Sakura-zensen


春をむかえに 11

ホテルのロビーで涼に集まる視線に、知名度が上がったのだと喜んでいる場合じゃなかった。
少しの敵意を感じて周りに注意してみるけど、丁度綾織さんがホテルに入って来てざわつきが起こり視線の主を見つける事は出来ない。
注目されるということは敵も増えるということ、と綿貫さんの言葉を胸に警戒する。
ふいに、綾織さんがこっちを見た。でも俺たちを見ているのではないことが分かり静かに振り返ると、クマのぬいぐるみを持った女の子がいた。
知り合いかな、と思うがすぐに綾織さんは視線を外した。なんか変な雰囲気。
綾織さんを気にしたいのに、また変な視線を感じる。
やっとみつけた視線の主であるガタイの良い男を警戒してたら、今度は涼が綾織さんのいる方へ走り出してしまったので追いかけるはめになる。
何が起きたのかよくわからないけど、綾織さんにとって平穏じゃないことがあるのかもしれない。

涼が人前で綾織さんに話しかけないようにカバーをしてエレベーターに乗り込み、祝賀会は恙無く始まった。綾織さんと涼は主役なので俺とは離れた席になったけど、社長やその他の社員が傍に居れば大丈夫だろう。


しばらくして、食事の席に招待した以外の客が乗り込んでくる。妙齢の女と、ガタイの良い男。男の方はさっき、ロビーで殺気を放っていた要注意人物だった。
女は安岡プロダクションの狩野と名乗り、男は蛭子と紹介された。
レストランの給仕は部外者に対して注意をしてくれるが、蛭子に投げ飛ばされる。
それを受け止めてカバーしたのはピーコックの社員だ。俺は中の方の席にいたので社長やタレントに向かってきた場合に備えている。
芸能事務所に所属するマネージャーとして安岡プロダクションの名前は聞いたことがあるが、社長曰く「相変わらず」で「くだらん余興」をしにきたようだ。
狩野は勝気に微笑み、一人の少女を会場内に連れてくる。それはさっき、綾織さんが一度目を止めて外した人。
「真柴麗奈───近々デビューするウチのタレントですの。素材が良いと思いません?」
彼女は綾織さんの従姉妹であると紹介され、社員はざわつく。
身内が芸能人であることは珍しくはないが、ピーコックナンバー1のタレントを他事務所がダシにしているように見えて大変よろしくない。社長も実力主義、秘密主義なので、綾織さんのこれまで築いてきた力とプライベートへの関与がある彼女の存在は、気に入らないだろう。
「ウチは、男のタレントしか扱ってないんでね、その子には悪いがちっとも興味をもてそうにない」
めちゃくちゃ怒ってるのでは??
真柴麗奈は感情的なタイプだったらしく、その発言に対して顔を赤らめて反抗しようとしたが、窘められて黙る。
「でも社長、そうはおっしゃられても、女の価値が解らないわけではございませんでしょ。かつてピーコックは女性も扱っていたんですから」
その言葉を受けてなのか、綾織さんにわずかな揺らぎが生まれる。そしてゆっくりと身体が傾く。
隣にいた社長が彼を抱き留め、マネージャーの花村さんが綾織さんを抱えて退室した。
俺はその隙に涼のそばにそっと立って、社長のキレた様子を見守っていた。


