春にふれて 06
ばーさまは母さんを生んだ二年後に旦那さんを病気で亡くした。女手一つで育てる為に仕事を探し、家事が得意だったことから家政婦を始めたそうだ。家事しか取り柄がなかった、とかなんとか。当時は別のお家に通いで勤めていた。そのお家が家政婦を雇うのをやめることにしたとき、ばーさまは赤司の家を紹介されたらしい。それが32歳の時なので、赤司家での勤続年数すごいなーと思う。
ちなみにばーさまは京都に住んでいて、その時勤めていたのも赤司家の別邸だそうだ。十年程つとめたころ、つまり母さんが16歳くらい、大喧嘩をして母さんが家出。
一年程連絡がなかったけど、一度だけ母さんから電話がきたそうだ。喧嘩はしても心配はしてるだろうからと、自身が東京に住んでいる事と、元気である事は告げた。でもやっぱり帰って来なさいと帰らないの喧嘩が勃発して電話はブツっと切れたそうな……。
その後ばーさまは、東京にある今の赤司家に異動した。
母さんの居場所は数年かけて見つけたけど、訪ねる事はしなかった。
ばーさま、素直じゃないから。
自分から連絡をとれなかったんだろうな。
いつか自分に連絡してくるのを待っていたんだと思う。
それで連絡が来たら、東京に居ると言って、すぐにでも会いに来てくれるのも待ってた。いつまで経ってもなかったけど。
結婚して俺が生まれた、と人づてに聞いたときは、一度病院に見に来たらしい。母さんにバレないようにこっそりと。
そのとき父さんと会って、少し話をしたそうだ。といっても、父さんもばーさまを知らなかったようで、当たり障りない話しかしなかったようだけど。
まったく、気弱そうではっきりしない男だった、でもまあ優しい目をしていたかも……、だそうだ。
ちなみに俺は赤ちゃんの頃からばーさまの旦那さん、おじいちゃんに似ていたらしい。そこは父さんじゃないの。でもまあ俺、父さんの事よく覚えてないんだよなあ。あまり喋んない人だったから。
結局そのときも素直じゃないばーさまは口を噤み、一人で病院から帰って来た。それからまた、ずっとずっと、母さんから連絡が来るのを待ってたんだって。俺が生まれたことくらい連絡を入れてくるかなって。家の電話番号は繋がるようにしてたから、それでばーさまが引っ越してしまったことも、新しい電話番号も教えられるように準備をしてたのに。結局母さんが連絡をいれたことはなかった。
でもずっと、母さんは緊急連絡先として、ばーさまの電話番号は控えてた。自分に何かあったらばーさまに連絡がいくように。
それからは俺の知っての通り、母さんと父さんが事故で亡くなって、ばーさまに連絡がいったのだ。
「そりゃあ、やりきれないねえ」
話を聞いていた俺が発した第一声は、これだった。
「……おまえはほんとう、おじいさんに似ていますね」
「あ、そう」
何かつぼに入ったのか、ばーさまはちょっと笑った。
俺はばーさまにも母さんにも父さんにも似てないと思う。でも会った事のない人に気性まで似る?俺は違う記憶があるからただの偶然じゃないの?など色々あるけどばーさまが嬉しそうなので良いや。
「そういえば、どうしてこんな話したの?」
黙って聞いてた俺は、ずっとこれが疑問だった。たとえば俺が、母さんが出てった歳になったならしみじみ話す理由もわかるんだが、生憎中学二年生、まだ13歳である。牽制か、牽制なのか。
「京都にある家がね」
「ん?うん」
ああ、ばーさま元々京都だっていってたね今。俺一回も行った事無いや。
「ずっと人に貸していましたけれど、家が空くことになります」
「へえ」
「おまえが高校生になる頃にとは思っていたけど、少し早まりました」
「そっかあ、うん、わかった」
あ、男にもどるんだ。
そう思うと同時に、坊っちゃまやこのお屋敷の人達とのお別れを理解した。
ばーさま時々話が急というか、有無を言わせない時がある。
高校生になる頃には京都のお家に戻ろうって考えてたなら、あらかじめ教えておいて欲しかったデス。
まあまだ志望校考えてなかったけどさ。
つか、そもそも実家が京都だなんて知らなかった。
ばーさまの過去よりまず俺の未来、もうちょっと早く話してくれてもよかったんじゃない?
