Sakura-zensen


春の雫 03

律は結局卒論のテーマは晶ちゃんと被らない方向で「身近な妖怪」に決めたらしい。
そして卒論を出した後は院に進みたいとお母さんとおばあちゃんに頭を下げた。
ぐるぐる悩んでいたのは『決める』こと自体に勇気が要ったからだろう。でも今はちょっと、その勇気を持てたみたいだ。

「馬鹿じゃないの。あんた一浪してるのよ。その上大学院まで行って年食った文系男子がこのご時世に就職できるわけないじゃないの」

おばあちゃんとお母さんは、律の出した結論に引き攣った顔をしていたが、そこで真っ先に司ちゃんがバッサリ言い放った。
痛いところをつかれ、律は二の句が告げなくて、隣にいる俺に心なし寄りかかる。
「たまちゃんと結婚してるからって甘やかしてもらおうなんて思ってるんじゃないわよ」
「いや、そんなつもりは……!」
「───結婚、ああそうか、律には玉霰さんがいるんだったわ、私ったら」
「は?」
ふいに、おばあちゃんが俺と律を見て口元を抑える。
「一晩だけね、律にお願いしようかしらなんて……だめよね、あはは」
たしかに俺たちは法律上結婚しているわけではないけれど。それに一晩ってなんだ……。色々考えたけどどんな理由があるにせよ律が誰かと結婚するなんてありえない───。
「だめ……」
「嫌だよ」
か細い声で言うのと同時に、律が拒絶する声が響いた。
ぐっと掴まれた手や、律の横顔を見て、ほっと胸をなでおろした。



「玉霰、おばあちゃんのこと、ごめん」
「───ああ、あれね」
食後の団らんから抜けだして律の部屋にいると、申し訳なさそうに律が言う。
話をよく聞いてみれば、おばあちゃんは知り合いの知り合いの娘さんが幼くして亡くなって、その子に冥婚の儀式を行うことで魂の成長を促し成仏させてやりたい、というのをぽろっと律にこぼしただけだった。
乗り気だったわけではなく、俺と結婚していることのついでに思い出してしまったんだと思う。
「一瞬、驚いた」
「驚いただけ?」
「だけじゃない〜」
麦茶の入ったガラスのコップを、指で突いて水滴を繋げる。
「駄目って言ってくれてよかった。前は司ちゃんと結婚するなら許すとか言ってたし」
「うっ、あの時は、司ちゃんは特別だと思ってて」
「今もそう思ってる?」
すぐそこで司ちゃんが涼んでいたので、律に顔を近づける。悪口に聞こえてしまいそうなことをいうから、声を潜めて。
「司ちゃんでも……いやだ」
さっきまで胡乱な目を向けてた律は、俺の言葉を聞いた途端にころっと笑顔に変わる。
「よかった」
「あ、わかってて言わせたな?」
「こればっかりは言ってくれないと」
たしかにそうだ、と俺は肩をすくめた。
笑い合っていると次第に律の目が俺を誘うように揺れ動く。一度の瞬きのあと、視線を伏せて、また俺を見た。俺が肩に手をかけると、律が顔を覗きこんできて、甘い空気が滲み出す。
だけど───。
「国産の線香花火木箱入りがあるのよ。おばあちゃんがお友達からもらったんだって、晶ちゃんもおいでよ」
『行く行く~~~もー最近条例とかうるさくて』
司ちゃんと、電話口からする晶ちゃんの声があまりに大きかったので我に返った。さすがに周囲に人がいすぎる。
律もすっかり空気が変わって「彼氏誘いなさいよ……」とぼやいていた。