急襲してきた二人が去ると、社長は仕切り直しだと言って食事を続けさせた。
社員も社長に似て豪胆な人が多いなと思いつつ、俺も存分に美味しいご飯にありついた。
「綾織さん大丈夫でしょうか」
「真之介がついてるから問題ないだろ」
隣にいたのは綾織さんの二人いるマネージャーのうちの一人、東海林さん。
本来であれば大先輩にあたるけど、今回タレントとして参加しているのが綾織さんと涼で、そのマネージャーが東海林さんと花村さん、そして俺なので、隣り合った席になったのだ。
そしてなぜだか、俺は東海林さんと花村さんの間に挟まれていたので、反対隣が空席となる。
「それより藤丸、これも食え」
「あ、ありがとうございますー」
小さなお皿に乗ったパンを押し付けられる。育てよってことカナ。
十六歳の男の子の胃袋は丈夫なので、俺は炭水化物をもこもこと頬張り水で流し込む。
本当は肉には白米がいいけど、パン追加でもらえてよかった。綾織さんにもおむすび食べさせておいて───。
「は、ごはん」
「食いたりねーのか?」
上品に食事をとりながら、東海林さんが俺のつぶやきに首を傾げた。
「綾織さん、ここに来る前に一応ごはん食べさせたんですけど、今はほら……、起きたらきっとお腹すかせるかも」
「……ああ、そうしたら真之介が用意するだろ」
「そういえば、そうですね!」
花村さんは特に綾織さんの身の回りのことをやっているので、仕事に必要な荷物や、いざという時にあったほうが良いものなど、ありとあらゆるものを所持している仕事のデキる男である。
東海林さんは営業担当で、綾織さんの魅力を引き出す仕事をいっぱいとってくる人。どちらも見習いたい先輩。
謎の感銘をうけしみじみしていると、東海林さんがじっと俺の顔を横で見てくる。
「なんか、いつも世話になってるみたいだな」
俺がしてるのは家でのごはんくらいだけど……?
まあでも、今度ご飯を奢ってくれるっていうので、甘やかしてくれる先輩にはゴチになっておこうと思っている。


安岡プロダクションについて、改めて調べてみた。
所謂中堅芸能プロダクションという立ち位置で、創立55周年を迎えた老舗だ。前はもっと盛んな芸能事務所だったようだが、今はそうでもないようだ。
過去の所属タレント一覧にある、丘よう子という女性が岡安プロからピーコックに移籍をしていた。
もともと、若獅子賞の過去受賞者一覧を見たときに、ピーコック所属の女性として目に止めていたから名前だけは知っていた。
かつて女性が所属していた、と意味ありげに言ったので、きっとこの人のことでモメてるんだとあたりをつける。
彼女の現在は、事故に遭って以来メディアへの露出が一切ないため不明だ。しかもその事故で運転手をしていた真柴という男性が亡くなっている。彼からは薬物が検出されたようだが、詳しい内容は載ってない。
真柴といえば綾織さんの苗字で、彼は交通事故で身内を亡くしたと聞いた。
どんな事があったのかはさすがに分かる訳じゃないし、やすやすと踏み込んではいけない気がした。
一方で、丘よう子さんのことをもう少し調べてみた。
何故か聞き覚えがあるような気がしていたので顔を見てみると、彼女の舞台を俺は前に見に行ったことがあったのを思い出した。
あのとき初めて、大きくて美しい羽を見た。まるで女神様みたいだと思った。
お母さんの好きな女優さん、と聞いた覚えもある。
そしてお母さんはこの舞台を見に行った少し後に出て行ってしまったんだっけ。なんという偶然だ。
「偶然だな」
「え?」
下校途中に俺の考え事をなぞるような声がかかった。周囲に気をやっていなかったので、少し驚いた。
「こんな所でばったり会うなんて」
「そうだね、涼は?」
綾織さんと帰りに一緒になるのは確かに初めてな気がして、頷きながら隣を歩く。どうせ同じ家に帰るのだし構わないだろう。
涼はどうやら、生徒会の仕事があるらしくて不在らしい。あれ?綾織さんって生徒会長な気がするが……。
「───ん?」
「どうした」
道行く人に、羽を見た。
俺にスカウトする度胸はないけれど、羽がある人はちょっと見ておきたいなという下心からだ。
隣にスーパースターがいるにも関わらず、つい興味が惹かれた。
「持ってて」
「あ、おい」
『彼』の後姿を認めると知っている羽に似ていた。が、その羽の観察も差し置いて俺は綾織さんに鞄を押し付けて走る。
彼は男数名に囲まれ、建物の影に入っていったからだ。

