春をむかえに 09
元はアニマルダーの敵役オーディションのために始めたことだったけど、涼を鍛えることにした。敵役を目指していたころは身体の扱い方がメインだったけど、これからは心も身体もバランスよくやる必要がある。
仮説だけど、涼が自身の魅力を最大限に引き出すためには、おそらく集中力や気合の入り方が関わってくるから。
というわけで、瞑想の後、太極拳やヨガなど、落ち着いてゆっくり身体を動かし気を高める方法で運動をし、学校へ行く。放課後はレッスンや仕事があればそちら優先だけど、なければ俺と一緒にジョギングや筋トレ、マッサージとストレッチのフルコースメニューをこなす日々だ。
ある夜、涼と一緒に走り終え、マンションの前で一休みしていると、奈良崎さんが現れた。
久しぶりに見たなと思うのと、まだうちの隣にいるんだなという気持ちが両方ある。
涼は尊敬する先輩であるけど、俺に付きまとう男としても認識してるので、彼の存在には警戒しがちで、最低限の挨拶以降黙り込んで様子を窺った。
「珍しいな、君が夜に走っているのは───最近見かけなかったのはこのためか」
鬘も眼鏡もしてない運動着の姿だから、奈良崎さんにとって俺はサクラに見えるんだろう。
涼のことも一瞥したので、鍛えることの意味は分かっているらしい。
なにせ、もうすぐ奈良崎さんと涼は敵対して演技に臨む。
以前のアニマルダーでの好演により、涼は準レギュラーとして少しずつ出演の機会が作られていた。そして今度、敵に操られて奈良崎さん演じるブラックと戦うという展開が待っていた。
「はい、涼を鍛えようと思いまして」
今度の撮影に俺たちは賭けている。
二人で不敵に、にっと笑うと奈良崎さんは一瞬だけ息を呑んだ。
「───そうか、それは……楽しみだ」
それだけ言うと、奈良崎さんは去っていく。
猫みたいな目つきは、何を考えているのかはわからなかった。
部屋に戻って涼を俺のマッサージで深い眠りに落とした後、朝食用のサラダがないなと気が付く。
たまには無くてもいいが、あれば良いかなってくらい。5分のところのコンビニに行けばとりあえず買えるから、億劫がることもないかと外へ出た。
外は涼と走っていたよりもさらに静かで、深い夜へと様変わりしている。
コンビニでは緩い接客の兄ちゃんが一人店内にいるくらいだった。
サラダを選んで、ついでに雑誌コーナーを眺め、ピーコックタレントやそうでないモデルなどからにじみ出る羽根を眺めて楽しむという、おかしな冷やかしをしてからコンビニを出た。
「あ、奈良崎さん……」
そしてすぐに、見覚えのある人物をみかけて声をかける。
走っていたところだったので本来なら引き留めない方が良いんだろうけど、目が合ったのでしょうがない。
会釈すると、彼も足を止めて、僅かに額に滲む汗を拭った。
「やあ、……買い物か?」
「お疲れ様です、これは朝ご飯の補充を少々……」
謎の後ろめたさを感じながら袋を開くと、そっと覗き込まれた。
別に夜のコンビニにおやつを買いに来たわけじゃないのです。
「……葛城涼は、君から見てどうだ」
「可能性の塊ですね。奈良崎さんもそう思ったんじゃないですか?」
「否定はしない」
よほどのことがない限り奈良崎さんは俺についてくるので、この時も彼はランニングをやめて俺の隣を歩いた。もうマンションの近くまで来ていたから鍛錬に差し支えないんだろう。
「賞を獲れなかったら、藤丸くんは辞表を出すそうだな───君たちは、その後どうするつもりだ」
「……考えてなかったな」
奈良崎さんにもその話、やっぱり知られてるよね……と罪悪感を感じながら答えた。
俺はこの時言われて初めて、もし事務所を辞めることになったら、と考える。
「その時は───ふふっ、山で奈良崎さんに会うかもしれませんねえ」
言外にホームレスになると言ってるのだけど、まあ奈良崎さんならライトな意味で受け取ってくれるだろう。
しかし奈良崎さんは俺の想像以上の反応で、ぱちりぱちりと瞬きして固まる。そして胸を押さえて首を傾げる。
「自分と、会ってくれるのか……?」
「それはもちろん……関係者じゃなくなってしまいますが、変装した姿知ってますし……」
「藤丸くんも?」
「ええ」
どういう意味だろう、と思いながらも問いかけに答えていくうちに、俺が会社を辞めるきっかけが奈良崎さんのマネージャー打診であることを思い出す。
「あの、奈良崎さんのこと嫌だから辞表を出したんじゃないんですからねっ!」
「───、」
思えば、嫌わないでと縋る子供みたいに、俺の周りをうろうろしているように見えた。
だから、がしっと身体を掴んで目を合わせる。
「傷つけちゃったかな……ただ、ぼくの意地です」
「───藤丸くんか?」
「はい?」
さっきから藤丸くん藤丸くん、と口にしていたのになぜ確認をされた?
