春の雫 01
(律視点)卒論のテーマが従姉の晶ちゃんと被っていることを佐久間教授に指摘され、自分のありとあらゆる立ち位置や先行きが不明であることを自覚した。
論文が出来なければ卒業も出来ず、就職活動さえままならない。
とにかく教授に言われたことが頭をぐるぐると駆け巡り、考えもまとまらないままに勧められた過去の論文を見るため資料室に赴いた。
教授がうろ覚えだと言いながら教えてくれたデータは何一つマッチせず、僕はそれらしき論文をいくつか適当に探り当てる。
途中で誰かが資料室に居るような気配を感じたが、実際に人が居る様子はない。不気味な雰囲気にあてられて悪寒を感じたので、投げやりに資料室に声をかけて施錠した。
おそらく、人は、居なかった。
帰って夕飯を食べながら、優秀な従姉が自分と同じテーマで論文を書き進めている悩みを母と祖母に打ち明けると、二人はもちろん僕の悩みなどどこ吹く風だ。
「あんたそれよりどうすんのよ、卒業後は」
それに、やっぱり卒論だけじゃなく卒業後の進路の話まで持ち出され、教授にもろくに答えられなかった僕はまた言葉に詰まる。
「大学院に行く?」
「それとも開と一緒に働く?」
「不吉な……皆それを一番恐れてたんじゃなかったっけ」
「あら、遺品整理はこれから需要が見込める有望な仕事よ」
「そうね、この際無職よりはよっぽどましだわ。二人で会社を作ったら?」
僕は反射的に「絶対無理!」と断った。
叔父は僕とよく似た体質と言われているけれど、その体質との向きあい方や性格が全くもって違う。
かといって僕が普通に就職できるかと問われると怪しいし、大学院に行くには晶ちゃんみたいに優秀で学問が好きじゃないと難しい……。
「玉霰さんのこともあるし、やっぱり開と仕事をするのが一番良いんじゃない?」
「そうそう。それとも律ったら、養ってもらうつもりでいるの?」
「え……、いや、……」
僕の将来の話になったのと、開さんの仕事のこともあり、玉霰の存在が二人の中で思い起こされたらしい。玉霰は僕の伴侶で、開さんの仕事仲間という事になっているからだ。
「───ハクシュンッ」
嬉しいのと恥ずかしいのとで口ごもっていると、くしゃみが込み上げてきて意図せず話題を断ち切った。
「ほら、やっぱり風邪ひいた。すぐに着替えないからよ。薬飲む?」
「いいよ、もう寝るから……」
雨に濡れた服をすぐに着替えなかったことを母に咎められつつ、僕はその場から逃げるように立ち去った。
おそらく資料室で悪いものを拾ってきたらしいことはわかっている。
絡みつく妙な気配を"お父さん"に何とかしてもらおうと部屋に寄ればあっさり断られ、うちの桜守り兼ペットの鳥たちは頓珍漢な薬を差し出そうとしてきた。
───いい、いいから。
そう言って僕は周囲にあれこれ言われるのをひとまず聞くだけ聞いて、その場を去る癖があるのかもしれない。そうして一人になって、いろんな人に言われた言葉を反芻しながら、ふさぎ込む。
夢の中で佐久間先生に説教みたいなのをされるのも、尾白が誰かと会話をしている光景も、妙に僕の不安を煽った。
そうして翌朝目が覚めて、自分の身体が驚くほど重たいことに気が付く。
布団から起き出すこともできない僕を心配した母に体温を測らされた結果、その数値は39.7℃を示していた。
熱に浮かされながら、資料室から誤って持ってきてしまった論文を読んだり、寝たりを繰り返す。
どこまでが夢で、どこまでが現実なのかが分からない。
「律?何か食べたの?ちゃんとお薬飲まなくちゃ」
誰かが僕を見下ろして心配するような声がした。母かと思っていた人影はぼんやりと晶ちゃんの顔になる。
「卒論のテーマは決まったの」
「真似をしちゃ駄目よ」
優しい声色なのに突き放すようなことを言い始めた。
次いで、自分を見つめ直せだとか、目を背けるなだとか、おじいちゃんの血がどうこうとか───。これは僕が心のどこかでそうしなければならないと考えているからかもしれないし、計り知れぬ何かの意思によってそう思わされているのかもしれない。
「この家のトラブルの大半はお前が自分で持ち込んでいるんだぞ」
「わ、」
母さんだと思ってたのが晶ちゃんになって、最後にはお父さんの顔をした青嵐がそういう。だけど、目を覚ました時に僕の顔を見下ろしている人は誰も居なくて、障子の外に人影がひとつ。それが、家族の誰なのか、誰でもないのかさえもわからない。
