春をむかえに 05
綾織さんがレッスン室で倒れていたから驚いてかけよった。脈拍があまりにも弱い。顔を近づけて確認すると、呼吸も薄い。
ふと、部屋の隅に社長が座ってるのが見えた。慌てて入ったから気づくのに遅れたのである。
「社長!な、なんだあ、演技かあ……」
騙されたー!と思いながらへたり込むと、社長はハイお終いと合図をした。
すると綾織さんはのっそり起き上がるので、身体から手を離した。
「びっくりしました……死体の練習ですか?」
「ああ、今度の映画で綾は事故で死ぬ役を演る。3分の1しか出ないけど、なかなか美味しい役だぜ」
ただ寝てるだけには見えなかっただろ、と笑うので小さく頷く。
「すごいですねえ、訓練したんですか?」
「……死んだら、動かない。それを目指しただけだ」
俺が忍だったころ、子供達は気配を殺す訓練や息をひそめる練習をしたものだ。芸能人だけどそういう意味ではカタギの人が、こんなに身体を操れるとは……と思って感心してしまう。
そんな俺をよそに、社長は演技の出来栄えがお気に召さないようだ。なぜなら、存在感が薄すぎるという。でも死体だろ……?と俺は首を傾げた。
俺の中で死体に扮するということは、死んだふり───つまり、命を狙われている可能性があり、身を隠せないからこそ死んだように見せなければならないので、そこに存在感があってはいけないという認識がある。
でもここは、芸能界の映画の仕事───綾織さんは強烈なインパクトを醸し出す、美しい死体を演じて見せてくれた。
「ぁゎ……」
自分の間抜けな声を聞きながら、力が入らなくなるのを感じた。
涼が舞台で魅せた羽根よりも、もっと強烈。いつもは抑えていたことがわかる。
俺は久しぶりの、臨場感の中にいた。でもここは命の危険がない場所で、この渦中にいる人を警戒する必要も、押しとどめる必要もないわけで。
ぐるぐると頭で考えながら、気づけば目も回っていて、くたりと身体が倒れていく。
ごとりと頭が床に落ちる音を聞いたあと、目を覚ました俺は社長室のソファで寝かされていた。
そこでちょっとだけ涼と綾織さんと社長の関係を聞いて、迎えに来てくれた涼とレッスンに向かい、帰宅した。
実は帰り道で、綾織さんはきっと心配していたと涼に聞いたので、元気な姿を見せる為に今か今かと帰りを待っていた。
そして暫く待っていると、足音がしたので玄関にお出迎えに行く。
「ただいまー」
「お帰りなさい!!」
ドアを開けた途端にぺかぺかの笑顔をお届けした。
「ご飯にするー?お風呂にするー?寝るー?」
「……お前は、どこか悪いのか?」
「?健康ですが」
「じゃ、何でまた……」
「恥ずかしながら、綾織さんの演技でのぼせました」
「のぼ……」
無表情な綾織さんはそっと俺から視線をはずし、無言でお部屋にこもってしまった。
寝るのか……斬新。
綾織さんと付き合いの長い家族である涼曰く、安心した時の行動だと知ったので生態を把握。
俺はとりあえず、お夜食を作っておく事にした。
その後、綾織さんが部屋から出てきて夜食のおにぎりを食べているのがみられたので、警戒心の高い動物が初めて餌を食べてくれたような、妙な感動を味わった。
いやいつも俺の作ったごはん食べてるけどな。
ある日の学校で、たまたまピーコックファンである落合さんが他の女子たちと話しているのを耳にした。
戦隊モノと時代劇に出ている奈良崎譲さんとやらが、今熱いらしい。
落合さんは前、涼に目をかけてくれてたんだけど、涼はテレビにあまり出ないから見られないとの事で……うん……仕事探そう。
その話は、涼にも残念なお知らせ兼、発破をかけるためにした。
「戦隊ものってあんまり見なかったんだけど、涼は興味ある?」
「あるある、大好き」
事務所のビルの中でそんな話をしていた所、通りかかった人が自販機の横で小銭をばらまいた。こっちに小銭が二枚ほど飛んで来たのでキャッチして渡すと、涼はすげえと呟く。大した事じゃなくてよ。
小銭を返してその場を離れたけど、もう一人、誰かがこっちを伺っている気配に気がついた。
暫く泳がせてみようかな……と、思ってた矢先に風を切る音がする。
まさか芸能事務所に木刀を持った男が押し入って襲って来るとは。セキュリティどうなってんだ。
木刀が襲ってきたのは俺の方だったので、攻撃を往なしたところ、すぐに間合いをとられた。
暴漢は細身だがしっかりと鍛えられた身体をしている。チンピラだとか、突発的に危害を加えたとは考えづらい。そして、俺を狙ったのは身体が小さいから、だろうか……?
