春をむかえに 04
(涼視点)舞台で殴られて一瞬意識を失った。そのあと何とかやり遂げたらしいけど、まったく記憶にはなかった。
お客さんには失礼だし、明日の公演のためにも早く帰って休もうと藤丸に笑いかければ、少し様子がおかしかった。
どうした、と覗き込めば、表情が少しだけ薄いことに気が付く。
いつも表情豊かな奴なので、雰囲気が変わる。時々見てきた、他者を圧倒させる強い何か。でも今はどちらかというと、落ち込んでるのかな。
「なあ、藤丸……自分を責めてないか?」
「え、」
図星みたいで、口ごもる藤丸の顔を両手で挟んで自分に向けた。表情を和らげようと頬を親指で押したり撫でたりした。
「演技中のことは、俺の不注意だ」
「でも、狙われてたのは涼なのに、考えが及ばなかった」
眉を垂れて目を逸らすのは落ち込んだ顔だったが、さっきよりは感情豊かかもしれない。
にしたって、藤丸に防ぎようのないことなのに、ひどく自分を責めるから困る。
今までだって、十分よくやってくれたのに。
もともと、藤丸をマネージャーに誘ったのは、とにかく働き口として紹介しようって単純なものだった。
でも今思えば、もっと楽な仕事はたくさんあっただろう。
社長の無理難題をすべてこなして、体張って、俺のことを優先して。
───俺はもう、マネージャーがいること、藤丸が傍で支えてくれることの良さを知っちゃったから、離せそうにない。
だって、お前に大事にされるのが、すげえ嬉しいんだ。
「大丈夫だって!明日も公演あるんだし帰ろうぜ」
「えー……」
藤丸はやがて、不貞腐れた顔をするくらいには、気分が持ち直したようだ。
せめて病院にと言われたけど、時間がもったいねーと断る。
「───っ、う、わ……」
そんな俺の顔を、今度は藤丸の手が引き寄せた。
不機嫌とも、怒ってるのとも違う、静かな眼差しで俺を見る。
顔を支えた手から親指がくるりと動いて俺の顔を這う。それから人差し指とか中指もするする滑って、首筋や頭部に触れた。
確か医者を目指していたから、自分なりに診てくれているんだろう。
「今日は激しい運動するなよ。気持ち悪くなったり、見る、聞く、喋るに異常があれば教えて」
「お、おう」
「……帰ろっか」
「ん……」
急に大人びたことをするので、ドキドキしながら離れる。
今度こそいつも通りの笑顔を浮かべた藤丸に、安堵した。
舞台は無事千秋楽を迎えた。
深津さんはあれ以来、特に何かしかけてくることはなくて、きっと俺たちを崩せないと踏んだんだろう。
藤丸の身元は書類上でとサクラは兄妹ということになっているし、藤丸と俺自身も今まで以上に気を張っていたしな。
ちなみに、頭のケガはまだ少し痛み、ガーゼを張ったりして患部を保護してる。心配されたくないので隠していたら、藤丸も綾も全然誤魔化されてくれなくて、しばらくその目つきが痛かった。でもそれが、なんかちょっと嬉しいと思った。
やがていつも通りの日常───つまり仕事のない日々が戻ってきた。
生徒会の仕事で遅くなって、慌てて帰った俺は事務所でレッスンがある為、着替えて事務所に向かわなければならなかったんだけど、帰ってくるなり綾がリビングで台本を読んでいる光景に驚く。
「お前のマネージャー、倒れたぞ」
単なる空き時間にリビングでくつろいでいたのかと納得しかけた俺をよそに、次の驚きがやってくる。
慌ててリビングから出ていこうとすると、綾に台本を投げつけられて足を止める。そういえば俺はまだ制服姿だったんだ、と指摘されて思い出し、ついでに場所も聞いてから着替えて家を飛び出した。
事務所で望月さんに聞けば、藤丸が社長室にいると言われたので、ノックもなしに飛び込む。ソファにちょこんと座っていた藤丸に乗り上げる勢いだった。
華奢な身体にまたがったまま、身体を少しだけ浮かせる。さすがに俺の体重を乗せるわけにはいかない。抱き上げられたことあるけど話は別だ。