角を曲がって目の当たりにした光景が、今にも彼を痛めつけようとするものだったので、深く考えもせずに、えーいと体当たりをかます。
衝撃に男は吹っ飛び、胸倉をつかまれていた彼は床に転んだが、大した怪我はないだろう。驚きこちらを見上げる彼の長い前髪の隙間から、そばかすがあるけれど見知った綺麗な顔が見えた。
ああ、やっぱり。
「こひ、っ───、逃げて!」
「え……」
「何すんだてめえ!!」
小日向さん、と呼び掛けそうになって口を噤んで警告した。
俺はすぐに男達に反撃されたので、とりあえず相手の戦意を奪うのを優先することにした。

「───藤丸!?」

綾織さんが声をあげながら俺を追いかけてきたとき、俺は男たちを蹴散らし終えるところだった。
この時点で奴らの敗北は決まっていたが、さらに分が悪くなったとわかった男たちは、覚えてろとキャンキャン吠えながら逃げていった。
「覚えててやろうじゃん……」
その背中に悪態をつくと、綾織さんが慌てて駆け寄ってくる。
「鞄ごめん───あ、怪我ない?」
「……う、うん」
「急に飛び出していくから何事かと思った」
小日向さんは茫然と自分の鞄を抱えて俺を見上げていたので、大丈夫だろうかと顔を覗き込む。
今の俺は女の子だし、綾織さんもいつもの姿なので、多分小日向さんには全く知らない人に見えるだろう。逆に綾織さんからしても、彼のことはわからないだろうから、無闇に話を聞くわけにもいくまい。
「さっきの、知り合い?通報しておく?」
「全然知らない人たちだよ……でも大丈夫」
小日向さん本人は、自分がこんな見た目だからカツアゲにあいやすいんだ、と気弱な少年みたいに言った。
ははっと笑っている感じは、別に自分を卑下しているものじゃないし、普段の小日向さんって結構やんちゃで強かそうだから、どうにかできたかもしれないな。
「そっか、余計なことだったらごめん」
「待っ───、あの、ありがとう」
綾織さんが帰りたそうにしているので、ばいばいと手を振って、小日向さんとは別れた。
人通りの多い道へ出ると、いつもああやって人助けしているのか、と聞かれてそういう訳ではないのだけど、たまたま見えたからと言い訳をした。
俺だってね、すぐ暴力に暴力を返す男じゃないんですよ。
絡まれてるのがピーコックのタレントだと思ったし、安岡プロのことがあったから冷静じゃなかったんだ……。
でも綾織さんにあれが小日向さんだったと勝手に言うのは、同じ事務所の関係者としても良くない気がして口を噤んだ。


俺は涼の力を押し上げることとプラスして、自分の能力を上げるように社長に示唆されていた。
だからって他のタレントをマネジメントしては本末転倒だ。なので、レッスンを企画していろんなタレントを見てみないかと社長から打診を受けたのだ。涼を鍛えたのを評価してくれているらしい。
奈良崎さんとの山籠もりでは日数をとるが、これならスケジュール管理をしっかりすればなんとかやれるし、自分のためにもなるし、会社の利益にも繋がると思った。
涼にはもちろん、納得してもらっている。
なんだったら自分も絶対全部参加すると息巻いているので、丁度良いかもしれない。