「もしかして今まで……サクラだと思っていました?」
「きみの素顔を初めて見た……髪は帽子に仕舞っているのかと」
防犯のため俺は鬘とキャップをかぶって男のつもりで外に出てきた。シャワーを浴びた後だからサクラの時とは服装も違うし……と思っていたが、奈良崎さんの言う通り眼鏡をしていない素顔はサクラだろう。
「───あ……、似てるでしょ、すごく」
「そっくりだな」
さっきまでの話をよそに、奈良崎さんは俺の顔をまじまじと見てきた。
そうかそうか、と呟きながら俺の頬にそっと手で触れる。
延長にある言葉は、柔らかく甘い吐息と共にこぼれた。
「ああ───、好きだ……」
微かな声を聞き流しそうになったけど、そうなるはずもなく、俺はえっと声をあげる。
「こういうのはなんですけど……サクラに言うべきでは?」
「サクラくんにも言おう。二人とも、好きだと分かった」
俺は再びえっと固まる。
「今共にいて気づかなかったくらい、君たち二人に抱くこの胸の高鳴りも、痛みも等しい」
顔つきは優しくて清らかなのに、熱っぽいまなざしと声は色っぽくて、野性的。
肌に触れている硬い指先から、全部伝わってくる。
「本気で、俺"たち"のことが……好き……?」
問いかけるように確かめると、嬉しそうに頷いた。
「ああ、惚れている」
奈良崎さんはその感情を大事になぞるようにして言葉にした。
性別が不確かどころか、別の人間と思いながらも、好意を抱き、それを認める奈良崎さんのまっさらな感情に、俺は打ちのめされた。
罪悪感とか、照れとか、尊敬とか、いろいろとあるけど上手く表現する方法が見当たらない。
よって俺はその日の晩、一睡もできなかった。
きたる撮影日、俺と涼はソワソワとロケ地に降り立つ。ちなみに、以前誤って爆破されたところと同じ。
涼のこれまでの演技はまだ、大きな羽根を出してはいない。
いよいよ、佳境ともなる奈良崎さんとの戦闘シーンがあるので、否が応にも気合は入るだろう。
そこでうまく集中力を高めてノれたらいいんだが……。
「藤丸?」
「ああ……この後、いよいよだねー。気持ち作れそう?」
「……、ああ……」
俺が思案するように顎を揉んでいたせいか、涼が不思議そうにした。
我にかえって、つとめて明るく話すと、表情が少し曇る。俺の悩みごとがうつったかな。
「どうかした?」
「オレ……上手くやれてるかな」
弱気なことを言う涼は初めてみたかも。
俺は目を丸めてしまって、それを見た涼は何でもないと取り繕う。
「わり、頭切り替えて───」
「涼」
その場を離れようとした涼の手を掴む。
「自信もって」
「……、」
涼の手がびくりと震えた。
俺は開いている手で、涼の顔をそっと支えて引き寄せる。
両手で頭を包み込んで額をこつんと合わせると、涼のぽかんとした顔が目に入った。
俺との未来のこととか、奈良崎さんと演技をやる不安と楽しみ、役柄としてのアレコレ───それはもちろん大事なことだけど、涼が今一番心を注いでほしいのは、自分自身の心構えだ。
自分と向き合い、自信をもって臨めば、きっと魅力は最大限に発揮されるから。
「涼は今まで出会った人の中で、いちばん綺麗だ───」
俺なりの励ましを受けた涼は、照れるでもなく、笑って受け入れるでもなく、茫然としていた。
彼は、ぽてぽてと歩いてカメラの前に立つ。極端に表情がない。
監督やスタッフさんたちは少し首を傾げていて、それどころか、これから演技できるのかよと言いたげな顔をしていた。
奈良崎さんとのシーンだったので、彼がゆっくりやってくる。
涼の手を引いて位置に案内してた俺はその場を離れ、奈良崎さんには会釈してすれ違う。
その時まで涼の視線はずっと俺に向いていたけど、今度は奈良崎さんに向けられた。
周囲は今にも撮影が始まる雰囲気だった。そして奈良崎さんも気迫は十分でスタンバイしたと思ったら───口を開く。
「葛城涼、安心しろ。藤丸くんたち二人とも、自分が面倒を見る」
な、なんてことを言うんだーっ。
涼はブチ切れたみたいに表情をゆがめ、奈良崎さんに殴りかかった。
暴力沙汰……とならないのが奈良崎さんの強み、そして撮影が始まるという偶然……。
小日向さんの時みたいに、涼が手をあげた途端大問題になりそう、という危険がないので俺は見守るしかなかった。
幸い、なんかいきなり演技始まったな、くらいにしか思われていないし、涼が鬼気迫る勢いで奈良崎さんと拮抗する。俺なんてカメラに映りそうで邪魔という理由で監督にぽいっと投げられ、撮影関係者がわっと彼らを取り囲む。
少し離れたところからでも、涼の大きな羽根が周囲を包むのが分かった。
その力に呼応されるようにして、奈良崎さんが光り、他の演者が魅力を増し、撮影隊の感度が上がる。
奈良崎さんの言葉がきっかけになったのだとしても、涼はこうして、意識を失わない状態で魅力を引き出して見せた。
俺との特訓が実を結んだのだと思いたい。
涼はその後、ぼんやりしつつも俺のところに帰ってきた。
そして俺を見るなり、正気に戻ったのか何なのか、ぎゅううっと抱きしめる。
え、どうしたんだろう……。
「藤丸、どこにもいかないよな?」
「……うん」
家には帰るが……と思いながら身体を離した涼の両腕をヨシヨシさする。
「お疲れ様。すごくよかったよ!」
「ああ、なんか自分でも、集中できたって思う───それに、いつもより気合はいった」
「奈良崎さんのおかげかな」
ははっと軽く笑うと、涼はご機嫌だった顔をむすっとしかめた。
あれはどういう意図で言ってくれたんだかさっぱりわからんが、まあいい演技ができた後なので不問としよう。
「違う!藤丸のおかげだ!」
「そお?」
思いがけぬ涼の回答に、ちょっと驚く。
やっぱり特訓したかいがあった、ということだろうか。
next.
告白のタイミングとか、覚醒の仕方を変えました。
主人公マインドコントロール(?)できそうやん。
Dec 2022(加筆修正)