Sakura-zensen


春の雫 04

俺はある時主人の開さんにあらたまって相談を持ち掛けた。───外で働きたい、と。
可愛い娘のお願いを聞いてやる風情でニコニコ言葉を待っていた開さんは、頬杖をついてた頭をズッと落としそうになった。
「え、……それってアルバイトとか?」
「そうだよ」
本業は開さんのお守りマスコットであり、給料など不要の暮らしをしている俺だ。
そこで改めて働くと申し出たのは、何も他の人間に使役されようという意味ではなくて、人間社会に少しだけ馴染もうという意味である。
「それって、律が入院しているから?」
「理由はそうだね、でも目的じゃない」
つい先日、律は突如現れた親戚の男の子が白血病だということで、骨髄移植のドナーとなった。
その手術のために全身麻酔をしたところ、麻酔と体質が合わず、意識不明の昏睡状態となっている。
いつ、目を覚ますのだかはわからない。
開さんの言うとおり、俺が働くのはもちろん律がこうなってしまったからというのはある。だけど例えば律の入院費だとか、今後の生活費だとかを稼ぐためというわけではなかった。
「欲しいものがあるんだ」
「なに、お小遣い?いくらくらい?」
「開さんに出してもらう気ないから……それに、いずれは経験したいと思ってたことだからさ」
「うーん、まあ、玉霰なら変な事はしでかさないと思うけど」
相変わらず開さんにとっての俺って子供のままだが、ある程度の信頼というのもあるので渋々とだが了承は得た。
もちろん俺が開さんについていく必要のある時は優先するという約束で。



律が意識を取り戻したのは三ヶ月後だった。
意識だけの律を何度か迎えに行ってこちらに手繰り寄せてはいたが、ちゃんと起きてる律に会うためにある晩病院を訪れた。
生きた人間である開さんがいたときの見舞とは違い、病院にいる何かの存在が強くて一人で入り込むのが難しい。
外ならなんとかなるかしら、と律の居る病室の窓からのぞいてみる。
「た、ま?玉霰……!」
暗闇の中、人影がピクッと動いた。
起きていたらしい律が気づいて、よろよろとした足取りで近づき窓を開けた。
途端に、びゅうっと風が吹いて、俺の髪の毛や冷たい空気が病室と律を襲う。
「開けたら寒いだろう」
「……うん、すごく寒い」
そういいながらも律は、窓の桟に足をかけた俺を抱きしめる。
俺で暖をとれるとは思えないけど。
「あまり長居できそうにないな」
「そうなの?」
弾き返されそうになる感覚を振りほどき、律の身体をよすがに病室に入り込んだ。
冬の冷たい空気を律にこれ以上浴びせたくないから、無理やり窓を閉める。
そしてベッドに戻らせて、そのそばに腰掛けた。
「すっかり痩せたね」
「あ~……うん」
「髪も伸びて」
「……」
律は次第に言葉を失って、居心地悪そうに頭をかく。
どうしたんだろう、と顔を覗き込むと、背けられてしまった。
「みっともないから、あんまり見ないで」
「どんな姿でもいいのに……。律がいやなら見ないようにするから、抱きしめてもいい?」
「うん」
細い腕が開かれたので、腰の上に乗っかって肩に頭を預ける。
律の背中に腕を回すと痩せた身体がよく分かった。加えて、霊力の弱まりも感じる。
会えなかった分、律が足りない。その不足分を補うように俺を注ぐ。トクトクと脈打つ気がしてるのはきっと、律の鼓動なのだろう。
「───あったかい」
「ん?」
俺、言葉に出していたっけ。そう思ったら俺の声ではなくて律だった。
「玉霰が」
「あったかいの?俺が?」
少しだけ身体を離すと、確かに俺たちの間には熱がともっていると感じる、けど。
なんとなく今までも体温を感じたりすることはあったが、そういうのは全部律のものだと思っていた。
俺は、凍てつく冬の桜に宿った魂だ。
「俺をあったかいなんていうのは、律だけだろうなあ」
ゆっくり頬と頬をすりよせた。そして、言い聞かせるようにその顔を見つめる。
「───俺のお嫁さん」
律はぽかんとして、次第に顔をじわじわと赤く染めていく。
あ、う、と言葉に詰まっている様子が愛しい。
更に恥ずかしがって顔を見せてくれなくなったけど、その身体がものすごく熱いのが分かる。
まだ病み上がりなので、今日のところはこの熱だけを愛でることにしよう。