さすがに藤丸として皆にレッスンするのは、マネージャーが何やってんのってなりかねないのでサクラとしてやることになる。けど、これはこれで、小柄な女の子に何を教わるのって話になる。そこで社長から提案されたのは、初回のレッスンで、俺の体術を実演してみせてみないかってことだ。
相手は社長が、事務所の中でも動ける者を用意すると言ってくれたので、俺は軽い気持ちで引き受けた。
そんなこんなで迎えた初日───。
「じゃ、しっかり頼むぞ」
「はい、あの、でも社長……」
新しいレッスンということで、結構いろいろな人が参加と見学に訪れ、広めのレッスン室に俺は立つ。
社長が俺を紹介してくれたので挨拶をし、手本を見せると言ったので気を引き締めた。
俺の相手としてやってくるのはてっきり、入社試験の時にやりあったSPさんたちかと思っていたのだが。
「なぜ、奈良崎さんが相手なんですか……?」
恨めしく、泣きたくなり、しくしくしながら社長を見つめる。
俺のこの視線を浴びても社長はとっても楽しそう。
「うん?だってうちのSPじゃ君に歯が立たないだろ」
だからSPより強いとこ見せたら良いんじゃないかな……。
「サクラさん、うちの事務所で動きが良い人の一、二を争うのがあなた達二人なの」
「望月さん調べでそうなら、そうなのかもしれないですね……」
社長と秘書の望月さんとごにょごにょ話している中、奈良崎さんはウキウキ待機し、生徒になる予定のタレントと見学マネージャーたちはざわざわこっちを見ていた。

「ま、いっか。奈良崎さんとはいつかやりたいと思っていたので」
「───光栄だ」
ハートが飛んでくるがそれはそれとして、俺たちはこの時、真剣に見つめ合った。
互いにこの状況を楽しんでいる。戦うのが好きな人間同士にわかる高揚と、敬意、良い機会を与えられたことへの感謝を示していた。

最初はそれぞれ木刀をもってやりあう。扱いに慣れている奈良崎さんは上手で、俺の木刀を弾いた。けど俺の本領はここから発揮されるので、武器を手放し驚いたふりをしながら、向こうを油断させて足技を繰り出す。
頭を狙った蹴りを、奈良崎さんは避けたが髪に掠った。
一方奈良崎さんは崩した体勢を生かして自身も木刀を捨てて俺の軸足を狙うが、俺は当たらなかった蹴りの遠心力で身体を浮かせて回転する。
そのまま一度距離をとって、今度は身を低くして奈良崎さんの懐に飛び込んだ。
奈良崎さんは一度は俺の伸ばした手をすり抜けて、逆にその腕をつかんできたが、俺は身体の小ささを利用して足の間に潜り込み、背後に回った。その拍子に手は外れる。
そして振り向きながら攻撃を仕掛けようとした奈良崎さんを、するんっと背負い投げして終了。
「ありがとうございましたっ!」
綺麗に受け身をとって寝転がっている奈良崎さんを見下ろし、にこーっと笑う。
本当の勝ちではないと思うが、一本というやつだ。
「やはり、イイ……」
寝転んだままうっとりした奈良崎さんに、俺は思わずぎくりとする。
手を差し出して立たせようとしたまま、戸惑うが引くわけにもいかず、躊躇っているうちにその手を握られた。
「───結婚してくれないか」
身体を起こすも跪いていた奈良崎さんは、俺にプロポーズをぶちかました。
そもそも俺たちの戦闘についてこられてなかったギャラリーを、さらなる混沌へおいやる。
「えー、と、」
「ハアアア!?許すわけ!ねー!だろ!!!」
「意味わかんないんだけど!?」
「どうしてそうなんだよ!!」
一番に声をあげたのが涼。さすがです。
そしてほぼ同時に小日向さん。続く金田さんはわかってたけど、小日向さんは意外だな。
俺の回答も待たずしてギャーギャー言い合う中で、小日向さんを見てるとぱちっと目が合って、逸らされた。
「あの、社長、どうしたら……」
「がんばってなー」
「お疲れ様、ああそうだサクラさん」
一応事務所にとってもタレントが講師にプロポーズするのは問題では……と思って収拾つけてもらおうとしたところ、げらげら笑った社長は涙を拭きながら去っていった。
望月さんは相変わらずクールだったけど、ぽんっと肩を叩いてくれたのでちょっとした優しさと助言を期待して言葉を待つ。
「次回以降の希望者は、あまりに多かったら抽選よ。今度スケジュールと内容の打ち合わせをしましょ」
「あ、ハイ。───ええ~……」
望月さんは仕事の話しかしないで去っていった。

