Sakura-zensen


春を満たす 02

名前を問うと、少女はまた少し黙った。
記憶があやふやな節があるが、まさか名前も分からないのではと危惧するが、濡れた髪の毛をくしゃりとつかんで引っ張ると、首をかしげながら口を開く。
「春野……、サクラ?」
なんでおれたちに聞くんだよ、と誰かがすかさず突っ込んだ。
やはり記憶は曖昧のようで、これはもしかしたら本名じゃないのかもしれない。けれど、とにかく絞り出したらしい名前を皆は受け入れた。

サクラ曰く、両親はおらず、一人で仕事をしながら暮らしていたという。
数年ほど前からは同居人がいたそうなのだが、その人物と突如逸れてしまい、故郷に戻るのは無理そうだからその人を探したいと言うことだった。
「どっかの島に落ち着いて待っていた方が良いんじゃねえのか?」
「待ってるのは性に合わないので」
にっこりと笑うサクラに、シャンクスはまた笑いそうになりぷっと息を吐き出す。
シャンクス自身、その気性は気に入ったのだ。暢気だが心のうちは冷静で、けれど行動派。
いたいけで可憐な見た目をしていなければ間違いなくヤンチャな海賊である。
「わかった!とりあえず下働きってことでおいてやろう」
「ルフィのときはちっとも航海につれてってやらなかったくせに、やけにあっさりじゃねーか、お頭」
「あの頃のルフィよりでけえだろ、サクラは。俺が下働きになったのもこのくらいの年齢だった」
揶揄してきた船員だがシャンクスの言葉に反対というわけではなかった。
「ルフィ?……あ、シャンクスさんって、赤髪のシャンクスだったのかあ」
「知らずに海賊になろうとしてたのか?」
一瞬ルフィと言う知らない名前に首を傾げていたサクラだったが、思い出したようにシャンクスの呼び名を言うものだからベックマンは呆れた視線を投げる。えへへと笑うサクラは本当に知らなかったようで、そうかそうかと頷いている。こんなに暢気で大丈夫なのかと思う半面、物怖じして撤回しないサクラの気概を受け止めた。


サクラは日々せっせとお手伝いをしている。
船員の大半は大らかな男たちで、中には同じくらいの年頃の娘や息子を持つ親もいた。家族より冒険をとった男なのでサクラを見て郷愁にかられることはないが、少なからず親心というものが残っているのか刺激されたのか、サクラは可愛がられていた。
「おう、サクラ、重たそうだな持ってやろうか」
「へーき!」
「サクラ、おめー汗だくじゃねえか、ちゃんと拭かねえと風邪ひくぞ」
「はーい」
「おうい、サクラ、釣りしねェか」
「するするー!」
呼ばれては笑顔で振り向くサクラは、確かに可愛がる対象である。
シャンクスはその様子を見て、男達にとけ込んでいる子供も自分の大事な船員の一人だと思うようになる。……もちろんまだ、見習いだが。
釣りをしているサクラの背中は随分と小さい。隣に居るのが船で一番の大喰らいだから余計にそうだ。
「釣れねェなぁ」
「釣れないねぇ」
縁に座った二人は、揃って海を覗き込む。
丸まる背中にシャンクスは一応声を掛けた。
「お前ら、そうやってて落ちるなよ」
「あ」
その瞬間、サクラがずるりと前に滑る。咄嗟に暴れた手足が視界から消えるかと思いきや、なんとかへばりついてよじよじと登って来たのでシャンクスは近寄りながらほっと息を吐いた。
「注意した矢先にお前は……」
「エヘヘ」
「器用だな、サクラ」
呆れた顔をするシャンクスをよそに、ルウは少し感心した様子だ。
サクラが前のめりに落ちた時、咄嗟に片手を縁にひっかけて卒なくのぼって来たのをしっかり見ているからである。
まあね、と得意気に笑うサクラは深く座って釣り竿を立てた。
「お頭は魚と肉どっちがすき?」
「酒だな」
「二択できいてんのに」
ぶうたれたサクラに、シャンクスもルウも笑った。
「おれは肉だ」
「知ってる」
「そういうサクラはどっちが好きだ?」
「ライス」
「お前も答えになってねえじゃねーか」
シャンクスがぐりぐり掻き混ぜた頭からは、太陽と潮の匂いがした。


