Sakura-zensen


春にふれて 14

みどりの季節はあっという間にやってきた。
───会いに行くと言ったのに、桜を見に行こうと言ったのに、また約束をまもらなかった。
そう思いながら、日差しを浴びて目を瞑る。傘の下で細められた瞳はもう少し、青々としていたかな。
ゴールデンウィークの空いた時間を思い出して連絡をとったら、素直に喜び予定をあけると返事が来た。
笑う顔文字を見て、彼はただ喜んでいるだけなのだろうと理解する。誘わなかったことなんてきっと気にしていない。
もう少し、約束を破ったことを責めても良いのにとは思ったが、彼の物分かりの良さは美点として受け止めよう。本来人のわがままに付き合うのは面倒だと思うのに、彼に限ってそういうのを求めるのはおかしい。

部活の様子が見たい、というのはわがままのうちに入れたつもりはないけど、彼は丁寧に監督にお礼をいって二階に行った。下では気が散るだろうということだ。
部員の誰もが気づかず、いつも通りの練習時間を過ごした。彼が下に降りてきたのは練習を終えて礼をした後。監督が帰る前に挨拶をしようと思って姿を現したらしい。
部員の目線がいくつかこちらに集まった。

家につけば食事が用意されていて、穏やかに終えた。別邸にはきたことがないさんを案内しようとまずは中庭に連れ出す。
天気が良く日差しもあるが、木陰が十分にあり心地よい空間だと思う。
「実渕くんとか葉山くん、二年生なんですね」
「ああ」
池のほとりで水面を眺めていた彼はふいに口を開いた。
「他には仲の良い人はいないんですか」
「特にいないな。そもそも、あれも別に」
「ふうん」
やっぱり、というささやかな声が聞こえた。
それから風がざわめき木々を揺らす。
「もっと友達がいて欲しかったのかい」
「いいえ」
からかうように問うと、眉をひそめて首をふった。
「下の名前で呼んでいるのは最初、親しみからかなって思ったけど、……やっぱり違うんだな」
橋を渡るために足を踏み出した、うつむくさんの後ろを歩く。
「むしろ、仲間とも思っていない気がして、寂しいと思って」
「そう」
「無理、しているみたい」
まるでひとりごとみたいだった。
振り向いたさんは、緑の中にある唯一の桜色を風になびかせた。つらくはないですか、と身を案じられたけれど首を振る。
五月の風は心地よく、風に煽られても散らないそれはとてもきれいだ。
さん」
「なーに」
柔らかく砕けた口調には彼の心がつまっている。そしていつか離れるとき、きっとその言葉の分だけ、彼は命を失うのだろう。
「どこへいくの」
再び歩き出した彼の背中を呼び止めても歩みは止まらない。幼い子供みたいに、───あの日別れを察知して戸惑い見つめたかつての自分みたいに、足を止めたままもう一度言葉をかけた。すると彼はさすがに止まった。
橋を渡りきっていたのにまた戻ってくる。
「もう、どこへも」
「そうだったね」
手を伸ばされたので、何も考えずに握った。
なつかしいなと呟けば、彼はたしかにと言いながらすぐそばではにかんだ。

「───昔と、変わったと思う?」
「ちっとも」
変わったというよりは交代したのだが、さんは首を振って否定した。
「あっ、おっきくなった、かっこよくも!」
「そうじゃない」
ふふっと笑って、握っていた手を離す。思わず口元を押さえてしまったせいだ。
「先輩とかよその人に対してはそうかもしれないけど、そうだなあ、まあ色々試してみるのも価値あることだと思うんだな、俺は」
顎を押さえて上を睨むさんは、笑みを濃くしてこっちを見た。
「でも俺には、変わらないでいて」
「うん」
「あ、呼び捨てにするのは、いいよ」
なぜか内緒話をするように、小さな声といたずらっぽい顔で言った。そんな動作にまた笑いがこぼれながらも、今度は自ら手を伸ばして彼を求める。何も言わずに伸びてきた指先を絡め取って定位置に戻した。
「え、あれ」
子供みたいに繋いでいたのとは違うそれに、さんは一瞬戸惑いを見せた。
征十郎さん、と呼ぶので目だけで返事をすると、ためらいながら言葉を探しているみたいだった。
「照れることないじゃないか」
「いやあ……えへへ、照れますよ?征十郎さんは、とくべつだから」
繋いでいない方の手をあげて、彼の頬を指で撫でる。
軽く髪の毛をどけて、前髪の奥の瞳を見ると、驚いているのがわかった。
期待も拒絶もなく、ただ突然のことに直面した顔だ。すぐにそれもなりをひそめ、くすぐったさを噛みしめるように笑った。
「むぼうびだな」
「ゆだねてるんですよ」
風は確かに二人を包むのに、葉を揺らす音がしない。
それほど彼のひとつひとつの動きに夢中になっていたし、彼の声だけを聞こうとしていた。
いっそのことあなたの心臓の音を聞かせてほしい。そうすれば言葉なんてなくともわかるのに。


