Sakura-zensen


春にふれて 11

大学から帰ってきたら、おばあちゃんが倒れていた。すぐに救急車を呼んで、応急処置もして、一命は取り留めた。ただ身体に麻痺が出て、脳にも影響が出てしまったので家に一人にするのは心配だから入院させることにした。
最初は意識も記憶も朦朧としていたけど、少ししたら会話ができるようになった。
「また来てくれたのね、信也さん」
「うん」
おばあちゃんは俺の事を忘れてしまったけど、お見舞いにいくたびに笑ってくれるからまあいいやと思う事にした。
信也さんとはおじいちゃんの名前だ。前からおじいちゃんにそっくり、だなんて言われていたけどまさかここでその設定が活きるの……と愕然とした。最初は看護婦さんがお孫さんのくんですよって言ってくれるんだけど、まったくわからんちんな顔をする。
運良く俺が孫のくんということを理解してくれても別の日に顔を出すと、俺は信也さんになってるのだ。
俺との思い出を忘れちゃったのかって思ったけど、忘れた訳ではないらしい。ときたま、俺と一緒に行ったことのある川沿いにあるお団子屋さんにまた行きたいねえとか言ってる。ただそれもやっぱり、信也さんという人になってるので、もう俺の名前が信也さんになっただけなのでは?と納得する事にした。大丈夫、俺は強い子。
「信也さんは今日も学校だったのね」
「そうだよ、玉枝さんは何をしてたの?」
「私は……編み物をしてたのよ、いつもお水を飲む為のコップをここにおいておくでしょう」
「ああ、コースターを作ってんの」
布団の上に出した、レース編みのコースターを見て微笑む。
おばあちゃんと呼んで良いのかわからず、俺は信也さんらしく名前で呼ぶ事にしている。
訂正を諦めたときのように、こうして良いのかは分からないんだけど。
「俺の分は?」
「信也さんには色違いを編もうかしら」
「じゃあ今度毛糸を買ってこようか。……ん、毛糸?これ毛糸かな?」
毛糸にしてはふわふわじゃないんだけど、これも毛糸なの?とまるっこい塊を手に首を傾げるとおばあちゃんはくすくす笑った。そしてちょっと噎せたので背中を撫でた。

数週間後にはコースターが出来てた。
来客用にも使えるからって色を組み合わせたカラフルなものがいくつか。うちに来客はほとんどないんだけど持って帰ることにした。
水色のはあなたの分よといわれたので、おじいちゃんの仏壇の所へ置いた。だいぶ古ぼけた写真が飾られて居て、俺は実際この人と似てるのかは謎である。
その他のコースターはカトラリーが入っている引き出しの中に入れてとっておく。
荷物の中にはコースターだけではなく、貰って来た書類も沢山あった。今日は主治医の先生に話を聞いて来たので色々と疲れた。
もう長くはないそうだ。年齢的にも、一度倒れた事実と原因からしても、そうは思っていたけど。
この間風邪を引いたときに肺炎になったから、そっちも心配だなあ。

コースターを使う機会は意外と早くやってきた。
赤司の旦那様がうちにきたのだ。美味しいお茶菓子を持って来てくださったので、昔教わった通りに丁寧にお茶を入れて出す。
「これおばあちゃんが編んだんです」
湯のみだったけど、折角だからコースターを使った。一応元上司というか大変お世話になった人だけど、あまりにもかしこまる必要もないかなーと。
「そうか。たまさんは器用だったな」
湯のみを持った旦那様はコースターを見てからお茶に目を落としゆっくり口をつける。
おばあちゃんの容態を聞かれたのであまり良くない事を素直に告げた。この日は、急にお見舞いに行ってしまったら身体に障るかもしれないという配慮あっての、俺んちへの訪問だった。
「旦那様と征十郎さんはおかわりなく?」
「……ああ。そういえば何年か前、詩織の墓参りに来てくれたね」
「え?ああ、はい。ご挨拶もできずにすみません」
「謝る事はない」
葬儀にも行けなかった事も謝りたかったけど、くどいから言わなかった。

まだ高校生だった頃、俺は一度だけ征十郎さんの姿を見ようと東京へ行ったことがあった。その時、一度も奥様に手を合わせてないのが気がかりでもあったので、お墓参りをさせてもらったのだ。旦那様と実際に喋ることがなかったけど、ちゃんと許可は取ってる。
「征十郎にも会ったとか」
「……ハイ」
なんか俺は会うのを禁止された悪いお友達のような気分になって頷いた。いや、旦那様はそんなことで俺を咎めないと思うんだけど。
「あ、あの、サクラで会いましたので……大丈夫かと」
「そうか」
ちょっぴり遠い目をした旦那様に首を傾げる。
俺はあの時チキって男で行くのを辞めたのだ。旦那様もおばあちゃんも今となっては男で会っても良いという風態でいるけどねえ、こちとらずっと姉やでいたわけでねえ、なんと説明したら良いかわからないんだぞ。
というか説明するほどのこともないっつーか、時間をとらせるのも変っつーか。
征十郎さん、どうか俺を忘れて健やかに……いや忘れられたくないけど。

問題を先延ばしにして、よそ事を考えていた俺の耳に信じられない言葉が入る。
「え、征十郎さん京都の高校に進学なんですか」
「ああ、洛山高校の推薦を受けた。春からは別邸に移り住んで通うことになっている」
「へえ……」
洛山高校ってどこらへんだっけと、頭で考えながら笑顔のまま固まった。
わりかし近いぞどうしてくれんだ。ああでも征十郎さんがいつでも見られると言う事では?休みの日には部活中の征十郎さんをこっそり……いける。あのときはちょっぴり会えたらなーとサクラをしたけどもう今となってはさすがにサクラできないから、うん、忍者になろう。
「いける!あ、なんでもないデス」
ぐっと拳を握った俺を、旦那様が訝しげに見た。春からご子息をこっそり見守りますとは言えない。

旦那様は俺が赤司家を出る時に性別を明かしていくと思っていたそうだ。
確かにあのとき明かしていれば、奥様に結局自分の性別も名前も知らせてないなっていう後悔はないし、今もこうしてびくびくどきどきする事はないんだけど。
おばあちゃんといい旦那様といい、言葉足りなくない?だから厳しいとか堅いとかいわれんだよ。
もうちょっと事情の分からない子供にちゃんと指示をしてくれてもいいのでは?
「もしこちらでも会う事が会ったらよろしく頼む。それと、たまさんのことで困ったら連絡を入れなさい」
最終的に旦那様はおばあちゃんと征十郎さんと、ちょびっと俺を心配して来てくれたようなのでとりあえず許すことにしてお見送りした。
くそ、最後の絶妙なデレがなければ。……どうもしないけどさ。

そんなこんなで春を迎えて坊っちゃんにご対面……するよりも前、梅の花が咲く頃、おばあちゃんが息を引き取った。
ほとんど業者に委託はしたけど喪主としてやる事もあって、葬儀に参列してくれた征十郎さんとはろくに話せないままだ。事務的な挨拶しかしていない。
サクラの姿がないことを不思議に思ったかな。
俺の姿を見て、ただの親族の男と思ったかな。

征十郎さんの正面から、近くから、お顔を拝見する事は、まだ叶っていない。



next.

議題。なぜここで家族の物語を入れるのか。
May 2017

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