春をむかえに 06
初めての給料は一万円。実力主義の会社での、俺への社長の評価だという。それは俺がまだ仕事ができなくて、涼にもまだ仕事がないからだ。
ここで腐って諦めて逃げ出すのは、俺に手を差し伸べてくれた涼にも、雇い入れてくれた社長、ひいては会社にも失礼なこと。
そもそも、この一万円もよくもらえたもんである。必要経費と称して住む家まで提供されている時点で相当好待遇だ。
涼とやった仕事だって熱湯に浸かるのと、舞台への4日間の出演のみで、会社への貢献度は低い。だから俺はこの一万円で落ち込むのはお門違いだった。
涼へもっと仕事が入ってくるには、そしてあの、強烈な存在感を引き出すためには、どうしたらいいかと考えた。
レッスンスタジオの前で、ずいぶん前に終わったはずの部屋で涼がいつまでも踊る練習をしているのを静かに見る。
身体の動かし方は、今までダンスや演技のレッスンしてきただけあって、多少は身についている。何度も繰り返し練習して、腕を動かす様は羽ばたこうとしているみたい。
一生懸命なその頑張りに、俺も心が動く。
「あれ、藤丸いたのか!ちょうどいい───」
ドアにはめ込まれたガラス越しに見ていたから、涼が気づいてドアのところにやってくる。
「どうすればお前の様に動ける?」
その提案に、俺は目を見開いた。俺からも、奈良崎さんへの対抗心ではないが、涼には敵役オーディションもあることだし、重点的に体術を磨いてみないかと提案するつもりでいたのだ。
とはいえ実は時間がない。
身体能力は日々の継続が重要になるわけで、いきなり向上するものではなく、とにかく身体の使い方だけを叩きこんでいくことにした。
敵役はつまるところ、やられる側なので強く美しくあるというよりは、巧くて身軽である方が良い。
攻撃されて吹っ飛ばされて、それでも安全であることが大事。というわけで無難に受け身のとり方と、バランス力を重点的に仕込み、あとは心の落ち着け方を享受した。
関節を傷めないようにして地面を転がれば、やられた時の勢いも出せると同時に、身体への負担も少なくなる。
今まで運動をしていただけあって、教えていけばするする吸収していくので楽しかった。
ある日、自宅マンションの一室で教えている最中に、インターホンが鳴った。
綾織さんが鍵を忘れたのかと思って、涼には受け身の練習を続けさせたまま玄関に行く。荷物が届くときは宅配ボックスだし、セキュリティの高いマンションなのでセールスマンが勝手に入ってくることはないだろう。近所づきあいもほぼないし、管理会社とかは手紙か電話での通知になるので、十中八九知人であろう、と思った俺は鬘もつけずに玄関を開けて後悔した。
「お帰りなさ……い?」
「藤丸くんはご在宅───」
大きめの帽子に変なサングラスを付けた人が立っていた。
俺の名前を出したと思ったら口を噤み、まじまじとこっちを見る。
「君の名は?」
「え?」
がしっと肩を掴まれる。
そのときうっすらと羽根が見えて、ああこの人奈良崎さんだと思ったので名前を口にするか迷う。兄妹ってことになってるので似てても問題はないんだけど。
「ふ、藤丸サクラですが。兄の知人ですか?」
「そうだが、自分は君に会った事がある。───そうか、サクラというのか……美しい名だ」
なんだと。
全く記憶になくて首を傾げる。なぜなら俺だって一応、奈良崎さんみたいな人に会ったら忘れないはずなのだ。
「二年程前、山でみかけた」
「あ」
二年程前といえば、親父の仕事がまた沈んだので家をなくし、山でしばらく生きてたことがある。あの時は人生最大で困窮してたなーと遠い目をしてしまう。いつか本を出せるレベル。
「木と木の間を飛びかっていた……その姿はまさに山の神のように神々しい」
川で魚を獲り、毒がなさそうで味がマシな葉っぱを食べ、木の実をつまむ、野生動物だった時代が俺にはあるのだ。