IHは優勝に終わった。しのぎを削るほどの相手がいないのだから当たり前の結末だと思う。
おめでとうと、腐る程言われたがめでたいとは思わない。ちかしい人たちほど、優勝をよろこぶ顔は見せなかった。
───唯一、自分の事のように喜ぶのはさんだけだろう。
「なんかたべいっちゃう!?俺ごちそうしますよ!!」
今日は初盆だったので一緒にたまさんの御墓参りをした。彼の家に寄って冷たい麦茶を飲みながら、優勝の話をこぼしたところうきうきした様子で提案され、思わず笑う。
「お言葉に甘えようかな」
「えへへ。俺が優勝した時もねえ、おばあちゃんがちょっといいところ連れってくれたんですよ」
「……優勝?なにに?」
「インターハイ」
おどろき目をみはると、さんは言ってなかったっけと首をかしげた。言ってない、聞いてない、知らない。
確かに昔から運動神経がよかったけれど、東京にいた頃は部活動には入っていなかった。けれど高校ではじめたと聞けば確かにありえない話ではない。
さんが教えてくれた情報に、少し遅れながら納得した。
「まだ、知らないことがたくさんあるのか」
「あはは」
嘆息すると、豪快に笑われる。
今ではさんのことをほとんど知っていると思う。休日は何をしているのかも、アルバイト先も、大学で勉強していることも、将来どういう道に進みたいかも。色々な話をしたし、たくさん質問をした。彼は隠すことなく答えたくれた。
「そんなに知りたがってくれてたとは思わなかったなあ」
「昔はほとんど何も知らなかった」
「ふうん。あまり一緒に過ごさなかったから、仕方ないんじゃないです?」
それに子供だったし、と付け加えられて言葉を飲み込んだ。昔、サクラさんのことをあまりわからないと思っていたのは子供だったからだというのは確かだ。正体がわかって、自分自身も成長して、ようやく輪郭が見えるようになった。
もどかしく寂しい思いはもうしていないはずなのに、貪欲になろうとしている。

さんは深く理由を問わず、ゆっくり昔の話をしてくれた。知りたいと願うと、一生懸命なにか与えようとしてくれるところは見てて気持ちが良い。知ってほしいと、彼自身も思ってくれているのではないかと思う。
話してくれたのは、たまさんの人生だった。彼と関係がある話なので耳を傾け、ときおり彼の視線がいく仏壇のほうを一緒に眺めた。
たまさんは娘───さんの母親を産んですぐに夫を亡くした。それから家政婦の仕事をしていた縁で赤司の家につとめるようになった。その話は母から聞いたかもしれないが、記憶は曖昧だ。
彼は淡々と母と祖母のすれ違いを語る。その目はどこか遠くて、悲しそうで、それでも優しいものだった。
しょうがないなあ、と肩をすくめる時の顔に似ている。
「寂しいと思った?」
「ううん、俺はおばあちゃんがいたし、両親がいなくてもあんまり。まあ、亡くなった時に悲しさはあったけど」
孤独を感じたわけではない、と。
掠れた声が耳になじむ。
「でもおばあちゃんは、ずっと寂しかったんじゃないかなって」
「ずっと?」
「お母さんと仲直りもできず、おじいちゃんとも早くに死別してて……」
さんがいたじゃないか。どうしてそう思うんだい」
汗をかいたコップから、氷が溶ける音がした。

これは初めて聞いた話だが、たまさんは入院中ずっとさんのことを夫だと勘違いしていたようだった。
柔らかく微笑み、孫であった自分に対するものとは少し違う振る舞いをするので、戸惑いはあったろう。
「訂正しなかったのか」
「したけど、あまり理解してくれなかった。たまに俺のことをわかってくれるけど、長く持たなくて」
「じゃあずっと、おじいさんとして会っていた?」
「うん。もともと俺、おじいちゃんに似てるらしいんだよね」
彼はうっすら笑って麦茶を飲んだ。
それから下に敷いていたコースターを摘む。
たまさんが編んでくれたものらしく、カラフルな色をしたそれは客用にと数枚あるのだとか。
祖父には水色のものを、たまさん本人は白いものを作ったようでで仏壇に二つ並べて置かれているのを見た。
さんのはないのか」
「うん、ないよ」
「よく探したほうがいい、きっとある」
「え」
カトラリーの入った引きだしから出しているのを見たので、立ち上がって台所へ行く。
さんは戸惑いながらついてきて、そこには客用のカラフルなのしかないと情けない声を出した。使っていたものは水色と黄緑、黄色とピンク、残ってしまってあるものは、白と水色、などと色を組み合わせたものがあったのを思い出す。
「ほら、あった」
「え、これ、俺の?」
さんの色だろう、これは」
ピンクと黄緑の組み合わせのそれを顔の前にやるとまじめじと眺める。2色使いだが他のとは少しだけ形も違う。網目が、祖父母のものと同じなのだ。
他のと重ねてじっくりみないとわからないけれど、さんのものを探そうと思ったらすぐにわかる。
存在を忘れられたことと、祖母と祖父の分が一色だったことで、彼はわからなかったのだ。
「記憶がなくて、わからなくなったとしても、あなたのことが見えないはずがない」
桜色の前髪を撫で、目尻を少しだけ押してやる。
彼は戸惑いゆらぐ瞳をぎこちなく瞑った。まるで泣くのをこらえているようだった。泣けばいいのに、見せたくないのなら肩をかすのに、それをしないのは少しもどかしくもあった。



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コースターの色に工夫が必要だったので前の話での描写を修正しています。忘れてたら問題ないです。
June 2017

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