花火につられてお酒を持ってやってきた晶ちゃんにも、律は大学院に行くことを報告した。
彼女は合ってると思うよ、と軽やかに肯定してくれたので律も嬉しそう。
「あ……ありが」
「どーせ律には就職なんてできるわけないしね。たまちゃん、こんなのが相手で大丈夫?」
「え?うん」
お礼を言いかけた律だったが、結局最後は厳しいことを言われていた。急に突き放すじゃん……。
そして俺にその余波が来るので、戸惑いながら頷いた。
律は何か言いたげにうにゃうにゃしていたけど、おばあちゃんに電話が入ってると呼ばれて席を外す。
「俺、律にもなにかしら仕事は出来ると思うし、そうできるように手助けしたいと思ってるよ」
「たまちゃんイイコっ!」
既に一杯目を飲み始めている司ちゃんがグラスを掲げる。
「最悪仕事がなくても生きては行けるし。あ、俺がどこかで働けば良いんじゃない?」
「それこそ本当に律を養うことになるじゃん。やめな~甘やかす必要ないって」
これは甘やかしているのではない、と苦笑した。
だってそのくらい、律と生きていきたいんだもの。
「───玉霰、僕ちょっと円照寺の住職さんに呼ばれたから出かける」
「そう、いってらっしゃい」
ふいに律が戻ってきて居間に顔を出す。
俺は晶ちゃんと司ちゃんがハイペースで酒を飲み始めるのが心配で、あっさり律を送り出した。
円照寺の住職のおじいちゃんは律もそこそこ信頼している腕の持ち主だからだ。
「……行ってきます」
小さな声が聞こえて、あれ、やっぱり一緒に行けばよかっただろうか……と思ったが時すでに遅し。律は家をさっさと出て行ってしまっていた。
「西瓜ですよー」
「ありがとうございます」
居間から顔を出して廊下を見ていた俺は、西瓜を持ってやってきたお母さんに気づいて立ち上がる。
お盆を受け取っていると、晶ちゃんも嬉しそうにやってきた。
「あら律は?玉霰さんを置いて出かけちゃった?」
「たまちゃんは今日は私たちと花火するのーっ!」
「たまちゃんも飲もー!」
俺は結局晶ちゃんと司ちゃんに呼ばれるままに、酒と花火のある縁側へ西瓜を持って参入する。
二人はなにやら律のいない間に俺とおしゃべりをしたいようだ。
結婚してからどう?とか、いつかは一緒に暮らしたりするの?とか。
律はまだ大学生だし、これから院に行くからまだまだ先の話になるだろうと俺は思っている。すぐに開さんと離れて暮らすのも心配だし。色んな意味で。
「あ、みて、結婚式やってる」
「和装いいねえ」
晶ちゃんと司ちゃんはふいに視線を離れたところにやった。つられて見ると、白無垢と紋付袴の夫婦の姿がある。
「うん、いいなあ……」
ぽつりとつぶやいたのは、羨みではなくて単純に風情のある景色を見た感想だ。
やがて夫婦たちは装いを変えて、二人の暮らしを始める。料理をしたり、ピクニックをしたり、洗濯をしたり───。
「旦那さんイケメンよね」
「素敵~」
どんどん深酒になり、遠慮なく会話を始める二人に、お嫁さんが気づいて照れ臭そうに会釈をした。
俺は二人のリクエストで子供の姿をしているので、彼女に見えているかはわからないが、会釈を返しておく。
「あれ……?今の誰だっけ?」
「さあ……酔ったかな。このお酒回るわ~」
「おいしいねえ、これ。尾白がさっき持ってきたやつだ」
尾白はたしかどこかに呼ばれていたはずだったが、さっき酒を差し入れてまたどこかへ行った。
晶ちゃんと司ちゃんはすっかり陽気になって、今目の前に居たのが誰で、自分たちがどこにいるかも考えてない。
少なくとも、もうここは飯嶋の家の縁側ではないところと繋がっている。
「律遅いわね」
「照れてるんじゃない?」
「そろそろ花火始めちゃおうかー」
駄目だ。二人とも、すっかり出来上がってた。
だけど目的の花火は忘れておらず、木箱を膝に置いてきゃあきゃあとはしゃぐ。
「はい、たまちゃんも」
「ありがとう」
青嵐曰く線香花火というのは暁の魔除けの呪法と呼ばれるもので、妖魔にとっては大敵になるわけだが、俺はべつに妖魔じゃないもんね。
晶ちゃんから受け取った細い紐の先を火につけると、やがてボウッと音を立てて丸い火の玉ができ、あたりに火花が散る。
勢いと強い力を感じるのに、小さくて、美しくて、弱っちい。
火花が弱まり、ぽとりと赤い実みたいなのが落ちて、地面に黒炭となって消えた短いいのち。
酒の匂いと独特な火薬や線香の匂い、それから煙や夏の夜の匂いに入り混じって───微かに水の匂いが感じられた。
「きれーい」
「次いこ、次」
きゃははは、と笑っている二人をよそに席を立つ。
振り向けばそこは寺の境内だった。
見覚えのあるそこは円照寺のようで、廊下の先から僧侶が一人歩いてくる。俺の姿は見えてないみたいですれ違い、晶ちゃんと司ちゃんに花火と飲酒の注意をしている声を背後に聞いた。

「あれ、玉霰?迎えにきてくれたの?」
「うーん。線香花火に巻き込まれた?みたいな?」
「あ、さっき見えた光ってそうだったんだ」
寺の奥まった部屋の中にいる律を見つけると、俺に気が付いて駆け寄ってくる。
住職のおじさんの他にも人がいて、なにやら儀式めいたことをしていたようだが終わったらしい。
「司ちゃんと晶ちゃんもあっちにいるよ」
「花火、楽しかった?」
「うん、綺麗だった。律もやろうよ」
「まだ残ってるのかな……っていうか酒のんだだろ」
「あははは、いい酒もらった。なんだっけ───『一夜幸』だったかな」
一夜の幸せと書くのだと教えると、律は口の先で囁くように繰り返す。
何をしてたのだか話さない律に聞くことはせず、緩く繋いだ手の指先をたわむれに絡ませた。
ふと視線が合った時、律は安堵したように笑うので、俺はそれでいいと思った。



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せんのかい。キスせんのかい。(セルフ突っ込み)
July. 2023

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