ウウン、と唸り、周囲の見学者が引いてるのを見ていい加減止めないとなと奈良崎さんの肩をつついた。
「!なんだ?サクラくん」
「レッスンを始めますのでご退室をお願いします。奈良崎さんにお教えすることはありませんので」
「そんな……!!」
ひょいっと持ち上げてぽーんと部屋の外に出してしまう。
本来大先輩に対してそれは許されない扱いだろうけど、奈良崎さんのしている話は俺の一応プライベートのことだしいいだろ。
「では皆さん、奈良崎さんのお眼鏡にかなう動きを身に着けていきましょう。ははは」
ブラックジョークだが、最終目標はこれでもいいかもしれない。
俺は遠い目をして、パンパンと手を打ち雰囲気を変えた。


俺の実演が効いたのか、レッスンを舐めた態度で受ける人はいなかったし、皆必死に食らいついてきた。
鬼軍曹とか言って這いつくばる生意気な生徒はいたが、馬鹿なことを言う前と後にサーをつけなさいと言っとく……。
「ではこれにて、一度目のレッスンを終わります。次回も受ける気があればよろしくどうぞ」
みんなにはちゃんとストレッチまでさせたので、後はもう自力で帰ってネ、と死屍累々の部屋を出る。
涼は日々俺に鍛えられているので少し回復が早く、帰るために着替えに行った。
俺はこの後、社長に報告に行って、の装いに戻って涼と仕事の相談をするつもり。
でもその前に、俺も少し汗をかいたので自販機で飲み物を買ってベンチに座る。
「あ、の……!サクラせんせ」
ちょっと足取りがぎこちないが小日向さんが俺の座るベンチに駆け寄ってくる。
おつかれさま、と挨拶をすれば、呼んだ割に声をかけてはこない。
「今日は、どうでしたか?」
「すごかった……です。オレも普段から動いてはいるけど、全然足りないなって」
話しかけたら案外嬉しそうに会話をしてくれるあたり、サクラへの印象は悪くないみたい。
女の子には優しいタイプかな。
「小日向さんの動き、とてもよかったですよ」
「ほんと?」
「うん、カラスクラスでもトップなだけあって、きちんと鍛えてこられたんですね」
嬉しいみたいでふわふわ羽が躍る、その心地よさについ、にこにこしてしまう。
「サクラ先生は覚えてないかもだけど、オレ、一度あなたに助けてもらったことがあって」
「あ、そうなん……ですか……?」
一応知らないふりをして首を傾げる。
「だから、その、ありがと。かっこよかったです」
「そういってもらえて嬉しい」
なるほど、自分もかっこよくなりたいということだな。向上心があるのは良いことだ。
「そういえば、サクラ先生は奈良崎さんと知り合い?その、さっきのプロポーズって。あ、不躾に聞いてごめんなさい」
「いえいえ、あー、藤丸をご存じでしょうか」
「涼くんのマネージャーさんだよね、先生のお兄さんなんでしょ」
「はい。兄を通じて顔見知りで───奈良崎さんは兄にもあんな感じですよ」
「へ、へ~」
若干引いていた。まあそうだよな。
奈良崎さんは俺とサクラをまっすぐ口説いてくるし、告白を受けたわけだから、小日向さんへの回答は若干語弊があるかもしれない。
でもここで、俺とサクラが特別好かれてるんです、と説明するのもどうかと思うので、あえて誤魔化した。
「すみませんがこれから社長に報告へ行きますので───また会えたら」
「あ、うん。絶対次も申し込む!」
俺が立つと、小日向さんもぴゃっと立ち上がり、見送ってくれた。
小日向さんって結構、懐く相手には可愛いんだな。
外面が良いというんじゃなくて、深津さんとはまた違った二面性。