それが山の神だというなら、まあある意味正しく山を体現していたので、その感性は理解できる……。
「そうでしたか……あの、ところで兄には、」
「お、おい!何だお前!」
一向に戻ってこない俺を心配した涼がやってきて、俺を押し倒さんばかりの体勢だった奈良崎さんから引き離す。
「……あー、身内という事で良いようだな。───葛城涼か、ちょうど良い。言っておきたい事があったのだ」
「!奈良崎さん!?」
帽子とサングラスを取ると綺麗な髪の毛がぱさりとこぼれ、涼しげな目元が露になる。
涼は変装していた奈良崎さんを不審者とばかりに睨んでいたが、さすがに事務所の先輩とくれば、驚くだろう。この会社の方針なので仕方がないとはいえ、気づかないうちに素で接してしまうという、よく考えたらしんどいことが起こるみたいだ。
「藤丸くんは自分がもらう」
「あ?」
「ん?」
わあ、少女漫画みたいな発言されちゃった。
涼は一瞬だけ後輩の顔をしてたのに、もうすっかりガラの悪い顔を前面に出した。
俺というマネージャーに付きまとう男として、敵とみなしたかな。
「やるわけねーだろ!?藤丸はオレんだ」
「より良いタレントの方がいいだろう?決めるのは藤丸くんだ」
バチバチと火花を散らしているように見える二人に、あのうと割って入る。
「奈良崎さん、兄は用事があって家には戻りませんので、今日の所はお引き取りいただけますか?」
「おおっ、そうであったか。では今日は帰るとしよう。失礼したな」
兄上によろしく伝えてくれと言いながらサングラスと帽子を付け直す奈良崎さんは、帰れ帰れとあかんべーしてる涼を歯牙にもかけない。
「───それと、サクラくん」
「はい?」
「自分はあの山で見た時から君をさがしていた。相当の手練と見受ける───今度共に山ごもりにいかないか?」
「いいですね、時間が合えば行きましょう」
俺は特に考えることなく了承した。
「藤丸!?」
「あ、お仕事ない日に、ですよね?」
「もちろんだ」
「日程は兄にお伝えください。なるべく奈良崎さんに合わせます」
社交辞令かなとも思ったが、奈良崎さんの身のこなしは興味があったし、山に行くのは嫌いではないのでいつかの楽しみということで心得ておく。
ドアが閉まって、ほくほくしながら振り向くと、涼はむっすうと膨れていた。
「藤丸はオレんだかんな!」
「もちろん涼優先に決まってるでしょ」
そのセリフ女の子に言ってるつもりならちょっとアレだけど、多分マネージャーとしてだってのはわかるので、頷いておいた。でもそう言われるとちょっと嬉しい。
奈良崎さんは帰るとみせかけて、マンションの隣の空き地でテントを張って野宿していた。帰るって言っておきながら帰ってないやんけ。
朝の日課でジョギングに出ると、見つかってオハヨウと言われて、走るのかと聞かれて頷いたら一緒に走ることになった。まあいいんだけどさ。
「あの、お帰りではなかったんですね……?」
「?自分の家はそこだが」
まさかこの人住所不定───いやまさか、そういう概念の話だよネ。
俺も一時期テント暮らしをしていたことがあるので、いざという時のための寝袋と簡易テントはあるけど、最近はめっきりだった。この前あわやテント生活することになりかねなかったけど免れたし。……奈良崎さんと山籠もりをする前には一度荷物を確認しなければな。
「サクラくんはあの時山で何をしていたんだ?」
「そのころ家を失いまして、一時的に暮らしてました」
「おお……」
「あすこ、魚がふくふく太ってて美味かったなあ……餌が豊富なんでしょうね」
「そうだったのか。自分も食えばよかったな」
「ちなみに木の実はマズかったですよ」
あはは、と山籠もりあるあるみたいな話をして、ジョギングを終えた。
