春にふれて 09
京都のおうちに来て、一年が経った。あっというまだった。髪を切って詰襟を身に纏えばもう俺は男の子にしかみえなかったし、おばあちゃんも安心したようだった。ようやくこれで、俺達は普通になれた気がする。
小さな男の子を坊っちゃまと呼ぶ事もなく、彼の為に女の格好も家のお手伝いもしない。旦那様や奥様という存在もなく、平屋の日本家屋には、祖母と孫のふたりだけ。
朝ご飯はおばあちゃんが作ってくれる。俺も時々手伝うことはあるけど、おばあちゃんは手際がいいし、俺が学校へ行く準備をしている間にちゃちゃっとつくりあげてしまう。
天気予報やニュースを見ながら二人でのんびり食べて、おばあちゃんが洗濯物を干している間に登校する、平凡な日常がそこにはあった。
二年生の三学期からの編入だったので、入ろうと思えば入れたけど部活は入らなかった。
おばあちゃんは好きな事ならやれば良いと言ったけど、別にどうしても入りたいというわけではなかった。三年生になればすぐに引退だし、それなら今まで通り体力作りをしているだけで充分だろうと思って。
高校生になってからは、柔道部に誘われたので入った。ルールはすぐに覚えたし、もともと対人戦が好きだったのでそれなりに楽しかった。
俺はあまりがたいが良くなかったので初見で舐められてたけど、そういうのを蹴散らすのは容易い。 すぐに俺を軽視するものはいなくなった。
大会に出てしまっていいものかと考えたけど、おばあちゃんが試合の応援に来てくれると言うのでちょっぴり頑張ってしまった。エヘ。
夏の大会で優勝して、おばあちゃんがご褒美にと、少し良いところでご飯を食べたのは良い思い出である。
そんなこんなで、楽しい生活を送っていた俺のもとへ、訃報が届いた。
赤司の奥様が亡くなった。
学校から帰って来たらおばあちゃんが電気も付けずに暗い居間に座ってて、俺は暢気な声をあげながら電灯の紐を引っ張った。てんてん、と音がしてあかりがつくなか、おばあちゃんはぴくりともしなくて、様子がおかしいなあと思いながら手の中の手紙を覗き見た。
それが、報せだった。
おばあちゃんはすぐに東京へ行くと言って準備を始めた。俺はついて行けなかった。
そりゃそうか。旦那様以外は俺を女だと思ってたし、合わせる顔がない。それでもせめて影から、奥様をお見送りしたかったし、坊っちゃま……っていったらもう変か……、征十郎さんの様子を見たかった。本当は声もかけたいし、元気づけたいけど、きっと何も言えずに終わるからやっぱり行かなくて正解かもしれない。
だって、俺が行ったらまず、性別を偽っていた言い訳をしなければならないだろう。
もう会えないだろうと覚悟はしてたのに、いざこういう事になると後悔がにじむ。
おばあちゃんは少ししょんぼりした様子で帰って来た。
「どうだった」
「気丈でしたよ、どちらも。わたしはそれがなんだか悲しくて」
「ああなるほど……男は我慢する生き物だからなあ」
「あれでは詩織さんも心配で浮ばれませんよ」
亡くなった事は悲しいが、俺達は奥様よりも残された二人の方がよっぽど気の毒で仕方がなかった。
まあ、奥様のためにも二人に元気でいてほしいんだけど。
あの家は奥様が太陽って感じだったなあ、とかつての赤司家を思う。掃除や洗濯を手伝う使用人は居ても、料理だけは奥様がなさってたし、毎日旦那様と征十郎さんをお見送りしてた。時にはお迎えの車に乗って行ったりして、多分あの方の笑顔を見ることで日々の疲れを癒していただろう。
旦那様は表面的な厳しさが目立つ人で、征十郎さんはあまり逆らうとか、自分の意見を言うとかをしなかった。そんな家族を奥様が取り持ってるところもあった。
居候でお手伝いさんをしていたあのときですら口出しできることはなかったので、遠く離れたこの地で、俺が出来る事はなにもない。
目を瞑って亡くなった女性を想い、すこしだけ悲しみに暮れて、あとはもう普段通りに過ごす。
傍に居ない事に慣れていた所為かな、奥様が亡くなった実感があまりわかなかった。
俺の中では、今も奥様が生きている。
気になるのは征十郎さんのことばかりだ。気にしてもしょうがないし、気丈に振る舞う彼は容易く想像できて、今後も普通に生きて行くのだろうってことは分かっていたんだけど。
お手紙でもかこうかな、いやでも急に変か。俺が何をどうしても仕方がないことはわかってる。
そもそも坊っちゃまのねえやはもう居なくて、俺がいつまでもサクラの存在を偽り続ける訳には行かないだろう。ああなんであの時俺は女装を了承したのか。旦那様とばーさまのばか。俺のばか。
だって、あのときは普通に、あれで良いと思ってたんだもん。
結局、俺は東京に行く決断はしなかった。
高校三年生になり、夏の大会が終われば引退して、受験に備えないとならない。もう既に学校は息抜きではないので毎日を過ごす事で精一杯だ。おばあちゃんは近頃腰の調子がよくないそうだから買い物もなるべく一緒に行くようにしてるし、あまり一人にさせたくはない。……まったくもう、いつも一人でやろうとするんだから。
「そういえば、もう中学生でしたね」
「ああ、征十郎さん」
おばあちゃんが買い物帰りにふと、道行く中学生のほうを見ながら口を開く。俺達の間でその年頃の知人と言えば彼しかいなかったのですぐに思い至る。
「帝光中学校だっけ」
バスケットボールは続けてるんだったかな、中学校の部活は大変じゃないかな、色々考えながらおばあちゃんに問いかけた。
俺とは違う中学校に行くっぽいことは聞いてたので、学校の名前を記憶から呼び起こす。高校の部活動しか携わってないけど、帝光中学校って確か、進学校でありながらも運動部が盛んだった気がする。
「もうあのくらいの背丈なのかしら」
「じゃないの?俺も中一くらいのときはあれくらいあったし」
おばあちゃんは中学校の名前に頷きながらも、まだ詰襟姿の子供を眺めていたので俺も同じように見る。
「そう、いまのよりはまだ小さいのね」
「そだね」
まだまだ征十郎さんには追いつかれてないはずだ。
「最後に会ったときはまだ11歳だったもの、わたしよりも少し低いくらいで」
「俺は……もっと小さい姿しか知らないなあ」
「……会いたかったでしょう」
おばあちゃんはようやく前を見て歩いた。少し俯くその横顔に、首を傾げながらも笑いを返す。
「そりゃ、でもまあ、しょうがないさ」
「会いたかったら会いに行きなさい」
「え?」
俺は思わず足を止めた。
買い物袋がかるくぶつかる。
「おまえはもう、ねえやではないのだから」
「、だから」
まごつきながら、歩くおばあちゃんを追いかけた。
「征十郎さんがおまえを慕っていたことに変わりありませんよ」
そうだろうか。
なら俺は、なんのためにあの格好をしていたんだろう。
もちろん、その時は意味を理解していたつもりだ。
そしておばあちゃんが今言ってることもわかる。
だって征十郎さんはたぶん、俺が女だろうが男だろうが揺るがない。
next.
サクラねえやじゃないので、ばーさまからおばあちゃんになるし、坊ちゃんから征十郎さんになる。
May 2017