鬘と眼鏡を装着し、スーツに着替えて社長室へ行くと、やーお疲れーと労いの言葉がかけられる。
俺と奈良崎さんの戦う光景を見るのは社長としても新鮮だったらしく、プロポーズに至るまでエンターテイメントとした楽しんだそうで大変褒められた。
「ゆずにも良い刺激になったろ」
きっとこれが狙いだったんだろう。まあ、奈良崎さんにはお世話になったし、山籠もりに付き合う約束をしておきながら、こちらの多忙につき断ることになって申し訳ないと思っていたので恩返しになってよかった。
「で、プロポーズは受けたのかい?」
「いやいや、そんな」
俺は社長のジョークに乾いた笑みを浮かべる、悲しき雇われ人です。
「うちは秘密主義なんでね、こういう秘密も案外ありだ」
「ぼくはおとこですよ……」
「カタいねえ」
上辺だけの会話、というのか、中身のない会話というのか。
いくらか言葉を交わしてから次のレッスンについて、涼に来ている仕事のオファーについての話をされる。
今までは自分からとりに行かないと無かった涼の仕事が、賞を機にたくさん舞い込んできた。その中でも、どれをやり、どれをやらないかを、涼と俺が事務所の意向にも沿いつつ厳選していかなければならない。
俺の仕事が増え、涼の仕事が増え、忙しくなるのが少しわくわくした。


涼が待っているだろうと思っていたけれど、望月さんから先に帰ったと聞き、なんだーと落胆する。
でも家に帰って厳選するんだーとほくほくしていたところ、奈良崎さんからの奇襲がある。
もう、さっきサクラとやったっていうのに。
「うむ、やはり君は良いマネージャーだ」
「良いマネージャー?ではサクラは?」
「……意地悪をいう」
ひゅんひゅんと襲ってくる木刀を避けてると、奈良崎さんはぴたりと攻撃をやめた。
ぽっと頬を赤く染めるので、若干つられて俺も照れ臭くなる。
「奈良崎さんの気持ちを無下にするわけではないのです───ただ、マネージャーでなければ、傍にいてはいけませんか?」
「!!!」
硬直する奈良崎さんに、あれ、変なこといったな、と口を噤んだ。
「……先ほど事務所手前で変な大男にいきなり殴りかかられた」
「エッ」
「仲裁が入り何事もなかったが……、中々の遣い手だった───だが、君たちほど、ときめかない」
いろんな意味で言葉を失い、手が伸びてくるのも見守る。彼が攻撃するときと、そうでない時はよくわかるので。
「だからたしかに、どんな形でも構わない」
眼鏡をそっととられて、目を見つめられる。
口説かれているな、というのは重々にわかってる。
俺とサクラの二人を同時に好きだということを、真摯に伝えてきているのだろう。
引き合いに大男を出されても別に嬉しくはないというか、そんなのにときめいてたら、世の中の格闘技選手には大体惚れていなければならないし。
「あ、奈良崎さんに襲い掛かってきた大男は、スキンヘッドにサングラスの蛭子という男ではなかったですか」
それよりもふと気が付く、『大男』の存在に嫌な予感がする。
「知ってるのか。そんな特徴で、確かに蛭子と呼ばれていたが───ああ、葛城涼とも知り合いであったか?」
「涼とも接触を?」
奈良崎さんが持つ俺の眼鏡をゆるく奪いながら、思わず手に力が入る。
頭から電気信号が身体を這い、表情をすべて削ぎ落とす。……いけない、殺気が。
「───、」
「奈良崎さん、すみませんがぼくはこれで」
「あ……」
手に持っていた眼鏡をうっかり割ってしまったので、走り去りながらポケットにしまう。
俺のヤな予感は正しくて、でも警戒が足りていなかったことを思い知った。

そして何より、知識も足りていない。
安岡プロが涼に関わってきたことを報告すべく、社長室へとんぼ返りした。



next.

サクラちゃんはサクラちゃんとしてもっと出したいなと。
そして小日向くん参戦。ファイッ。
Dec 2022(加筆修正)

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