律が退院できたのはそれから一週間後のことだった。
本人が思っているよりも長引いたらしくて、どうやら何らかの陰謀が働いていたようだけれど、終わりよければすべて良しということで。
やせっぽちで体力もおぼつかなかった律は、少しずつ大学に復帰したり、家の近くを散歩したりして、日に日に生活を取り戻していく。

その回復の折りをみて、律にある提案をした。

「律、今度旅行にいかない?」
「りょ、りょこう……?」
ぽかん、とした律に改めて言い直す。
「本当は律が大学を卒業したら祝言を上げようと思ってたけどできなかったし、せめてゆっくり旅行くらいはしたいなって」
「初耳なんですけど!?っていうか留年したから祝言は中止ってこと……!?」
律以外の皆と、そろそろ上げないの?上げたいねえ、律が卒業したらどうかしら、なんて話していたのだ。だけど律は卒論で忙しかったし、頃合いを見て相談しようか───と思ってたら意識不明になってしまうし。
結局卒論も出せず留年が決定したので、卒業と祝言はまた一年先送りに、と、なんとなく思っていた。
そういう経緯を、律は初耳だったわけで、目を白黒させていた。
「あのね、俺、律が入院してる間に働いてお金貯めたんだ」
「働いた……って、どこで?」
「普通にお店とかで、アルバイトしたの~」
「ええ!?……見、見たかった」
「今後もたびたび働くよ、見においで」
祝言先送りの話題に伴い留年のショックがぶり返し、俺がアルバイトをしていた期間を全く知らないことに落ち込み丸まった背中をよしよしと撫でる。
「とにかく俺と新婚旅行、しない?」
「───する」
快気祝いみたいなもんだけど、俺はあえて甘ったるい言葉を使って誘う。
律は案の定、いつかのようにぽろっと返事を口にした。
……間違っても俺以外にそんな無防備にならないでほしい。



旅費はきちんと出せるので、俺は堂々姿を現して律と新幹線に乗り込んだ。
長時間の移動とか、まだ寒い季節であることを心配したけど、律は案外けろっとしている。旅先について入った店ではご飯もしっかり食べてたし、観光地をまわるのも足取りは軽くて積極的。
「思ったより元気だねえ、律……」
「あー……ちょっと、はしゃいだかな」
「楽しそうでなにより」
所狭しと並ぶ土産屋の間には飲食店もたくさんあって、俺は少し休憩しようと甘味屋に律を引っ張り込む。
俺は疲れてないが、律があまりに元気なのでちょっと心配になってしまったのだ。
そのことを指摘すると、いつもより活発であることを自覚したらしい律は、照れ臭そうに顔の半分を隠した。
「玉霰とこうして、堂々と出かけることってあんまりないし」
「んね」
注文したお汁粉の餅を口に含んでたので、ヘンな返事をする。
ふっと笑われて、口の横を拭かれた。どうやらあんこがついてたらしい。
しばらく餅と共に律の言葉を咀嚼していると───つまり、俺と出かけることにはしゃいでいた、という甘さに辿り着く。
じっと顔を見つめると、律は自分が言ったことをすっかり忘れたのか、涼し気な顔で伏目になって、お椀にそっと口をつけてるところだった。
「またデートしようね、律」
「!?」
そう投げかけると、律は噴き出しそうになってお椀から顔を離した。



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原作の流れに沿いつつ原作の展開全然書けてない。
でも原作に絡ませすぎると、律と絡めない(イチャイチャできない)と考えた結果、今度別で書こう!と諦めました。海くんと主人公の絡みがね、いつか書きたいですね……。

他の話で、主人公に体温があるみたいな描写してたら忘れ去ってくれ。嫁だけが温もりを感じて欲しいです。
July. 2023

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