いつぞやもこんなことがあったが、芸能界は危険がいっぱいダナーと思いながら、涼を背に庇う。
「涼、下がって」
「奈良崎さん……?」
「ん?」
ごちゃごちゃ考えていると、背に庇った涼が茫然と呟く名前を聞いて首を傾げた。なんか、聞き覚えがあるな。
「失礼した、───つい、見過ごせなくて」
襲い掛かってきた男の顔をようやく見て思い出した。長い黒髪を後ろで縛った特徴的な髪形や、凛とした美貌。彼は、ナンバー10のタレントである奈良崎譲さんだ。
「何か武道の経験は?」
「たしなむ程度にいろいろと」
タレントが木刀もって事務所で襲撃か~……と内心ザワザワしていたけど、好戦的で悪意がないのはわかったので、そこまで警戒する必要はなさそうだ。
口ぶりからするに、俺の身のこなしを見て、なにか琴線に触れたんだろう。
「む、……思ったより小さい」
すすすと足音もなく近づいて来た奈良崎さんは改めて俺を見て呟いた。これからおっきくなるんです。
それにしても、さっきは気づかなかったけど、この人にも綺麗な羽根があるので、ナンバーふられているだけある。しみじみと眺めてしまったところ、彼は一考するような間をおいてから俺を見た。
「実は自分の出演する新番組で、ゲストの敵役を探している。どうだ?初回で倒してしまうが、なかなか重要な役所だぞ」
……どう見ても俺に言っている。
今までタレント同士のやり取りではマネージャーが空気というのはざらにあったわけだが、今は涼が空気にされている。
「ぼくは彼、葛城涼のマネージャーです。その敵役オーディション、彼が受ける予定です」
「───そうか……」
奈良崎さんは涼に一瞥はくれたがそっけなくそらし、俺をじっと見てから背を向けた。
「涼、落ち込んでないよな?」
「おう」
綺麗な姿勢の後姿が遠ざかるのを見たまま、涼に問う。
ぽんっと頭に手を置かれて、涼の方に目をやれば、ニコッと笑っていた。
「だって藤丸は、俺を信じてくれてるんだろ?」
「それはもう!」
涼の背後には、ペンギンの小さな小さな羽根が、ふよふよ泳いでいた。うん、元気な証拠だ。
数日後、涼のオーディション用の書類を作るために休憩スペースを借りて作業をしていたところを、またしても襲撃された。
俺の把握できる圏内に人が入って来たのと、極端に物音が少ないことから一発で奈良崎さんだな検討つけていたので、急襲はすんなりと避けられた。
攻撃されるまえに振り向いてやってもよかったけど、それはそれでつまらない気がする。……なんだかんだ、楽しもうとしてしまった。
「室内で木刀を振り回すのよろしくないと思いますが、どういったご用件ですか?」
「君に少々伝えたい事があってね」
奈良崎さんは俺に攻撃するチャンスをうかがいながら、ずかずか詰め寄って来る。
一方俺は障害物を利用しながら距離をとろうと動き回った。
「なんでしょう」
「藤丸くん、君奈良崎譲のマネージャーにならないか?」
「は??」
木刀を避けながら会話をするシュールな光景が出来上がった。
どうやらこの人、先月からマネージャーは不在らしい。
十中八九、俺のこの身のこなしが気に入ってるんだろうが、それはマネージャーをすることにおいて、さほど必要ではない能力だと思う。
いや、これまで涼を守るのに大いに活用してきたけどさ……。
「君のようなものが望ましい」
木刀で白刃取りを披露してしまった……わあ、俺たち息ぴったり。
ますます、ハートでも飛ばしていそうなほどご機嫌に迫られている。
「お断りしたはずです、ぼくは涼のマネージャーなので」
「ああ、先日もそう言っていたな」
聞いてはいたんだなーと思いながら、木刀を収めるのを見る。
だが彼にとっては、「そういうところも悪くない」とのことでした。
役者をやっているだけあって、自己アピールはすさまじく、自分は良い役者であると、マネージャーとしてもやりがいはあるだろうと言われた。
純粋にみて奈良崎さんは良い役者で、良い身のこなしだ。テーブルや椅子がいくつも置かれた休憩スペースで俺と立ち回ったが、一切その場は乱れていない。美しく魅せる強さは、俺の好みでもある。……久しぶりに胸が躍ってしまったのも事実。
「それはそれ、これはこれ」
「?……よくわからないが、」
足元に涼の写真が落ちたので、拾いあげようとしたところで、頭上の気配が動く。
と同時に、もう一つの物体が俺を多いかぶさるので、その熱と匂いで瞬時に涼であることを理解した。
身体を回転させて、足で涼の身体を挟んで引き倒し、その勢いで上半身を立てて奈良崎さんの木刀を掴んだ。本人は寸止めのつもりだったので、痛くはない。
「涼、飛び出してくるんじゃない。それから奈良崎さん───」
一瞬で木刀を奪って、回転させる。
「めっ!です」
ぱちぱち、と目を瞬いた奈良崎さんに木刀を横向きにして返した。
こうして涼が飛び込んでくるみたいなこともあるし、万が一があってはいけない。
扱う側が、そこんとこよく考えるべきだ。
新人タレントの新人マネージャーが大先輩を叱ったけど、まあわかってくれるだろう。
next.
「ご飯にするー?お風呂にするー?寝るー?」の元ネタは研ナオコさんです。
奈良崎さんとサクラは相性良いと思うんだ……。
Dec 2022(加筆修正)