴァイオリンがしまってある戸棚の開け方まで知っていて、オレに教えてとせがむから教えたりもした。一回きりじゃ弾けるようにはならなかったが。
周囲に好かれる人柄も、先生に信頼される成績も、遊びや運動会などで見せた身体能力の高さも、すべて家では気づかなかった事。掃除と洗濯が上手で、たまに料理の手伝いもしているからそこそこ出来る、普通の優しい人というだけではなかった。
またこんなふうに音楽室で教える機会があれば、きっと上達するだろうに。
けれど、姉やにヴァイオリンを教えてやれる時間はない。
一年は、本当に短かった。

新入生の歓迎会と同じように、卒業生の送別会が開かれた。約一年前と同じように姉やと手を繋いで花のアーチをくぐる。
遊ぶようになって、なんども彼女はオレに手を差し伸べた。なんどもそれを掴んだ。もう慣れっこだと言うのに、酷く緊張した。
手を繋ぐのは今日で最後かもしれない。
そう思ったら、別れ道で手を解くのにためらってしまった。



next.

私の卒業した小学校は「一年生をむかえる会」と「六年生をおくる会」がありまして、一年生と六年生がペアで入場しました。一年生を迎える会は、負んぶだったような……負んぶじゃなかったような……忘れました。
なつかしの縦割り班活動みたいなの……やってましたよね、たぶん。
Mar 2017

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