お互いじんわりといい汗をかき、話していたからか少しばかり息が上がる。クールダウンもかねて歩く時間もあったので、マンションの前に来ると汗も乾きはじめ、息も整っていた。
さすがに朝ご飯にお誘いするのは同居人に迷惑だろうし、俺もそこまで世話を焼くのも変かなと思って別れ、一応学校へ行く前にまた覗きに行って挨拶はしておいた。
放課後、マンションの横を見てみるとテントは片づけられていた。
けれど夜になると戻ってきていて、きっと仕事に行っている間はいないんだと思う。
翌朝も一緒に走り、オーディションがある週末まで、なぜかほぼ毎朝会う近所の人になってしまった。
ちなみに仕事がないのか空き時間があったのか、たびたびマンションの部屋に訪ねてきて俺はいるかと聞かれるが、不在を貫き通した。
結果、俺が男として奈良崎さんと顔を合わせたのはオーディション当日でのことだった。
涼やほかの候補者たちが話している中、審査員席で俺をじーっと見ている。やめてやめてやめて。そっと目を逸らし、俺は涼の背中を見守ることに徹する。
実技審査は、候補者全員15kgほどの重りを装着して臨む。敵役には過度な装飾を想定しているので、その中でも動けるのかを見るためだ。
涼には事前に重みをしっかり身に纏わせて動きの注意点を伝えたし、今まで俺を相手によくやってきただけあっていい動きをしている。
次第に涼は周囲と差をつけ始め、普段から鍛えていそうなガタイの良い候補者と接戦となっていた。
途中、相手をできる役者がいなくなったので奈良崎さんが立候補したが、それはきっと、涼たちの動きを見ていてやりたくなったからに違いない。
もうその目は俺を見てはいなくて、涼を見ていた。
候補者の一人が奈良崎さんに仕掛けた攻撃の時、腕から重りが外れた。攻撃そのものは奈良崎さんに避けられ、重りは涼の方へ飛んでいく。
危ない、と思ったのも束の間、それは涼の左肩に強くあたり、身体が後ろへ倒れた。
ちょうどそこには審査員たちが座っていたので、倒れた涼が彼らの方へ乗り上げる形となる。
涼に当たらなければその人たちに当たっていたわけだが、そんなの、たらればなわけで、審査員は涼と重りを飛ばした候補者を叱った。
その後の審査では、涼はぶつけた肩を痛めたのか腕が上がらなくなり、動きが目に見えて悪くなった。
「ごめん、藤丸、せっかく色々教えてもらったのに……バテちまった」
「謝ることないよ。湿布をもらってくるから、涼は休んでいて」
「……、」
廊下に出て、明るい調子で言った涼に肩をすくめる。
あくまで、自分の体力がなかったせいだと言っているけど、俺にはお見通しである。
「後ろにいた人にぶつかると思ったんだろ」
「……悪い」
あー……と言いづらそうに頭を掻いた涼の手を取る。
「だから、何で謝るんだって。そこが涼の良いところだよ、失くしちゃいけない」
たとえば重りを避ければ、責められたのは重りを飛ばした候補者一人だけだったかもしれない。審査員に重りが直接あたったかもしれないが、重傷には至らないだろう。そして涼の身体能力の高さをきっとアピールできたはず……。
それを涼は自分が愚鈍なふりをしてでも、痛い思いをしてでも、あったかもしれない未来を棒に振ってでも、人を守った。
その瞬時の判断は、心の美しさと強さから出るもので、尊いものだ。
「後悔はしてないよね?」
「うん」
「俺もしてない」
ぶいと指を二本立てた。これは負けじゃないんだぜ。
「涼のことを見てくれる人はきっといる、大丈夫だよ」
少なくとも奈良崎さんは涼への認識を改めたはずだ。
なら、このオーディションの結果がどうであれ、涼のしてきたことは何一つ無駄ではないのだ。
「だから今は涼が自分のことを見て、大事にしようね」
痛くない方の胸を、ぺしっと叩いて涼から離れた。
next.
昔逢ってたパターンが死ぬほどすこ。初恋だとなおいい。
Dec 2022(加筆修正)