そう思わないでもないが、俺の未来を話すにあたって、ばーさまの過去もついてくるわけで、話したくなかったのかもしれないし、やっぱり俺がまだ子どもだと思われてたのかもしれない。
そして一週間後には、年内には京都へ引っ越す事が決まっていた。
どうせ転校するんなら早めにということらしい。たしかに受験とかあるから、慣れておくには越した事がないかなあ。
旦那様や奥様には、ばーさまと二人して今までよくやってくれた、と労いをうけた。
「征十郎が寂しがりそうね」
「よく懐いていたからな……」
旦那様にまでそう言われるとは思わず、えっと固まりそうになった。ばーさまは、うちのが馴れ馴れしくてすみませんと謝っている。なんかごめんなさいね。
まあ、お手伝いさんがやめたり、同級生が転校するなんてことはあるんだから、坊っちゃまも最初は驚くかもしれないけどそんなに困る事はないだろう。……俺は寂しいけどな。
「坊っちゃまには、自分で伝えてもよろしいですか?」
「ええ、そうしてちょうだい」
奥様は寂しげに微笑んで、旦那様は小さく頷いた。
坊っちゃまは気にしないかもしれないけど、人づてに伝えられるのは寂しいなって思った。だから皆には言わないでおいてもらって、自分で伝えたかった。
ただ坊っちゃまは常にお忙しいから、ゆっくり会う時間はあまりない。
参ったなあ、言うのが遅くなるのは、それはそれで失礼だ。
───このまま言う機会がなかったら、奥様の口から伝えてもらうしかないかな。
なんて思っていたら、放課後学校の前に車が停めてあるのを見つけて、慌てて玄関へ向かう。門の所に見えた、ちょっぴり長めの黒いお車は多分赤司のものだ。
あわあわしながら靴を履き替えると、昇降口の所で傘を持った坊っちゃまが佇んでいた。
「え、坊っちゃん!?え、なんで?」
「おかえりなさい、ねえや」
「あは……ぜいたくな、お迎え……」
にへえっと笑ってしまうのは抑えられないけど、なんとか笑い声は堪えた。
奥様のはからいかなあ、なんというサプライズだ。
「帰りの車で、ねえやが傘を持って行ってないって聞いてね」
なんと、岡崎さんの仕業だったとな。
「オレも一本しか持ってないけど、車までなら足りるかな」
本当は折りたたみ傘を持って出たんだけどなあ、岡崎さんに朝言われたから。
でも俺は鞄の中に入ってるそれは内緒に、坊っちゃまの隣に立つ。
傘を開こうとしている手をそっと遮って、ゆっくりと傘を奪う。
「ねえやが持ちましょう」
「……」
そうむっすりしないで。
ここは公立中学だし、俺と坊っちゃまは傍から見れば普通の男女なので、女の子に傘を持たせる光景が出来上がるのが嫌なんだと思う。
でも坊っちゃまのがまだ身長低いし。かといってそれを指摘するのもなあ。
俺は居候の身ですから、というのもここでは罷り通らない。車には岡崎さんしかいないから、坊っちゃまに傘を持たせても俺は叱られないのだ。
「───まあいいか、今のうちだけだ」
坊っちゃまは俺の葛藤をよそに諦めてふうと息を吐いた。やっぱり身長が一番気になってたのか。そう思いながら、ぱっと傘を開く。
いずれ身長を超すし、傘を持ってもらうのは今日だけ、と言いたげな言葉に俺は唇をきゅっと結んだ。坊っちゃまもいってる途中で気づいたかもしれない、とても頭の良い人だから。俺がずっと赤司の家に居る訳ではない事はわかってるだろう。
そしてその時がもう、すぐそこまできている。
さすがにそれは知らないことだから、俺が今、言うしかない。
傘を持ち上げて、外に少し出すとパラパラと雨粒が当たる音がする。
next.
めずらしくちゃんと家族を書いてる気がします。
April 2017