「藤丸───倒れたって聞いた」
とにかく無事を確認したくて、よれよれになって眼鏡の取れた顔を見つめる。
苦笑した藤丸が、大丈夫だよというので安堵したのも束の間、ふと鼻につく、たばこの匂い。
絶景絶景、と言われて社長の目の前で藤丸を押し倒していたことを自覚する。
「涼、膝からおんり」
「!!!」
肩をゆっくり押されたので、慌てて飛びのくと、床に転がり落ちる。大丈夫?と心配されているが今まで無我夢中でやってたこと全部が恥ずかしくて顔を上げられないでいた。
藤丸は気にしていないのか、社長と話の途中だったことを謝罪している。
「まあ詳しいことはそこのバカ息子に聞きなさい!」
「!」
藤丸の前で社長が俺を『息子』と言った。
それは限られた人しか知らない情報で、本来一介のマネージャーに知らされることはない。
なんでそんな話に、と聞く暇もなくレッスンの時間じゃないのかと指摘され、俺と藤丸は社長室を飛び出した。
「涼、心配かけてごめん。それと、ありがとね」
レッスンを終えての帰り道、今日は色々大変だったなと独り言ちるように言うと、藤丸に後ろから声をかけられた。
藤丸の体調に問題がないならいいんだ、と笑ってから、そういえば何で倒れたのか事情を聞いてみる。
「ああ……綾織さんの演技を見て───のぼせた、のかな?」
照れ臭そうに言われて、俺は一瞬息を呑む。
……ちょっとだけ母親のことを思い出した。
父親のことを藤丸は知ったようだけど、さすがに母親の事は知らないだろう。
オレの母親はずっと眠っていて、素晴らしい演技に触れたときに目を覚ます。綾がいたとき、母親は一度目覚めたことがあった。
眩い光を発するそれを、オレはまだ出せない。それと同じで、藤丸を演技でのぼせ上がらせるっていうのを、また、綾にとられた気分だった。
綾がとか、藤丸がとか、言いたいんじゃないけど。
ただ、オレが出来なかっただけだ。
オレが、……藤丸を照らしてやりたかったんだ。
その思考を振り切って、藤丸が倒れたのを見た綾が、きっと心配しているだろうと教えておく。
感情の機微が表に出にくくて、愛想もいいわけじゃないけど、あれで結構寂しがりで、愛情深いやつなんだ。
「うん、帰ってきたら、声かけるよ」
笑った藤丸はそれから、俺や綾、そして社長のことを少し聞いてもいいかと尋ねてくる。
秘密の多い会社だから、俺も今まで言う訳にはいかなかったけど、社長が良いっていうなら同居人として暮らす藤丸には知っておいてほしいと思っていた。
ちょっと照れ臭いけど、父親であること、それが秘密であることを説明すれば藤丸はゆっくり俺の話を聞いていた。
贔屓だと思われるのは嫌だし、他の事務所に入るより好きな事務所で堂々上目指したいし、と言いながら、だんだん俺は何を赤裸々に語ってるんだろうと身体が熱くなってくる。
「贔屓なわけない、社長はそういうことしないだろうし」
藤丸が淡々と、俺の弱い部分を柔らかく包み込んでいく。
「この事務所に涼は合ってると思う───上にだって行ける」
「ほんと……?」
子供みたいに、無邪気に問い返してしまった。
途方に暮れて、唯一甘えられる人を見つけたような気分。
「まだ日の浅いマネージャーの言うことじゃ、駄目ですか?」
「駄目じゃない」
にっと笑う顔はいたずらっぽいけど、けしてからかいの含んでいない、澄んだ目。
俺は藤丸のまっすぐな眼差しと、言葉を、いつも受けていたからわかる。
今のは気休めだったりなんかしない。
綾の演技にのぼせたお前がそう思ってくれるなら、それはどれほど嬉しいことか。
「───藤丸がいうなら、それが一番、俺の力になる」
照らしてくれたのは藤丸の方だった。
強く強く、胸を掴まれたこの感動を、忘れることはないだろう。
next.
涼は結構まだ赤ちゃんなとこある……。
Dec 2022(加筆修正)