「そういえばよう、お頭」
「あん?」
夜の人もまばらな食堂で酒を飲んでいたシャンクスに、ヤソップが思い出したように口を開く。
「戦闘中はサクラに誰かつけてやったりしなくていいのか?」
「あいつは利口だから部屋の奥で待ってろっていやあ大丈夫じゃねえか?」
隣に居た船員はシャンクスよりも先に答えた。
「いや、サクラは馬鹿なところもあるから、加勢しにきかねねえぞ」
「ちげえねえ」
ここにいないサクラのことで、船員たちの意見は憶測により分かれる。
シャンクスは少し考えたが、当然サクラが戦えるとは思っていないし、加勢にきたとして怪我をするだろうという結論に至る。
「よし、じゃあそんときはベックマンに任せるか」
「おれがなんだって?」
「お、ベックマン、サクラ」
食堂にちょうど良く現れたベックマンは、後ろにサクラをつれていた。
長い髪の毛を揺らしながらひょこりと顔をだして笑うと、小走りにシャンクスの元に近寄って来て隣に座る。
「おつまみ一口ちょうだーい」
「ん、口開けろ」
「あー」
懐っこいサクラは早いうちから、船長であるシャンクスに対しても屈託なくおねだりをするので慣れた光景だった。
ぱかっとあいた口に、シャンクスはつまみの唐揚げを放り込む。
小さい骨格のせいで大きく頬を膨らませてもごもごしている所は面白くて、中身のつまったそこを指でつつく。
「やええよ」
「はははっ、何て言ってんだ?」
「ややぁ」
サクラは背中を丸めて顔を隠してしまった。
その光景を見て何人かが笑うが、ベックマンが何の話をしていたのかと話題を戻すと、シャンクスはからかうのをやめて一口酒飲む。
「戦闘中にサクラをどうするかって話しててな」
「ああ」
隣に居たサクラも、顔を上げてシャンクスの向かいにすわったベックマンの方を見ている。
「あぶねーからベックマンの所にいさせるって話にな。なー、サクラ」
「そうなの?」
ごくんと唐揚げを飲み込んだサクラは、ばしばし背中を叩かれながらベックマンを見る。
そうなの、と問うがベックマンだって初耳なわけで、シャンクスを見返す。
「おれに戦うなって言ってんのか?」
「お前が出るときはおれが見ててやる」
本気ではないが、若干嫌そうな顔をしたベックマンにシャンクスは笑う。
「本当に危ないときは、サクラだって大人しく隠れてられるだろ?」
「別に良いけど。……戦えるなら戦ってもいいんだよね?」
「……お前戦えるのか?こんなちんちくりんなのに?」
「試しに一発殴ってみて良い?お頭」
ひくついた顔をしたサクラに、シャンクスは冗談だと笑ったあとに、どのくらい戦えるのかを問う。
しかしどのくらいと言われても困るサクラは考え込み、質問したシャンクスの方もどうしたもの顎を撫でた。
「じゃあ、明日にでもおれが相手してやろうか」
「ほんと?やるやる!もうずーっと誰ともやってないから、なまりそうだったんだよね〜」
「は?」
提案した船員以外にも多くの者が、サクラの答えを聞いて素っ頓狂な声をあげる。
「なに驚いてんだ?サクラは暇さえあればトレーニングしてるだろ」
「なに!?ベックマン、知ってんのか?」
「戦ったことがない訳じゃねえってのは聞いてたぜ」
「まあ、自分の身は自分で護らないとだしネ?」
サクラは仕事を探してよくベックマンの元を訪れるし、逆にベックマンが雑務を頼むときは船で一番仕事が丁寧なサクラにやらせることが多く、二人は実のところ一緒にいる時間が長い。その間に会話をしないわけでもないので、サクラが今までどんな生活をしてきたかくらいは多少聞いている。
といっても、記憶が曖昧な所があるのでこぼれ落ちた言葉から勝手にベックマンが察しているだけなのだが。
曰く「まあ、平和な世界を生きて来たわけじゃないし」だそうで、それを後で聞いた船員たちも納得した。

しかし、さすがに次の日ノリの良い船員が見守る中、美しい身体さばきで、相手を数秒で地に伏せたときは驚いたものである。



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モブの大変多いお話になっております。シャンクスってベックマンのこと何て呼んでたのか出番が少なくてわからないのですが、普通にベックマンでよろしくて……?
June 2016

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