部屋の外に出て確認するほど身体は回復していなくて、僕はまた手持無沙汰に論文を手に取った。
その論文は何故か故意にページが抜き取られている。目を覚まして読むたびに減っているような気がしたそれは、ある時ページが目の前で崩れ落ちた。
わ~っ、と声を上げたのと、精神的なショックによって、頭がくらくらしてくる。
力が抜けて身体が布団の中に倒れ込み、意識がもうろうとし始めた。
そしてまた、誰かが話している声がしたり、いつか誰かに言われた言葉を思いだす。
「青嵐を俺にくれないか?俺のと交換しようよ……いいじゃないか、役に立つよ」
これはいつだったか、開さんが、僕に言ったんだ。
「だめだよ、やめてよ、僕の式神に手出しするな!」
「玉霰はお前にあげたじゃないか」
「違う、玉霰は僕の式神じゃないっ、もらってなんかいないっ」
開さんは僕よりも強いから契約が切れた青嵐を手に入れてしまう。
玉霰は───。
「……やだっ」
伸びてきた手を振り払うと、くすりと笑われる声がした。
「……寝ぼけてる」
「熱が高いのよ」
「じゃあお母さん、あとで律にも説明しといてよ」
「ええ、こっちも助かるわ」
「玉霰、お前はどうする?」
「───……」
今、玉霰の声が聞こえたような気がする。
開さんが来てたんだ。もしかしたら玉霰もここにいるのかも。
でも開さんが玉霰も青嵐もつれて、家から出て行ってしまうんだ……。
結局僕が魘されていたのは、自分が無力なせいだったのかも。
なんて思いながら尾白と尾黒と一緒に、庭の桜に巣食っていた病魔が祓われるのを眺める。
「開さん、またどっかで新しい護法神拾ってきた……?」
「護法神じゃないよ」
「やや、玉霰!」
「若を迎えにきたか!」
しゃがみ込んでいた僕らにふいに降り注ぐ声がした。両脇にいた尾白と尾黒もにわかに沸き立ち、僕も身体が軽くなったかのように気分が浮上する。
「どうして、……開さんと帰ったんじゃ」
「ううん。汗を拭いてあげようと席を外して戻ってきたら、布団に居ないんだからびっくりした」
「あ、……尾白が助けを求めてたから飛び出してきちゃって」
「身体は?熱は?あ、結構下がったみたいだね」
「……そうかな」
体調は不思議と悪くはないけど、さっきから身体は熱いのに……。そう思いながら玉霰に身を寄せた。
少しだけ低い位置にある額に頬擦りをすると、玉霰はクスクス笑って揺れた。
鳥たちはいつの間にか玉霰に追い払われていたので、今は二人きりだ。
「でもやっぱり少し熱いかな」
「うん……」
肩に腕を回して顔を覗き込み吐息をかけると、玉霰の翡翠の瞳は蕩けるように和らいだ。
どちらからともなく唇をはみ、心地よい熱に浮かされながら身体を預ける。
僕よりも随分小さい身体に、いつの間にか抱き上げられ、気づいたら布団に寝かされていた。
「まって……」
枕に預けた頭が重力によって離れていきそうになるのが嫌で、首に力を入れて少し身体を起こす。
ぽってり柔らかく開かれていた小さな唇に吸い付くと、舌に舐めて押し返された。
「は、む」
「ん……」
もっとと強請ろうとした僕の口を玉霰が改めて塞ぐ。
長い髪の毛がぱさりと落ちてきて、簾みたいになって僕を閉じ込めそうになるのを、片手で耳に掛ける仕草に見惚れた。だけどその一瞬、視線をよそにやったのがつまらなくて、悪戯するみたいに玉霰の耳をくすぐり、髪を乱した。
「、」
驚いて目を丸めた玉霰だったけど、僕が笑いながら唇にかじりつき髪を梳かし始めたので大人しくされるがままになった。
桜色の絹糸みたいな髪の毛はひんやりしていて気持ちいし、舌を吸うと滲み出る蜜は甘くておいしい。時々開かれる目蓋の隙間から見える翡翠は、集めた光の中に僕を映した。
玉霰が少しずつ、僕の心や体が満たしていく。
やがて体の上に乗せていた玉霰を腕の中に抱きしめ、額に唇を押しあてながら意識を手放した。
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熱下がったねって言ったら、まだ具合悪いアピールしちゃう律。
一応律と結婚ルートはIFみたいなつもりでいたのですが、原作軸に絡めちゃった……えへ。
July. 2023